2009年7月20日

『朗読者』を読む その2


■私的解釈
ネット上でこの小説に関するいくつかの感想文を読んだのですが、この小説をホロコースト をテーマとした物語として捉える解釈が数多くありました。確かに、この小説においてホロコーストは重要なポイントですが、一番重要なポイントではないと私は思います。また、文盲を隠したハンナの頑ななプライドを一番のポイントに考える解釈もありましたが、それも違うのではないかと思います。では、何が一番重要なポイントなのでしょうか?私には、この小説は直感と言葉の物語に思えるのです。直感の女ハンナと言葉の男ミヒャエルの物語に思えるのです。つまり、この小説を読み解く最大のポイントは、ハンナの直感にあるのだと思うのです。

そこで、ハンナの直感を主眼に据えて、この小説を読み解いてみようと思います。このポイントから解釈することによって、次の2つの疑問について答えることができると思うのです。その疑問とは、ハンナはなぜ裁判で文盲を隠したのか?そして、ハンナはなぜ自殺したのか?という疑問です。

■鍵概念
ここでは、実際の読解に入る前に、解釈のための2つの鍵概念について書いておきます。
それは①直感と②現実と言語の関係です。

■直感とは何か
謎の女性ハンナ。私にはこのハンナという女性が、とてもとても強い直感力を持った女性に思えてしかたありません。なぜかというと、ミヒャエルとの最初のなれそめの時、引越の前日にプールサイドで会った時、ミヒャエルと刑務所で最後に会った時など、すべてハンナの直感が働いているように感じられるからです。そして、もっと言えば、まるで魔女のような女性に思えてなりません。

そこでまず、直感とは何でしょうか。
直感とは対照的な能力である言語能力と比較して考えてみるとイメージしやすいかもしれません。言語能力とは何かというと、「AはBである」という置き換えが言語能力です。例えば、「君はぼくの太陽だ」というとき、君を太陽に置き換えているわけです。では、直感はというと、「AはAである」ことをそのまま直接知るというのが直感です。「君は何ものにも例え難い君である」ことを知ることです。君の本質や実存などすべてを掴むことです。君の全体性を知るとでもいうのでしょうか…。しかも、どちらかというと瞬時に、です。説明が難しいですが…。(あとで再度説明します。)

また、直感は非-論理的かというと必ずしも非-論理的ではないと思います。むしろ、超-論理的というべきでしょうか。通常、論理的とは、原因と結果の因果関係を明確に言葉で表現できることを言いますが、原因と結果の間に何らかの因果関係や複雑に絡み合った因果関係が働いているのだけれど、それを明瞭な言葉で表現できはしないけれども、確かに原因と結果の間には何らかの因果関係があると確信できるのが直感ではないでしょうか。ですから、直感は非-論理的なのではなく、むしろ、超-論理的なんだと思います。

■直感知と言語知
直感について、少し切り口を変えて、男女差を加えて考えてみます。
まず、生物としての人間の基本型は女性だと思います。なぜなら子を産む機能があるからです。比べて男性は女性から変形的に派生した派生型に思えます。よって、「本来的・先天的・中心的な能力」と「派生的・後天的・周縁的な能力」を比べた場合、前者は女性が優れ、後者は男性が優れているように思えます。

具体的に言えば、生まれてからの学習を必要としない直感力は、先天的・中心的な能力であって、女性が優れていると思います。逆に、生まれてから後の学習を必要とする言語力は、男性が得意な場合が多いと思います。そもそも人間は言語を覚えて生まれてくるわけではなく、生まれた後に言語を習得します。つまり、言語という”道具”の使い方を学ぶわけです。(男性自体もどこか道具のようなもので、種の母体である女性を保存するために使い捨てられる運命にあるように感じます(笑))
ともかく、知には直感知と言語知があると極端に考えると、図1-1のようになります。補足ですが、唯識的に考えれば、通常は図1-2のように「非言語領域→言語領域」(=言語アラヤ識)から「言語知」が立ち上がってくると思いますが、直感知は、図1-1のように、直接、非言語領域からもたらされる知だと思います。


