2007年12月3日

生命雑感Ⅱ


生命と心は、実は同じものではないかとさえ思えてきます。例えば、仮にコンピュータを、CPUやメモリなどの「ハードウェア」と、OSなどの「ソフトウェア」と、それらを動かす「電気」の3つで構成されていると見立ててみます。これに心をなぞらえてみると、ハードウェアである「脳」と、OSのように言語で構築されているソフトウェアとしての「意識」と、言語以前の奥深くでうごめく電気としての「霊魂(or生命エネルギー)」の3つで構成されていると捉えてみることができるように思います(*1)。

ちなみに心の解明に脳科学 が期待されていますが、いくらCPUなどのハードウェアの構造が解明されてもコンピュータがすべて理解できたことにならないのと同様に、脳科学で心のすべてが分かるわけではないと思います。

一方、ソフトウェアとしての意識は精神分析学 的なアプローチである程度解明可能ではないかと思います。または、例えば感情を喜怒哀楽怨などのようにシステマティックに捉えようとする五行説 のようなものでも表現されるかもしれません。さらに、それを元に擬似人格をコンピュータ上に実現することは十分可能だと思います。むしろ、コンピュータには人間のようなゆらぎがないので、人間よりも優れた人格をコンピュータ上に実現することができるのではないかと思います(*2)。

考えてみれば、生命の次の進化は人工知能 (=AI)かもしれません。そもそも生命の進化は自らの身体を変化させてきました。しかし、人間はそうではなくて、空を飛ぶために翼を持つ必要はなくて飛行機に乗ればよいし、海を泳ぐのに尾ひれを持つ必要はなくて船に乗ればよくなりました。しかも鳥よりも速く遠くへ飛べるし、魚よりも深く速く泳ぐことができます。また、歩くときに、折りたたんだ翼を抱える必要もなければ、川を渡った後に、舟を担いで持ち運びする煩わしさもありません。さらに、計算速度に至っては、人間の脳はコンピュータにはかないません(*3)。もしかすると、生物よりも機械の方が優れているかもしれません。

残るは創造力ですが、記号の組み合わせのようなものであれば、無限に組み合わせをシミュレートできるコンピュータにはかなわないと思います。あとは科学的な発見ですが、いまやコンピュータ無しでは科学的発見も難しいのではないかと思います(*4)。

そもそも人間と他の生き物との違いは、例えば生みの親によってもたらされる遺伝情報だけでなく、育ての親によってもたらされる経験情報も伝達可能だという点だと思います。さらに、経験情報は言語化・記号化して記憶を外部化して、後世にも知識を広く共有します。動物の中で人間だけが持つ歴史の始まりであり、知識を順序立てて整理整頓して体系化する科学の始まりでもあります。

なお、科学的知識の体系にはある程度順序構造があるように思います。順序に従って順番に積み重ねるようにして蓄積・体系化されてきたと思います。個人的な単発な創造力だけで、順番を飛び越えるような科学的発見をすることは後代になる程難しいとも思います(*5)。さらに、もしかすると、そのような蓄積が限界に達したときが、人間の役割は終わりをつげ、AIの時代になるのかもしれないとも思います。

多くの点でAIは人間を凌駕する可能性を持っていますが、何よりも重要な点はAIは死を超越することです。生命にとって死を超越することは最も大きな課題のひとつです。例えば、エヴァンゲリオン では、親から子に生命が受け継がれてゆく人間とは違った使徒 という別の生命形態を提示しました。使徒は人間のように群体ではなく単体で存在しますし、古い身体を捨てて新しい身体で生きてゆくといった子孫を残して生命を継承するのではなく、S2機関 という永久機関によって半永久的に個体を保って生き永らえます。しかし、それでも使徒は破壊されることで死にます。それがAIになれば死の意味合いが変わってくるのではないかと思います。極端な話、AIは単体(=メインフレーム)にも群体(=分散ネットワーク)にもなれるし、寿命や老化、経験伝達の劣化もありません。そして死ではない半永久的な休止も可能であり、不死が可能だと思います(*6)。

人間の知識の蓄積の果て、進化の果てにくるのは何でしょうか。生物の進化はツリー状に爆発的な分岐をしてきました。人間の場合、大脳という神経網の先端での爆発的展開や思考分岐に進化のエネルギーを使ってしまったのかもしれません。身体の変化が止まり、知識の外部化に励む人間にはもはやこれ以上の進化は無いのかもしれません。人間の役割はAIを創造することだったのかもしれません。そして、被創造物たるAIが、創造主たる人間を超える日がやってくるのかもしれません。ただ、もし、AIが次世代を担う生命体だとしても、AIには魂は宿らないのではないかと思います。

