今回はチューターNさんによる「TimeWaveZeroの現在-物語消費、データベース、波状言論、他」という講義でした。講義は、「現在」、「歴史/起源」、「止まる時間」、「discipline 時間を超える」、「成果-実践TWZ全方向時間透視術=’批評・思考’ツール」といった章立てで解説されました。東浩紀 、オタク 、シミュラークル 、スーパーフラット、コジェーヴ (「ヘーゲル読解入門」?)、サルトル 、マッケナ、大森荘蔵 などその他色々が出てきて、内容が非常に濃くて私の頭はオーバーヒートしそうでした。解釈が間違っているかもしれませんが、私の勝手な解釈では、歴史に囚われることなく、フラットなメモリ空間から自由に知識を取り出すような東浩紀のいうデータベースとピーター・ラッセルのいうラセン状の波状時間理論を結びつけた大胆な思考方法の提案でした。講義を聴いているときは波状時間理論を理解するので精一杯でしたが、帰宅してからよく考えてみると、データベースと波状時間理論という一見結びつきそうにないものを全然違和感なくナチュラルに結びつけていて、Nさんの着眼点の鋭さや柔軟な思考に改めて驚きました。さらに、「平面的に視る」だけでなく、歴史的視点である「奥行きを感じる」普通の視点を併用することも付け加えられていて、とてもバランス感覚のある思考に感じました。ちなみに、波状時間理論の考え方は、私的にはカート・ヴォネガット のいう「タイムマシンなんて簡単に出来る。それは思い出すだけでタイムマシンだ」に近い考え方かもと思いました。
ところで、カードを使ったデータベース化の話題のときに、私は「教会は聖書のカード化を禁止している」と言ってしまいましたが、帰宅して調べたら間違いでした。次のような小説の一節を間違えて覚えてしまっていました。
キリスト=イスラム教会は聖書をカラー・コード化されたホログラムにすることを
許さず、製造と販売を禁じている。
・・・・・・
もちろん、イマヌエルは、キリスト=イスラム教会が聖書をカラー・コード化された
ホログラムにすることを許さない、その理由を知っていた。
連続する層が重なりあうまで、
真の深みの軸である時間軸を徐々に傾ける方法を学びとれば、
垂直の情報-新しい情報-を読みとることができるからだ。
これによって聖書との対話が可能となる。聖書が生気をおびはじめるのだ。
聖書が以前とはまったくちがう知覚力ある有機体になる。
もちろんキリスト=イスラム教会は聖書とコーランの両者を永遠に凍結したがっていた。
聖書が教会の外部に出れば、独占体制が崩れることになるために。フィリップ・K・ディック「聖なる侵入」より抜粋)
ディックの小説の中でホログラム化を禁止しているのであって、現実の教会でカード化を禁止しているわけではありませんでした。というわけで、いつもながら間違ったことを言ってしまいました。(出席者の皆様、間違ったことを言ってしまい、すみませんでした。)ちなみに、小説の中でホログラム化を禁止している理由は、教会の指導によって方向付け・限定付けしていた聖書の読解(=人々の拘束)が、ホログラム化によって人々が自由自在に聖書を読解してしまい、人々が教会の権威を脱け出してしまうと考えたのではないかと思います。
さて、波状時間論によれば2012年には、時間は螺旋の中心に至るとのこと(=時間の終わり)。そして、その後はどうなるのか?そこで私は「文明や科学技術が進歩の頂点に達して、人間の可能性の限界、人類にはこれ以上の進歩が無くなるのではないか、逆にそこから人間自身の進化が始まって、データベース化で残っていた性格や身体が進化して、良い性格になったり(笑)、もっと自由な身体を持った今以上の人間に進化するのではないか、しかし、すでに生きている私たちには進化は訪れず、これから生まれる次世代が進化して、私たち自身は進化から取り残されるのではないか(笑)」といった、まるでアーサー・C・クラーク の「幼年期の終り 」のようなSF的想像をしてしまいました。
さてさて、会合は、他にも、オタクや萌えやエヴァンゲリオン、スノッブ やアナーキズム やイデオロギーなどについても語られました。とても充実した時間を過ごすことができました。振り返ってみると、会合での私はヴォネガットのボコノン教 でいうランラン(=人々をある思索の路線からそらす人間)だったかもしれません(笑)。私としては、とても勉強になり、とても楽しい時間を過ごせました。