2007年12月2日

生命雑感Ⅰ


最近のiPS細胞 のニュースと福岡伸一 氏の「生物と無生物のあいだ 」に刺激を受けて、生命について、とりとめもなく色々とオカルト的に妄想してしまいました。

例えば、ES細胞 はこれから育つ生命の卵を元に遺伝子操作によって、必要な臓器を作り出すように思います。それに対して、iPS細胞は切り落とした小枝を植えなおして、木に育てることに似ているように思います。つまり、切り取った細胞を遺伝子操作して、必要な臓器を培養するように思います。

ES細胞は新たな生命を使うのに対して、iPS細胞は既に存在する本体の一部を使う違いがあると思います。極端な話、植物の場合は切り落とした小枝を培養すれば、本体にまで育つかもしれません。しかし、動物の場合、切り落とした小指やトカゲの尻尾を育てても本体まで育つことはないのではないかと思います(*1)。

このようにES細胞とiPS細胞は、卵の生命力と細胞の再生力の違い、つまり生命力の大小の違いがあると思います。ですので、米国のグループは新生児や幼児など再生力の強い若い細胞で実験したのだと思います(*2)。ならば、おのずとES細胞で作られた臓器とiPS細胞で作られた臓器での生命力の差が生じてくると思います。しかし、その生命力とはそもそも何でしょうか。もしかすると、生命には霊魂とでも呼べそうな生命エネルギーがあるのではないかというオカルト的な妄想をしてしまいます(*3)。

いま、遺伝子操作などバイオテクノロジーは進歩していますが、生命そのものを作り出すことには未だに成功していません。今ある生命を操作することであって、生命そのものを作ることは出来ていません。ユーリー・ミラーの実験 のように、様々な条件で物質を化学変化させても、生命は生まれてくることはあり得ないようです。たしかに、もし生命が自然発生するものならば、身近に生命の原型がポコポコ生まれたり、人間の手で簡単に作り出せてもよさそうです。でも、現実にはそうはなっていません* 。生命の発生は物質を超えた力が関係しているのかもしれません(*4)。

物質ではない要素について、オカルト的に想像してみると、つい霊魂を想像してしまいます。そして、例えば、霊魂が循環する輪廻 のようなものを考えてしまいます。それをSF的想像力で補ってみれば、輪廻は4次元以上の高次元空間 (あるいは余剰次元 ) から質量のない光量子 たる霊魂が受精と同時に降り注いで受精卵に宿るように考えてしまいます(*5)。

ところで、生命について考えるとき、つい遺伝子 について考えてしまいますが、遺伝子システムは生命の起源からは少し後になって出来たのではないかと思います。遺伝子システムは、いわば本体から分離した一部の細胞(=生殖細胞・種子)が設計図に従って本体にまで構築・成長するように、あらかじめ事前に記述されたプログラムです。生命が発生した起源当初はそんな複雑なシステムは無かったのではないかと思います。起源当初は、細胞分裂するように単純に自分自身をコピーする自己複製だったのではないかと思います。(もっとも、自己複製から遺伝子システム構築へジャンプアップする過程を解明することも極めて難しいとは思います。)(*6)

それは、福岡伸一 氏の「生物と無生物のあいだ 」で言われている動的平衡がその自己複製の能力ではないかと思います。もっとも動的平衡そのものの仕組みについてはよく分かりません。一部の遺伝子を破壊してもその欠損を補ってしまうノックアウトマウス のような例を見ると、生命システムは物質的なレベルでのシステムを超えているのではないかとさえ思えてきます(*7)。オカルト的に考えると、霊魂がまるで自らの意思で生命システムを維持しているようにさえ思えます…。(*8)

生命は機械ではない。
・・・・・・
私たちは遺伝子をひとつ失ったマウスに
何事も起こらなかったことに落胆するのではなく、
何事も起こらなかったことに驚愕すべきなのである。
動的な平衡がもつ、やわらかな適応力となめらかな復元力の大きさにこそ
感嘆すべきなのだ。

(福岡伸一「生物と無生物のあいだ 」より抜粋)

(*1)ただし、プラナリア のような強力な再生能力を持つ生物もいるので分かりません。ちなみにプラナリアのある遺伝子を阻害してやると脳だらけ になるそうですが、ある意味、遺伝子とは制約条件のコードなのかもしれません。女性のXX遺伝子に対して男性のXY遺伝子は情報量が少ないので、男性はそれだけ制約条件が少なく、生物的に自由に生きたりするのかもしれません(笑)。

(*2)黄教授のES細胞そのものを増殖できるという捏造事件 は、生命の創造にも似た話なので、最初からおかしい話に思えます。

(*3)生命エネルギーなどという言い方は物理学者からはお叱りを受けそうですが、かなり無理がありますが、語源のエネルゲイア はむしろ生命エネルギーに近い概念から出発しているのではないかとも思います。また、極端な例え話ですが、受精卵の遺伝情報を自由に書き換え可能と仮定すれば、マウスの受精卵の遺伝情報を人間の遺伝情報に書き換えてやれば、マウスを両親に持つ人造人間を作り出すことができるのかもしれません。ただし、そこでもし、生命エネルギーというものがあるのだとすれば、マウスの受精卵の生命エネルギーが人間の遺伝情報に従って実際に細胞分裂を実行できるだけのエネルギー量を持っているかどうかが問題になるのではないかと思います。