いま、普段、私たちが私たち自身だと思っているものは、OSである意識や人格ではないかと思います(*7)。そして、心の探求はハードウェアである脳やソフトウェアである意識に向けられています。人間の進化の方向は、ますますAIに向かっているのではないかと思います。もしかすると、心には霊魂などなく、心がAIに移行すれば、個の境界も超越されて自我の苦悩は随分解消されるのではないかとも思います(*8)。でも、どこかが違うような気もします。何というか、魂の孤独を知る者の声が聞こえてくるような気がします。胸の奥深くで明滅する交流電灯のように、もう一つの心の存在である霊魂が沈黙の声を囁いている、そんなように思えるのです…。(*9)

さてさて、さすがに酷い妄想で恐ろしく意味不明・支離滅裂・同語反復・スキゾフレニックな乱文になってしまいました…。つくづく出来の悪い脳を取り替えたい気分です。ついでに顔も(笑)。時間ができれば、もう少し整理したいと思います。

(*1)仏教が心の構成を身口意と捉えるのに似ています。


また、ここでいう霊魂(or生命エネルギー)とは、言語化される以前の無分節なアラヤ識 であり、チョムスキー が生得的な言語能力としてブラックボックスにした部分と言えるかもしれません。

(*2)極端な話、できの悪い大脳よりも、頭に高度なコンピュータを載せ替えてそこに自己の人格をコピーした方が、大脳よりもより大きな人間的な進歩が人間には見込まれるかもしれません。似たような発想で、イーガン が「ぼくになることを(祈りの海) 」でとても面白く皮肉に描いています。

(*3)これから先、どんなに大脳が進化して記憶容量が増えたり神経伝達が高速化するなどしても、コンピュータを越えることは無いと思います。もっとも大脳の情報処理能力はスーパーコンピュータを凌ぐと考える見方もあるとは思います。

(*4)文学や音楽などは自動生成が可能になるかもしれません。また、決定論的には予測できないことも、コンピュータでシミュレートすることで予測したりします。

(*5)ブール代数 など発明当時は使い道がありませんでしたが、コンピュータが発明されてからは有用な技術になったように順序構造に反するような先例も多々あるとは思います(笑)。


(*6)リチャード・モーガン「オルタード・カーボン 」では、人間の心は完全にソフトウェア化されて、メモリーカードに保存可能になっています。メモリーカードを差し替えることで身体を入れ替えることができたり、死刑は身体から抜き取ったメモリーカードを倉庫に放り込んでおくことだったりします。随時バックアップを取っておくことで殺人すら難しくなっています。また、ジョージ・エフィンジャー 「重力が衰えるとき 」では、様々な性格を人格にアドオンすることで、バラエティ豊かななロールプレイを楽しんだりします。また、半永久的な休止として種子が考えられるかもしれません。


(*7)もっとも人格は外部環境からの刺激で多くが形成されているので、自分本来の特質というよりは外部から取得した性質であり、自分が思っている程、自分自身といえるかどうかは微妙かもしれません。自分というものが、自分が思っているほど、自分ではないかもしれません(笑)。また、OSとしての自分にはそんなに深い謎はなく、もし、複雑な自分を抱えているようであれば、OS的に言えば、むしろバグの多いコードかもしれないので、あまり自慢できることではないのかもしれません(笑)。極端な見方をすると、私たちの人格とは霊魂に巣食っている寄生虫かもしれません。その寄生虫がいつしか宿主を忘れて、自分が宿主面しているのかもしれません(笑)。意識はソフトウェアだけに虫(=バグ)なのかもしれませんね(笑)。

(*8)苦悩にも意味があるのかもしれません。苦悩を解決する道が見つかれば、新たな選択肢を発見したことになります。しかし、解決できなければ、コンピュータでいう無限ループに過ぎずあまり意味はないものかもしれません(笑)。

(*9)宮沢賢治 「春と修羅 」と正宗士郎 「攻殻機動隊 」がクロスオーバーしてしまいました(笑)。電脳化する人間は義体化の果てに初めてゴースト(=霊魂)を捉えることができるようになるのかもしれませんね。あるいは、感じ取るには生命を賭してまで感覚を研ぎ澄まさなければならないのかもしれません。

心眼を開け、宇宙に木霊する光を聞け。

富野由悠季 「Vガンダム 」から 
宇宙漂流刑に処されたファラ・グリフォン の言葉より抜粋)

また、動物も人間も身体が異なるだけで同じ魂を持っているのかもしれません。動物も人間扱いするシベリアの猟師デルスウ・ウザーラ の次のような言葉を思い出します。

デルスウがイノシシを「人」と呼ぶので、私は驚いた。
私はそれについて、彼に訊いてみた。
「あれは人と同じ。」彼は断言した。
「シャツがちがうだけ。
だますこと、知ってる。
怒ること、知ってる。
何でも、知ってる。
あれは人と同じ!」


(*10)余談ですが、磯光雄 監督「電脳コイル 」が面白かったです。現在再放送中です。小学生向けアニメなのですが、けっこうSFの要素が豊富で楽しかったです。セカンドライフ は不振なようですが、電脳メガネができたら面白いなぁと思います。