■触覚と視覚
ところで、直感と言語以外にも男女差があるものに、触覚と視覚があります。
触覚と視覚を比較した場合、生物にとって視覚はカンブリア紀 以降に備わった知覚であって、それまでは触覚が生物が世界を感じ取る基本的な知覚でした。生物は、長い間、視覚を持たないで、暗い闇の世界としてこの世界を知覚しており、「直接触れることで知る」という触覚を通して外部=世界を知覚していました。つまり、生物にとって基本的な知覚は、まず触覚であって、その後に付随して備わったものが視覚だと考えられます。そして、この2つを比較した場合、基本的知覚である触覚は女性が優れており、派生的知覚である視覚は男性が優れていると思います。

その違いが端的に表われているのがセックスの違いではないかと思います。
一般的に言って、接触という側面では、セックスをよく知っていて上手なのは女性の方ではないかと思います。セックスにおいて男女が触れ合うとき、女性の方が、触覚からより多くの情報を得て情報処理して、より多くの快感を導き出せるのではないでしょうか。女性の方が繊細かつ微細に接触して、相手に快感をもたらしたり、自ら快感を感じたりできるのではないでしょうか。少なくとも触覚による感受力・情報処理能力は女性の方が高いのではないでしょうか。

ただし、視覚については、色彩の知覚は女性が優れているから一概に男性が視覚優位とは言えないのですが、空間認識は男性が優れていると思います。

ですので、この小説でミヒャエルとハンナが深くコミュニケーションを取る方法が、セックスと朗読なのは偶然ではないと思います。直感の女性ハンナと言葉の男性ミヒャエルによる象徴的なコミュニケーション方法だと思います。男女差を極端にまとめると図1-3のようなイメージになります。


■シャーマンとは何か
それから余談ですが、魔女とは何かというと、女性のシャーマンのことです。では、シャーマンとは何かというと、ある特殊な能力を持つ人たちです。シャーマンの特殊能力は、おおまかにいうと脱魂と憑依の2つがあります。脱魂とは文字通り魂が身体から脱け出して飛び回ることです。また、憑依とは特殊な知覚が起こっている状態のことです。通常の知覚よりも、もっと直接的な知覚が起こっているらしいです。おそらく、憑依は直感に近いものがあるのではないかと思いますが、ただ、ここでいう直感よりももっと深いもの(=直観)のようです。なお、多くのシャーマンは召命(=巫病)によって選ばれてシャーマンになるそうです。(*1)

ちなみに、これらはそれぞれ種類の違うサイケデリックなドラッグによって体験可能なようです。ホウキに乗って空を飛ぶ魔女のイメージも特殊な軟膏をヘラで身体に塗るところから来たそうです。(*2)
さらに、特に欧州では、男性ではなく女性のシャーマン、すなわち魔女がシャーマニズムの基盤になっていたのではないかと思います。ただし、欧州に限らず世界的に見ても、女性は誰もがシャーマンの素養があり、女性はみんな魔女になれる可能性があるようです。

■ハンナの特徴
さて、ここまでずいぶん怪しげな仮定をものしてきましたが(笑)、これらの仮定をハンナに当てはめてみます。なお、ハンナは文盲であるため、通常の言語知よりも狭い言語知にならざるをえないのだと思います。しかし、その反面、不十分な言語知を補うために普通の人以上に直感知を働かせる必要に迫られ、通常よりも直感力が発達したと思えます。これを図にすると、図1-4のようなイメージになります。よって、ハンナの特徴としては、通常よりも直感知が広範である点と言語知が狭量である点が出発点になっているのではないかと思います。


■現実と言語の関係
次に、もうひとつの鍵概念について考えます。それは現実と言語の関係です。
端的に言えば、図1-5のようになります。


現実という球体を表現するために、言語という切断面(=平面)で表現しても、それは現実を一面的にしか捉えたことになりません。CTスキャンのように多くの切断面を積み重ねて捉えれば現実を捉え切れるかというと、やはり切断面と切断面の隙間からこぼれ落ちる現実があると思います。それに、一定方向からのスライスではなくて、あらゆる角度からのスライスが必要となると思います。さらに、この図では現実を3次元体で表現しましたが、実際の現実は物理的な意味(=次元)だけでなく、人間的な意味(=次元)も持つので3次元以上の多次元体だと思いますから、切断面をいくら積み重ねても現実を完全には捉え切れないと思います。現実と言葉の関係上、無限に言葉を積み重ねて現実を埋め尽くそうとしても、結局、言語で現実を完全に表現し尽すということはないのだと思います。現実を言語で記述しても必ず隙間があって、その隙間から現実がこぼれ落ちてしまうのではないでしょうか。

