2007年8月6日

ピカソ展


「ピカソ展」(岡山県立美術館) を鑑賞しました。

ルートヴィッヒ美術館所蔵のピカソ作品約100点とロベルト・オテロにおる写真約30点を展示した展覧会でした。ミノタウロスのスケッチが多くあったり、版画や陶芸など普段あまり知られていないピカソ作品も見られたりしてとても充実した展覧会でした。また、ピカソのキュビズムな絵画技法が生まれ出てくるプロセスを感じ取れる展覧会でもありました。

それにしても、やはりピカソは女の秘密を覗き込もうとした画家だと思いました。ミノタウロスはまさにそういった女の秘密を覗き込もうとする男の性的欲動を表わした象徴だと感じます。そして、ミノタウロスが欲動して凝視する先にあるのは、深遠でエロティックな女の性があります。そこには、女性のふくよかな丸い肉体、胸部や腹部や臀部の脂肪や水分をたっぷり持った肉塊、世界の裂け目のような押し広げられたヴァギナなど、女の肉体の持つ性的に強大な自然力・生命力が描かれていました。また、写真の中のピカソの瞳は、年老いることを知らない真実を覗き込もうと輝いているように感じました。
 
一方、60歳を過ぎて始めた陶芸もユニークな作品が多くて感心しました。もう少し力強さを持つと岡本太郎と似てくるようにも思いました。プリミティブに行ききらず、その一歩手前で止めるように感じました。

それにしても、ピカソはフロイトの精神分析学によって解析されるべきなのかもしれないと思いました。心の中で生き生きと欲動する性の力が、当時のピカソやフロイトには、うねるマグマや生々しく蠢く蛇のように感じられたのかもしれません。(インドで、性力(=シャクティ)を蛇として描くのが分かるような気がします。)そして、性が自然な発現としてあった野生や古代と比べて、近代は新たなエロティシズムが始まったのかもしれないと思いました。意外と現代のエロティシズムは歴史が浅いものかもしれず、自分で考えているほど自然なものではないのかもしれません。ただ、人間に自然な性など存在するのかどうかも分かりませんが…。あるいは、もしかすると、極端な話、古代精神が持っていた「魂振り」の感覚を失ったかわりに、近代精神は「近代的な性的興奮」を手に入れたのかもしれないとも思ったりします。(もちろん、ネガティブな意味ですが…。)

とにもかくにも、ピカソの作品を覗き込むとその奥底には、性的欲動の化身である、群がる蛇たちの蠢く蛇腹が見えてくるような、そんな気がします。