2009年11月21日

ケイト・ウィンスレット その4


■「タイタニック」(原題「Titanic」) ジェームズ・キャメロン監督(1997)
3時間以上の長い上映時間にも関わらず、世界最高の興行収入を誇る映画史上最大のメガヒット映画です。この映画で主軸になっている物語はジャックとローズという二人の若者の恋愛物語ですが、物語の主題は絶体絶命の危険にさらされたローズというひとりの女性の生き方が変わることが最大のポイントになっていると思います。

■あらすじ
ローズは英国の名門貴族の令嬢なのですが、実際には経済的に行き詰まった貧乏貴族の娘です。そのため経済的な理由から母親の取り決めに従って、大富豪キャルと婚約してしまいます。しかし、ローズはキャルを愛しておらず、また、ローズにとって社交界は自由のない籠の中の鳥の生活でした。ローズはそういった世界に嫌気がさしていますが、お金のため母のためにやむなく我慢しています。そして、いま、アメリカで結婚式を挙げるために豪華客船タイタニック号に乗船します。一方、貧乏な青年画家ジャックは賭けで勝ってタイタニック号の乗船券を手に入れて駆け込みで乗船します。

タイタニック号が出港して一等客船では社交が繰り広げられます。しかし、ローズは窮屈な自由のない社交にいよいよ嫌気が差してしまいます。そして、いっそ死んでしまおうとタイタニック号の船尾から飛び降りて自殺しようとします。そこへジャックが現れて、ローズを思いとどまらせて救います。

ローズはジャックと打ち解けるうちに、彼の自由な生き方に触れて彼の自由な生き方に憧れます。そして、同時にジャックにも魅かれるようになります。一方、ジャックもローズに魅かれます。ジャックはローズがこのまま社交界にとどまれば、いずれは心が枯れ死してしまうと警告して、ローズに社交界から飛び出すことを勧めます。ローズはその場では飛び出すことを拒みますが、社交界に戻って冷静に自分を見つめ直したとき、このままでは自分は正気では生きていけないことを悟り、社交界を飛び出すことを決意します。

ローズはキャルと決別するために、ジャックにヌードの自画像を描いてもらいます。それを見たキャルは怒りに燃えてローズを取り戻すためにジャックに宝石泥棒の濡れ衣を着せます。そして、みんなの前でジャックのコートから宝石が見つかり、そればかりかそのコートも明らかに盗まれたものだと分かったとき、ローズは「ジャックが宝石を盗むために自分を騙したのか?!」と茫然自失になってしまいます。そんな混乱した中でローズはタイタニック号の設計者からタイタニック号が沈没することを知らされます。それを聞いたキャルとローズたちは急いで救命ボートに乗り込もうとします。ところが、乗り込む寸前に、ローズはキャルからジャックが死ぬだろうと聞かされます。それを聞いたローズは宝石の盗難がジャックを陥れるためのキャルの謀略だったことに気づきます。ローズは卑劣なキャルや自分勝手な母親など何もかもすべてを捨ててジャックの元に駆けつける決意をします。

キャルを振り払ったローズは浸水が始まって混乱した船内を一人で捜し回って、手錠で動けないジャックを見つけます。なんとか手錠を外した二人は救命ボートに乗るためにデッキへ上がろうとします。デッキへ上がる途中でジャックは仲間と合流して、三等客室を閉じ込めたゲートを破ってデッキへ上がります。しかし、救命ボートの乗船は女性と子供が優先で、ジャックはローズを逃そうとキャルと協力してローズだけを先に救命ボートに乗せます。いったん救命ボートに乗ったローズでしたが、ジャックを船に残してゆくことがどうしてもできずに、再びタイタニック号に飛び移ります。再び一緒になって抱き合うローズとジャックはふたりは分かち難く愛し合っていて、ふたりは離れられないと覚悟を決め、今度はふたり一緒で逃げることにします。それを見たキャルが逆上して二人に向かって拳銃を発砲します。ジャックとローズは再び浸水して混乱する船内を逃げ回ります。