もちろん、だからといって言語を否定しているわけではありません。
私たちはたとえ不完全でも言語に頼らざるを得ないからです。ただ、不完全であることを自覚しておく必要はあると思います。そして、この小説では、ホロコーストという過去の現実を実際に裁くことの困難さが、現実と言語のこの関係から浮かび上がってきます。

さらに、現実を変えるためには言葉より行動が大切だということもこの小説を通して知ることができると思います。この小説には「現実を言葉で仕切ってゆく」職業が3つ登場します。それは、哲学者(=父)と法律家(=裁判官)と歴史家(=法史学者としてのミヒャエル)です。彼らが裁判という現実を通して、どうなって行くのかも、この小説の見所です。そして、何よりもハンナの秘密を知るミヒャエルに深く関わっています。

■全体主義の問題
これまで、再三、この物語の最重要ポイントはホロコーストではないと言ってきました。しかし、やはり、ホロコーストの問題、すなわちナチの問題=全体主義の問題は重要なテーマであることには変わりはありませんので、この問題についても解釈の中で折に触れて考えてみようと思います。ここでは、ひと言だけいっておくと、ナチの問題、すなわち、全体主義の問題はドイツ人だけの問題ではなく、全人類の問題だということです。人間誰もの中に内在する問題であり、誰もが陥るかもしれない危険な問題だということです。

■物語の問題構成
この物語は、図1-6のように、ハンナの心理、ミヒャエルの心理、ナチ問題、ミヒャエルを取り巻く周囲の人々で問題が構成されています。


ハンナ以外の人物は比較的簡単に理解することができると思います。なぜなら、言葉で記述されている通りを理詰めで読み解けばいいからです。また、ナチ問題は全体主義の抱える問題として、ある程度一般化して考えることが可能だと思います。しかし、ハンナだけは、彼女を理解するために彼女の行動やわずかな言動から推量しなければなりません。すなわち、ハンナを理解することがこの小説の最大のポイントであり、読解を最も困難にさせている点でもあります。そして、その鍵がハンナの直感だと思います。

■読解するときの注意点
最後にこの作品を読解するときの注意点を書いておきます。この物語はミヒャエルの独白で語られています。つまり、ミヒャエルの視点で書かれています。したがって、ミヒャエルがそう思って書いただけで、それが真実かどうかは分からないものがあります。例えば、ミヒャエルは裁判でハンナが文盲を隠した理由を「恥ずかしいから」と決めつけていますが、果たして本当にそうだったのでしょうか?つまり、ミヒャエルの断定を読者がそのまま肯定してしまうことは誤読になる可能性があります。実際、結末まで読むとミヒャエルがハンナを理解していなかったがために、ハンナを誤解していたばかりに、最後のような結末になったともいえます。ですから、読者は読解の際にはミヒャエルの考えをそのまま受け入れずに、いったん突き放して客観的に考えなければなりません。

それでは、おおよその下準備もできましたので、実際に作品の解釈に入ってゆこうと思います。

(*1)佐々木宏幹「シャーマニズムの世界」参照
(*2)西村佑子「魔女の薬草箱」参照

2009年7月19日

『朗読者』を読む その1


ベルンハルト・シュリンクの小説『朗読者』を読みました。たいへん面白かったです。
そこで、この作品について私なりの解釈・感想を書いてみようと思います。ただし、完全にネタバレ全開で書きますので、小説を未読の方はこの記事を読まないようにして下さい。必ず、小説を一読後に記事を読むようにして下さいね。なお、テキストのページ数は新潮文庫版を使います。

まず、解釈に入る前にあらすじを書いておきます。書いてみたら長くなったので、あらすじというより要約かもしれませんが、小説を既読のひとは読み飛ばしても構いません。

■あらすじ
第1部

15才の少年ミヒャエルは、ある日、下校の途中に急に気分が悪くなって吐いてしまいます。そして、苦しくて、その場にへたり込んでしまいます。偶然、そこを通りかかったハンナがミヒャエルを介抱してくれてます。ハンナは泣き出してしまったミヒャエルを「坊や」と言って抱き締めてなだめ、家まで送ります。実はこのときミヒャエルは黄疸に罹ったのでした。約5ヶ月後、病気が治ったミヒャエルは助けてもらったお礼にハンナを訪ねます。ハンナの家でミヒャエルは型通りのお礼を終えて帰ろうとしますが、ハンナから自分も外出するので一緒に家を出ようと言われ、ハンナが着替えるのを待つことになります。ところが、ミヒャエルはハンナの着替えを偶然覗いてしまいます。ミヒャエルはハンナの着替え姿に見入ってしまいますが、ハンナに気づかれてしまい、気まずくなったミヒャエルは慌ててハンナの家を飛び出します。

