2007年10月7日

坂田一男展

「坂田一男展 前衛精神の軌跡」(岡山県立美術館 )を鑑賞しました。

明治22年岡山市に生まれた坂田一男 は、上京して川端画学校で裸婦を描き、パリでレジェ にキュビズム を学び、帰国後中央画壇との接触を断ち倉敷市玉島で活動し、戦後A.G.O.(アヴァンギャルド岡山)を組織して抽象絵画を制作しました。

日本らしさを感じさせない教科書的なキュビズムの作品であり、日本で正確にキュビズムを理解した最初の日本人かもしれません。極端に言うと、特徴のない作品に感じられるかもしれません。しかし、おそらく坂田は美を賛美する視点ではなく、科学者の冷徹な視点で物事を見ようとしていたのだと思います。それまでの芸術は美の追求であったものが、20世紀美術に至って芸術は、科学のように、物事の本質を見透かす真理の追究に変わったのだと思います。なので、「偶然は作者自身のものではない」と言って、的確・正確に物事を捉える科学的普遍的視点を重視して偶然を排除しようとしていたのだと思います。また、シンボリズムを感じさせない、画面を二分して中央に壷(円錐)を配置したり、工具を標本的に並べるように配置する「メカニック・エレメント」などもそういった静的な科学的視点を感じられます。

また、思い切り良く中央画壇と距離を取るものの、小さく閉じこもるのではなく、前衛芸術を普及するために、世界を志向する団体を主宰したりするなど、普遍的な世界への眼差しが感じられます。

いうなれば一地方に過ぎないにもかかわらず、キュビズムを正確に理解し、中央に対して対等に距離を保って、さらに世界を目指す高い志を持つ人物が岡山にいたことは、地方の若い芸術家たちにとって、とても勇気づけられることだと思います。

京都SFフェスティバル2007


京都SFフェスティバル2007 に行ってきました。

京都SFフェスティバル2007は昼間に行なわれる講演会形式の本会と宿泊して行なわれる分科会形式の合宿があるのですが、本会のみ参加しました。本会では、①円城塔インタビュー②東浩紀インタビュー③ティプトリー再考④さよならソノラマ文庫の4つが順番に開催されました。

①では「Self-Reference ENGINE」  の著者である円城塔 氏に菊池誠 氏がインタビューされました。著者略歴や小説で用いられている科学用語や背後に隠されている数学的構造について解説されたりしました。金子邦彦「カオスの紡ぐ夢の中で 」も紹介されていました。

②では、批評家で哲学者の東浩紀 氏にSF評論家の大森望 氏がインタビューされました。インタビューというよりは対談といったような展開になりました。桜坂洋 氏との共同執筆小説「キャラクターズ」についても語られたりしました。欲を言えば、もう少し東さんの独り語りが多くても良かったかなあと思いました。また、熱烈な若者のファンが多いのにもびっくりしました。東さんの言葉を一言も聞き漏らすまいととても真剣に聞き入っていた若者の姿に感動しました。

③では、ティプトリー の数奇な人生や日本での当時の評価について、岡本俊弥氏、大野万紀氏、鳥居定夫氏(水鏡子)、米村秀雄氏のSF評論家四氏によって語られました。ティプトリーは子供時代にアフリカに居たり、陸軍やCIAに勤務したり、女性であることを隠した覆面作家であったことが当時のフェミニズム運動とややこしくなったり、最後は病身の夫を撃ち殺して自分も拳銃自殺を遂げるというとても波乱に富んだ人生で、小説だけでなく、その生き様もとても興味深いものでした。作品タイトル自体も「愛はさだめ、さだめは死」や「たったひとつの冴えたやりかた」などドラマチックでとても興味深いです。

④では、ソノラマ文庫 について、作家の菅浩江 さんや秋山完 さんやレビュアーの三村美衣さんがトークされました。80年代ノリといいますか、学園祭ノリというような景気のいいノリで賑やかなトークで楽しかったです。多分、合宿も似たようなノリかもしれません。合宿こそが本当の醍醐味でしょうね。秋山さんのお話が愉快でとても笑えました。また、読み手の想像力が必要なスペースオペラが売れないと嘆かれていましたが、会場の反応はいまいちだったかもしれません。

特に印象に残ったのは、円城塔氏インタビューでした。数学的な話が多くてよく分からなかったのですが、印象としては、複雑系 にも通じる物事の把握法であったり、その上で空間全体が変貌するダイナミクスを描きたいのかなと感じたりしました。(ストレンジ・アトラクター な感じ?)。また、メタではないことや見たままのデータベース化に違和感を感じたりや を表現したいは分かるような気もしました。イーガン とはまた違った方法で現代科学している希有な作家だと感じました。とにかく、従来の科学者や作家の枠に縛られない、知恵・知性のある、とても柔らかい人でびっくりしました。

円城氏の著書「Self-Reference ENGINE」  はイーガン の論理とヴォネガット の筆致をあわせ持つと評されています。下記だけを読むと、ボルヘス の「バベルの図書館 」を想起しますが、小説は無限だけでなく、自己言及や複雑系などが感じられるような作品になっていると思います。読後感は「クラインの壷 」を一周したような「あれれ?」というような不思議な感覚にとらわれました。まったく新しいタイプの小説だと思います。

全ての可能な文字列。
全ての本はその中に含まれている。
しかしとても残念なことながら、
あなたの望む本がその中に見つかるという保証は全くのところ全然存在しない。

(円城塔「Self Reference ENGINE」プロローグより抜粋)

例えば私はここに存在していないのだけれど、
自分があなたに見られていることを知っている。
あなたが私を見ていないことはありえない。
今こうして見ているのだから。
例えば私は存在していないのだけれど、あなたに見られていることを知っている。
例えば私はいないのだけれど、見られていることを知っている。
存在などしていない私は、あなたの存在を、
とてもあたりまえであると同時になんだかとても奇妙な方法によって知っている。

(円城塔「Self Reference ENGINE」エピローグより抜粋)