2007年3月25日

メジロ


近くを歩いていたら、公園の木に一羽のメジロがとまっていました。鮮やかな緑色が見えましたが、キョロキョロと忙しく動いたかと思うとすぐに飛び立ってしまいました。その羽ばたきで、小さなつぼみを持った小枝が微かに震えるように動きました。春の訪れを告げてくれているようでした。

それにしても、冷たい風の吹く三月でした。そんな春風から、次のような李白 の詩を思い出したりします。

天下 傷心の処
労労 客を送るの亭
春風 別れの苦しきを知り
柳条をして青から遣めず

(李白「労労亭」より抜粋)

中国の古い習慣では、旅人を見送るときに柳の枝を折って記念に渡したらしいです。冬が過ぎて柳の枝が青むころ、多くの人々は旅に出たようです。そんな習慣を元にこの詩は詠まれているようです。
「この世で最も人を悲しませる場所があります。それは、労労亭、すなわち、友人を送別するこの場所のことです。だってほら、春を告げるあの陽気な春風でさえも、別れの苦しさ・悲しさを知っていて、旅立つのはまだ早いとばかりに柳の枝に青い芽を吹かせていないではありませんか。」このように詠っているように感じられます。
「天下傷心」という詩句は随分思い切った表現かもしれません。でも、それ程までに離別の悲哀が深いものであることを李白は知っていたのだと思います。そして、別れた友のことは永遠に記憶されるのでしょうね。

また、一方で、そんな透明に澄んだ冷たい冬の空気に、春の陽光が射し込んでくると、一切の悲哀が淡くほのかに透き通しになってゆくような気がします。そして、さらに、精神も魂も純粋に透明になって、そればかりか木々や建物や空間も何もかも全てが透明になって、永遠の静けさや休らいが訪れるような、そんな気がします…。

異郷に在っても、故里の

古いならわしを尊び守って

明るく澄んだ春の祭の日に

一羽の小鳥をにがしてやる。

私はしみじみなごやかな気持ちになる。

何を神に向かって不平など言うことがあろう、

ただの一羽ではあるけれど、生きものに

自由を贈ってやることができたのだもの。

(プーシキン「小鳥」より抜粋)

”すべての人がいつも穏やかで調和のとれた平安な心でいられたら…”とプーシキン は願ったのでしょうね。

さてさて、春は別れの季節、旅立ちの季節なのかもしれませんね。
もう、春ですね。