ミヒャエルはハンナのことが忘れられず、どうして良いのかも分からぬまま、一週間後、再びハンナの家を訪ねます。ハンナは留守だったので、ミヒャエルは家の前でハンナを待つことにします。すると仕事から帰ってきたハンナが階下からコークスを運んで上がってきました。突然のミヒャエルの訪問でしたが、ハンナは特に驚いた様子も見せずにミヒャエルに残りのコークス運びを指示します。ミヒャエルは言われた通りコークスを運びますが、炭で全身真っ黒になってしまいます。ハンナは汚れたままでは家に帰せないと言って、炭を落とすためにミヒャエルにお風呂を浴びさせることにします。ミヒャエルは服を脱ぐのを恥ずかしがりますが、ハンナが気づかってミヒャエルの裸を見ないようにしてお風呂に入れます。ミヒャエルがお風呂から出ようとしたとき、お互いが見えないようにハンナがバスタオルを広げて持って来て、ミヒャエルをバスタオルですっぽり包みます。ところが、次の瞬間、ハンナはバスタオルを足元に落とします。そして、いつの間にか全裸になっていたハンナは「このために来たんでしょ!」と言ってミヒャエルを抱きしめます。こうしてハンナとミヒャエルの関係が始まります・・・。

この次の日からミヒャエルは病気で休んでいた学校に再び通い始めますが、最後の授業をサボってはハンナと会って逢瀬を重ねるようになります。何度か逢瀬を重ねた頃、ミヒャエルはハンナの名前を尋ねます。一瞬、ハンナは名前を尋ねられたことに戸惑います。しかし、恋人同士なら当然ということで、次第にお互いのことを話すようになります。次にミヒャエルの勉強に話が及びますが、勉強をサボっているので自分は落第するだろうとミヒャエルが言うと、ハンナは急に不機嫌になって勉強の大切さを説いて、今後は勉強することを条件にミヒャエルが訪ねてくることを許します。

その翌日、ハンナとの会話で学校の勉強に話が及んだとき、今読んでいる本の話になって、ミヒャエルは教科書を朗読することになります。ところが、朗読はその日にとどまらず、その次からも「まずは本を読んでくれなくちゃ!」とハンナに言われて、セックスの前に朗読することが二人の決まりになってゆきます・・・。

そんなある日、ミヒャエルはハンナを驚かせてやろうと、早朝にハンナが車掌をしている二両編成の電車に乗り込みます。ミヒャエルはハンナを驚かせ、さらに電車内でもハンナと気兼ねなくキスができるようにと、後部の車両に乗ります。ところが、後部車両にミヒャエルの姿を見つけたハンナは、ミヒャエルにはまったく近づかずに、逆に運転手と親しげに話し出します。予想外にもハンナに無視されたミヒャエルは落ち込んで、その日の遅くにハンナの自宅を訪れます。ミヒャエルは「どうして自分を無視したのか?」と訴えますが、逆に「無視したのはミヒャエルの方じゃないの!」とハンナから責められます。お互いに無視したということで二人は喧嘩になりますが、結局はミヒャエルが一方的に謝ることで仲直りします。しかし、仲直りしたものの納得できなかったミヒャエルはそのことを手紙に書いてハンナに渡しますが、ハンナはその手紙を完全に無視します。

復活祭の休暇で、二人は泊りがけの自転車旅行に出かけます。
旅行中にちょっとした事件が起こります。ミヒャエルは、朝食をとりに出かけるために、その旨をメモに書いてハンナを残して部屋を出ます。ところが、用事を済ませたミヒャエルが部屋に戻ると、ハンナはミヒャエルが黙って出かけたと凄い勢いで怒っていました。怒りのあまりハンナはミヒャエルをベルトでぶって泣き崩れてしまいます。ミヒャエルはメモを残しておいたはずだといいますが、おかしなかことにメモは残っていませんでした。結局、ここでもミヒャエルが一方的に謝ってハンナをなだめます。この頃から二人のセックスは片方が相手を利用するものではない、互いを尊重するような愛し方に変わってゆきます。

