飛行機のための行進曲
「飛行機のための行進曲」
暴力のエコノミークラスは
いま、遠い国のそらを飛んでいます。
その飛行機の中では
昼のバラエティーと、再放送のメロドラマとが上映されていて
誰も 熱心に見るでもなく 眠るでもなく。
空を飛んだのは
今日が初めてだったのかしら。
なんて、しらばっくれるんじゃあねえよ。
窓から眺める景色は、どこまでも遠く、静かで、
とりすがる、顔の形をした地模様が広がって、
音も無く、どこまでも遠く、
手を伸ばせば届くような、そんなすぐそこでの出来事なのに、
窓から見下ろす巨大なテレビのような世界の中で、死んでゆく人がいる。
日干し煉瓦の瓦礫の中で、
口をあけて目をむいた、その人が最後に見た青空の中に、
私たちが残した、ひとすじの飛行機ぐもが白く、
ゆっくりと消えてなくなってゆくことを僕たちは記憶にとどめるべきだろう。
とおいくに、とおいひとびとのことを考えながら。
とり。
そら。
ささいないいわけと、小さな暴力として訪れる、
小さな飛行機の窓のようなテレビの中に多くの死をみつめる私たちの目。
昼のバラエティーをみつめるのと同じようなまなざしを、
おびただしい「死」にさしむける私たちの目。
平和なリビングにあって、
遠い戦争を見下ろすCNNのライブカメラのまなざしになった私たちの目を。
そんなふうにして遠い国の空を、
すみきった空の上を、
とり、のうえを、
そら、のうえを
リビングという小さな暴力をひめた飛行機は、
とおいくに、
とおい戦争のことを深く考えるでもなく、
飛んでいくのです。