浸水した船内から命からがらデッキにたどり着いた二人でしたが、救命ボートも無くなり、いよいよタイタニック号が最期の沈没に向かって傾きが激しくなります。ジャックはできるだけ長く船上にいようとして、二人は浮き上がる船尾へと向かいます。人ごみをかき分けて船尾にたどり着いた二人は手すりにしがみつきます。奇しくも、そこはローズが飛び降りようとしてジャックに助けられた場所でした。そして、ついにタイタニック号が海面から垂直になって完全に海に沈みはじめます。二人は意を決して沈没の渦に巻き込まれないように沈没と同時に船を蹴って飛び出すことにします。一度は死ぬために船尾から飛び出そうとしたローズでしたが、今度は生きるために船尾から飛び出したのでした。ただし、今回は一人ではなく、ジャックと一緒にでした。

極寒の海に投げ出された二人でしたが、ジャックが船板を見つけます。船板は一人しか乗れず、ジャックはローズを船板に乗せて、自分は船板にしがみついて救命ボートが来るのを待ちます。しかし、いくら待っても救命ボートは助けに来ず、ローズは寒さと絶望で死を覚悟して、ジャックに別れの言葉を告げようとします。しかし、ジャックはそんなローズの言葉を受け入れず、諦めずにがんばれとローズを励まし、絶対に諦めないことをローズに誓わせます。そして、海が静まりかえった頃、ようやく救命ボートが助けにやってきます。ローズは救命ボートに気づいて、喜んでジャックに知らせます。しかし、いくら呼んでもジャックの反応はありません。ジャックはすでに氷点下の海で凍死していたのでした…。ジャックの死を知ってローズは悲しみに打ちひしがれますが、自分を助けるために命を投げ出したジャックとの誓いを思い出して、必死で救命ボートを呼び戻して救助されたのでした。

それから、ひとり助かったローズはキャルとの縁を切り、姓もドーソンと変えて新たな人生を一人で歩んでゆくことを決意します。そして、84年後、年老いたローズはタイタニック号が沈没した場所で当時の回想を次のように言って締めくくり眠りにつきます。「ジャックは沈没から生命を救ってくれただけでなく、あらゆる意味で私を救ってくれた」と。眠りにつくローズの傍らには、タイタニック号沈没後の彼女の半生を写した写真が飾られています。そこには、チャレンジングな充実した人生経験の足跡が刻まれており、社交界から飛び出したローズが苦労しながらも、とても充実した自由な人生を送ったことが分かるのでした。

■人生の特異点
タイタニック号沈没事故がローズの人生を変えました。この物語はローズが助かった話ではなく、ローズの生き方が変わった話です。なぜなら、ローズはキャルを選んでもジャックを選んでも、どちらを選んでも沈没事故からは助かっただろうからです。仮に、もし、キャルと一緒にいれば、ローズは助かったはずです。ローズの母親は余裕を持って助かっています。ローズは何度か救命ボートで脱出するチャンスがありながら、それを自ら拒んでいます。ですが、もしキャルを選んでいたなら、たとえ沈没事故からは助かっても、ローズは一生籠の中の鳥であり続けたでしょう。そして、ジャックが言ったように彼女の真っ直ぐな心は籠の中で枯れ死してしまったのではないでしょうか。しかも、キャルは世界恐慌で自殺していますから、同様にローズも行き詰る可能性が高かったと思います。一方、ジャックを選んだ場合はどうなったかは映画の通りで危険にさらされながらも危機一髪で助かっています。ですから、少し興ざめしてしまいますが、極端に言えば、ローズはキャルを選んでもジャックを選んでもどちらでも沈没事故自体からは助かっていたのです。では、ローズはジャックを選んだことで何が変わったのでしょうか?それはローズの生き方が変わったのです。ですから、この物語はローズが沈没事故から助かる話ではなく、実は、ローズの生き方が変わる話なのです。

■”竿頭一歩前進”の物語
ローズの生き方を変える象徴的な行為が船尾からのジャンプです。これは禅でいうところの”竿頭一歩前進せよ”に近い精神です。ローズは、最初、死ぬために船尾に立ちます。そのときはジャックに助けられます。翌日、ジャックからは挑発的に皮肉られます。「君は飛べないひとだね」と。ローズはムカッとしてますが、実際、自由な世界への憧れはあるけれど、恐れから飛び出せずにいます。ジャックは、ローズがこのまま社交界の世界に閉じこもってしまえば、ローズのまっすぐな心が死んでしまう、そうならないようにローズに自由な世界へ飛び出すことをけしかけます。ローズはジャックの呼びかけに答えて、飛び出すことを決意します。ところが、その矢先に沈没が始まります。二人は懸命に逃げ惑ううち、船尾にたどり着きます。このとき、決意だけでなく、実際に行動で示すときがきたのです。今度は死ぬためではなく、生きるために船尾からジャンプします、今度は二人一緒に。自由に生きることは決して楽な生き方ではありません。危険が待ち構えていますし、責任も伴います。また、知恵や勇気を必要としますし、ときには代償も必要とされます。ですが、恐れて何もせずに心が死んでしまうよりは、はるかに良い生き方だと思います。