また、この旅行の最中に一晩だけ、家族が留守中のミヒャエルの自宅に泊まります。
そして、哲学者である父の書斎にハンナを案内したときに、ハンナにせがまれてミヒャエルは父の書いた本を読まされます。ミヒャエルは、父の書いた哲学書を読んではみたものの内容はさっぱり分かりませんでした。一方、ハンナは「あんたもいつかこんな本を書くの?」と問うのでした・・・。

やがて、新年度がはじまり、ミヒャエルの前にゾフィーという同級生が現れます。
この頃、ミヒャエルは、学校が終わると、プールサイドへ行って宿題をやったり級友と遊んだりしたあとに、ハンナに会いに行くようになっていました。ミヒャエルの級友はプールサイドで長く遊んでいたのですが、ミヒャエルだけはハンナに会うために早々と引き上げるのが習慣になっています。ミヒャエルはゾフィーと親しくなりますが、ミヒャエルは自分にはハンナがいることをゾフィーには話さずに済ませてしまいます。一方、その頃のハンナは理由不明のまま非常にナーバスになっていました。(後に判明しますが、この頃、ハンナには車掌から事務員に昇進する話がきていました。ただし、筆記試験を条件に。)

そんなある日、突然、ハンナは吹っ切れたように、ミヒャエルをお風呂にいれて体をきれいに洗い、これまでにない激しいセックスをします。そして、その後に「さあ、友達のところに行きなさい」とミヒャエルをプールに送り出します。ミヒャエルがプールに戻っていつものように友達と語らっていると、遠くにハンナらしき人影が見えます。そのときミヒャエルはハンナに駆け寄るべきか一瞬ためらって視線をそらしてしまいます。再びミヒャエルがハンナの方に視線を振り向けたときには、もうそこにはハンナの姿はありませんでした。その翌日、ミヒャエルには何も知らされないまま、ハンナは突如引越してしまいます。ハンナはミヒャエルの前から忽然と姿を消してしまったのでした・・・。

第2部

ハンナの失踪から7年が経過しました。
ミヒャエルは法学部の学生になっています。そして、ミヒャエルはゼミの一環で裁判の見学にゆくことになります。それはナチのユダヤ人収容所に関する裁判のひとつでした。ところが、そこでミヒャエルは被告席にいるハンナを見つけます。実はハンナは過去に収容所の看守をしていたのでした。看守たちの罪状は2つあり、1つはアウシュビッツ収容所にユダヤ人を送った罪でした。もう1つは、囚人の移送中に起こった事件で、囚人たちが宿泊していた教会が空襲されて炎上したとき、燃えさかる教会に囚人を閉じ込めたまま見殺しにしたという罪でした・・・。

さて、裁判が始まるもののあまりにも長い時間を要するために、人々は裁判への集中力が欠いた状態になってゆきます。そんな中でも、ハンナは裁判の中で正直に振舞っていました。ハンナ以外の被告人たちは自分に不利にならないように誤魔化そうとするのですが、ハンナだけは事実に反する箇所は正し、正しい箇所は自ら正直に認めていました。

そんな中、裁判はアウシュビッツへ送る囚人たちの選別について審問が及びます。
ハンナは新しく送られてくる囚人を収容するために、今いる囚人を送り出さなければならなかったと言います。それに対して裁判長は「選別されてアウシュビッツへ送られれば、囚人たちが処刑されるのは分かっていたはずだ。選別するということは囚人たちに『おまえは死ね』と言うようなものではないか!」といって選別を行ったハンナを責めました。それに対してハンナは「わたしは・・・わたしが言いたいのは・・・あなただったら何をしましたか?」と逆に裁判長に質問してしまいます。被告人が裁判長に対して質問することなどありえないことでしたが、ハンナのこの問いかけに、聴衆は静まりかえって裁判長の答えをかたずを呑んで見守ります。少し間をあけて裁判長は「この世には、関わり合いになってはいけない事柄があり、命の危険がない限り、遠ざけておくべき事柄もあるのです」と答えます。聴衆は裁判長のこの答えに落胆します。しかし、ハンナだけは、この言葉を聞いて真剣に考え込んでしまいます。「じゃあわたしは・・・しない方が・・・ジーメンスに転職を申し出るべきじゃなかったの?」そういってハンナは繰り返し繰り返し自問するのでした・・・。

さらに裁判は、選別を行ったのは、ハンナひとりの判断なのか、全員の判断なのかが取り沙汰されます。
そのとき、生き残った犠牲者から新しい事実が報告されます。その犠牲者の報告によると、ハンナは囚人たちの中から体力の衰えた女の子を選んで働かなくても良いように取り計らい、夜になるとその子を自室に呼び出して本を朗読させていたというのです。その事実が犠牲者の口から報告されると、ハンナは後ろを振り返ってミヒャエルをはっきりと見たのでした!実はハンナはミヒャエルが法廷にいることをずっと気づいていたのでした!