(*4)例えば、いくらナノテクノロジー が進歩して精密に有機物を組み立てても、自動車を組み立てるように、生きた生命体を組み立てることはできないのではないでしょうか。組み上がったものは、動かない生命体、つまり死体ではないでしょうか。生きた生命体を作り上げるには根本的に何かが欠けているのではないでしょうか。あるいは、生命は地球の外から飛来した可能性もあると思います。あるいは、最初の生命体は不死の存在だったのかもしれません。あるいは、サタンのように多品種の子を生み落とすばかりの母体的生命体だったのかもしれません。

(*5)ちなみに卵子や精子は単体では生命といえるかどうか微妙です。ウィルス は遺伝情報を持っていますが、ウィルスそのものは生命ではありません。遺伝情報を運ぶという点では、卵子や精子はウィルスに似てはいますが。ところで、余談ですが、輪廻に意味があるとしたら、ひとつは次の言葉ような意味なのかもしれません。

図書館は無限であり周期的である。
どの方向でもよい、永遠の旅人がそこを横切ったとすると、彼は数世紀後に、
同じ書物が同じ無秩序さでくり返し現われることを確認するだろう。
くり返されれば、無秩序も秩序に、「秩序」そのものになるはずだ。

ホルヘ・ルイス・ボルヘス 「バベルの図書館 」より抜粋)

(*6)なぜなら、生物は自己と外部を区別して、食物を取り込んで自己の身体したり、不要物として排泄したりする認識力があります。その認識力によって自己を複製できるのではないでしょうか。



(*7)個々のケースでは部分的に解明されるかもしれません。科学的アプローチとしては全く正しいのですが、北野宏明 氏のいうようなロバスト性 というものを生命システムは超えているのではないかと思ってしまいます。

(*8)福岡伸一氏のいう動的平衡はもう一つのオートポイエーシス論 とでも呼べそうでとても興味深いです。そして、「生物と無生物のあいだ 」のエピローグは生命に対して至言とも呼べるような極めて含蓄の深い言葉で綴られています。

(*9)余談ですが、福岡氏やノーベル賞受賞者のマリス 博士の環境への考え方はとてもユニークです。

われわれ人間は実はアリ同然の無力な生き物であることを忘れてはいけない。
たとえ信仰の言葉が力をもたなくなったとはいえ、人間が神になったわけではない。
この地球の主は人間であり、諸般の事物を見守る使命があると考えるのは誤りだ。
現在の気象は、たまたまこうなっているだけのことである。
今後、それをずっと保全していこうと考えるのはあまりに傲慢である。
人類が地球のすべてを支配し、すべての環境と生物は今後ずっと不変不滅である、
そうして輝かしい二十一世紀を迎える、どんな生物も絶滅させてはならない。
それは新しい生物を受け入れないと言っているに等しい。進化論の否定である。
国立環境庁と国連気候変動調査委員会は一緒になって
進化の終焉を唱えているとしか考えようがない。

キャリー・マリス 「マリス博士の奇想天外な人生 」より抜粋)

氷河期、地球は今よりも摂氏二十度も冷えていた。
現在、われわれは間氷期と呼ばれる気候に生活しており、
これは人類史にとって一種の夏休みである。
・・・・・・
われわれは次の氷河期に向かいつつあり、
そこでは現在のような温暖な気候は期待できない。
むしろ氷河期のような気候こそが地球の歴史の大部分を支配していたのである。

キャリー・マリス 「マリス博士の奇想天外な人生 」より抜粋)

(*10)さらに余談ですが、マリス博士の薬物への考え方もとてもユニークです。

深刻な問題は、LSDの力を借りて真摯に物事を探求していた人々の
研究活動や芸術活動に終止符をうってしまったことである。
現在でも許可を受けてLSDの作用を研究している科学者はいるだろう。
しかし彼らはLSDを服用したこともなければ、
LSDのなんたるかも全く分かっていない連中なのである。
薬物に関しては、科学書籍まで検閲を受けることになった。
こんなことは歴史上初めてのことである。
「有機化学事典」のような化学合成の標準的な参考書からも、
LSDとメタンフェタミンの記述すべてが削除された。
なんという暴挙だろう。
一群の化学物質が、突然この世から消されてしまったのである。
アメリカの暗部はさらに闇を増しつつある。
……
どの薬物体験もそれぞれ味がある。
いずれも興味深い体験であることは確かだが、
いつもいつも楽しいものとは限らない。
私も何度か非常につらい目にあった。

キャリー・マリス 「マリス博士の奇想天外な人生 」より抜粋)