裁判はさらに進行します。
今度は囚人たちを助けずに焼け落ちる教会の中に見殺しにしたことに審問が及びます。裁判長は問います。「教会が火災になったとき、なぜ、扉を開けなかったのか?」他の看守たちはその場にいなかったことを主張しました。しかし、当時の報告書が残っており、その報告書によると看守たちはその場に居合わせたことになっていました。つまり、看守たちの主張と報告書の内容に食い違いが生じているのです。看守たちは報告書がデタラメだと主張し、看守の一人が報告書を書いたのはハンナだと主張しはじめました。それに対してハンナは報告書はみんなで書いたと主張します。看守たちの主張とハンナの主張が食い違うので、裁判長はハンナに文字を書かせて報告書の筆跡鑑定を行なうことを提案します。ところが、筆跡鑑定されることに困惑したハンナは、それまでの主張を翻して、自分が報告書を書いたと急に認めてしまいます・・・。

この報告書の一件を見ていたミヒャエルは、ハンナが隠している、ある重大な秘密に気づきます!
それはハンナが読み書きのできない「文盲」であることです!ミヒャエルはハンナと過ごした過去の日々を思い出します。一緒に旅行に行ったときに読み書きに関わることは全部自分がやらされていたことや、手紙を無視されたこと、メモが紛失したことなど、全部、ハンナが読み書きができないためだったり、それを隠すためだということに気づきます!また、ジーメンスからの転職や昇進試験を蹴って引越したこともすべて文盲がバレるのを恥じたからだと。そして、だからこそ、ハンナはミヒャエルに朗読させたのだと!

しかし、この報告書の一件以来、裁判はハンナにとって不利に進んでゆきます。
ミヒャエルはハンナが隠し続けている事実、「文盲」という事実を裁判長に言うべきか悩みます。そこでミヒャエルは哲学者の父に具体的な内容は伏せたまま、どうすべきかを相談します。父からのアドバイスは、隠している当人の意思を尊重すべきだが、その人を助けるためには当人と直接話し合うべきだと言われます。しかし、ミヒャエルが当人には直接会えないと言うと、父はミヒャエルを助けられないと言います。結局、ミヒャエルが無理にでも行動すべきかどうかは話し合われずに、父との相談は終わってしまいます・・・。

どうすべきか苦悩するミヒャエルは、収容所のことを現実感のない遠い過去のことではなく、もっと切実なリアルなものとして感じる必要があると考えて、実際に収容所跡を訪問することにします。ミヒャエルは収容所に行くためにヒッチハイクをしますが、偶然、乗せてもらった車の運転手が実はナチの元将校でした。道すがらミヒャエルは、この元将校から、収容所での虐殺にまったく反省のない非人間的な心情について聞かされることになります。

また、別の収容所へも行きます。
その帰りに食事に入ったレストランで、数人の酔っ払いにからかわれている老人に出くわします。見かねたミヒャエルは注意しようと行動に出ます。ところが、「やめろよ!」とミヒャエルが注意したら、どうしたわけか、からかわれていた当の老人の方が怒り出してしまいます。ミヒャエルは善意で行動を起こしたものの、予想外なちぐはぐな結果になってしまいます・・・。

さんざん悩んだ結果、ミヒャエルは今度こそはと意を決して裁判長に会いに行くことにします。
ところが、いざ裁判長に会ってみると、大学のゼミに関わることだけを話して、ハンナのことはまったく話せずに終わってしまいます・・・。

結局、ミヒャエルは何も行動しないまま、判決の日を迎えます。
その日、ハンナはナチの親衛隊に似た服装で法廷に現れます。このハンナの姿を見た聴衆は怒って罵声を浴びせます。しかし、ハンナはただ疲れた眼差しで誰も見ずにまっすぐ前を見つめるだけでした。そして、判決の結果、ハンナには他の看守たちよりも一段と重い終身刑が言い渡されたのでした・・・。

第3部

それから月日が経ち、ミヒャエルは同じ法学の修習生でゲルトルートという女学生と結婚して子供が生まれます。
しかし、彼女とは5年後には離婚してしまいます。離婚後もミヒャエルは幾人かの女性と付き合いますが、結局、長続きせずに別かれてしまいます。その原因はミヒャエルが付き合う女性の中にハンナを求めていたからでした。ミヒャエルはハンナをどうしても忘れられない自分に気づきます。

また、ハンナの裁判を一緒に見学したゼミの教授が亡くなります。
ミヒャエルはその教授の葬儀に出席しますが、参列者たちの弔辞から教授が孤立していたことを知ります。その葬儀で同級生と再会しますが、その同級生からは熱心に見ていたハンナとの関係を聞かれますが、ミヒャエルは無視しますが、ハンナのことを思い出さされます。法学の修習期間を終えたミヒャエルは、現場の法律職にはつかずに、法史学者という歴史の道を選びます。

離婚して独りになったミヒャエルは昔読んでいた「オデュッセイア」を読み始めますが、ハンナが忘れ難い女性であり、さらに自分の全人生においても、とても大きな存在であることを再び思い知ります。ミヒャエルはカセットテープに朗読を吹き込んで、刑務所のハンナに送り始めます。ハンナが服役してから8年目のことでした。

カセットテープを送り始めてから4年が過ぎたとき、突然、ハンナから手紙が届きます。
手紙には、「坊や、この前のお話は特によかった。ありがとう。ハンナ」と書かれていました。ミヒャエルは、ハンナが読み書きができるようになったことに驚きます。それからもハンナからは、簡単な文章だけれども、手紙が届くようになります。しかし、ミヒャエルの方からはテープは送り続けるものの、手紙を書くことは一切しませんでした・・・。

服役から18年目。
ハンナが服役している刑務所の女所長から手紙が届きます。その手紙には、ハンナの恩赦を願い出るので、身寄りのいないハンナの出所後の世話とハンナを訪問してほしいという依頼が書かれていました。ミヒャエルは女所長の依頼通りハンナの出所後の生活環境を整えはしたものの、ハンナには決して会おうとはしませんでした。そして、とうとう女所長から一週間後に釈放されるので必ず面会にきてくれと連絡が入ります。ミヒャエルは意を決してハンナに会いにゆきます。

ついに、ミヒャエルは刑務所でハンナと再会を果たします。
しかし、ミヒャエルはハンナが予想以上に年老いていることに驚いて落胆します。ミヒャエルはハンナに出所後の生活のことや今後の朗読のことについて話します。さらに、過去に犯した罪のことについても短いながらも言葉を交わします。そして、最後に「元気でね、坊や」とハンナに言われて別れます。

出所の前日、ミヒャエルはハンナと電話で話します。
実は女所長からハンナが出所の準備不足で心配だと言われたのでした。ミヒャエルは出所の予定についてハンナと話します。明日の予定を決めたがるミヒャエルを、相変わらずの計画家だとハンナは笑います。笑われたミヒャエルはムッとしてしまいます。すると、それを察したハンナは「悪い意味で言ったんじゃないから」と笑って答えます。このとき、ミヒャエルはハンナの声が若い頃と変わっていないことにようやく気づいたのでした・・・。

出所の朝、ハンナは自殺してしまいます。
ハンナを迎えに行ったミヒャエルは、突然のハンナの自殺を聞かされて泣いてしまいます。しかも、ハンナの残した手紙にはミヒャエルへの言葉はなく、ただ、ハンナのお金を生き残った犠牲者に届けてほしいという依頼だけが書かれていました。そして、女所長から、ハンナがミヒャエルの手紙を、朗読を吹き込んだテープではなくミヒャエルの言葉が書かれた手紙を、いつも心待ちにしていたことが知らされます・・・。

ミヒャエルはハンナの遺言を果たすために犠牲者のユダヤ人に会いにいきます。ミヒャエルは、犠牲者と話し合った結果、ハンナのお金をユダヤ人識字連盟に寄付することにします。後日、識字連盟からハンナ宛に感謝の手紙が届き、ミヒャエルはその手紙を持って最初で最後のハンナの墓参りをしたのでした・・・。