結果、ローズは、タイタニック号で旅立つ前とニューヨークに到着した後では、大きく変わっていました。ニューヨークに到着して自由の女神像の前で雨に打たれながら立っているローズは以前のロースではありません。お金の無い不安や自由な世界への恐れから籠の中から飛び出せなかったか弱い娘から、自分の意思と力で世界の荒波に立ち向かってゆく強い決意を持った女性に変わっていました。そういった意味で、この映画はタイタニック号沈没事故の前後における、ローズの”変身”の物語なのではないでしょうか。(*1)

■まとめ
この映画は人気俳優レオナルド・ディカプリオの魅力が最もよく輝いているラブストーリーとして捉えられる傾向が強いと思います。ですが、これまで述べてきたように、この物語は恋愛だけではなく、死に直面したひとりの人間、ローズという若い女性の生き方が変わる話だと思います。恋愛と変身が見事にシンクロするという極めて稀有な物語だと思います。だからこそ、これだけ多くの人々に感動を与えるのだと思います。

文明社会で生きるということは、人はひとりでは生きられません。人は生きるためにお金を必要とします。しかし、そのとき、人は自分の人生の中で遅かれ早かれローズと同じような選択を迫られます。生きるために心を捨ててお金を選ぶのか、あるいは、死ぬかもしれないがお金を捨てて心のある道を選ぶのかを迫られます。これはとても分かりやすいシンプルな選択問題です。この問題を解くのに頭の良さは必要ありません。必要なのは自分の心だけです。私は人間にとって最も大切なものは心だと考えています。ですので、人間はどんなに危険で恐ろしくても、お金ではなく、心を選ぶべきだと考えています。そして、この選択は必ず自分の心にはね返ってきます。人間の心は間違った選択をして一度死んでしまえば、二度と生き返ることはありません。私はローズは生命を賭して心のある正しい道を選択したのだと思います。そして、死んでしまったけれど、ジャックもまた心のある正しい道を選択したのだと私は思います。確かに、ジャックのように、たとえ正しい道を選択しても死ぬかもしれません。しかし、心が死んでしまって生きるよりは、結果的に死んでしまっても、心のある正しい道を選ぶ方が良いのではないでしょうか。(*2)

■注釈
(*1)似たような変身にドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」があります。次のような末弟アリョーシャの変身の場面があります。以下引用です。

静かにきらめく星くずに満ちた穹窿が涯しなく広々と頭上を蔽い、まだはっきりしない銀河が天頂から地平線にかけてひろがっていた。静かな夜気が地上をくまなく蔽って、僧院の白い塔と黄金色の円屋根が琥珀の空にくっきり浮かんでいた。……じっとたたずんで眺めていたアリョーシャは、不意に足でもすくわれたかのように地上に身を投げた。何のために大地を抱擁したのか、どうして突然大地を抱きしめたいという、やもたてもたまらぬ衝動に襲われたのか、自分でも理由を説明することはできなかった。しかし泣きながら彼はかき抱いた。大地を涙で沾した。そして私は大地を愛する、永遠に愛すると無我夢中で誓った。……無限の空間にきらめく星々を見ても、感激のあまりわっと泣きたくなった。それはちょうど、これらの無数の神の世界から投げかけられた糸が、一度に彼の魂に集中したような気持ちだった。そして彼の魂は『他界との接触』にふるえていた。彼は一切に対して全ての人を赦し、同時に、自分の方からも赦しを乞いたくなった。しかも、ああ、決して自分のためではなく、一切に対して、全ての人のために……。あの穹窿のように確固として揺るぎないあるものが彼の魂の中に忍び入った。さっき地上に身を伏せた時は、脆弱い青年にすぎなかったが、立ち上がった時はすでに、一生かわることのない堅固な力をもった戦士だった。

(ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」より抜粋)

他にも、生き方が変わる特異点の物語にアラン・ムーア原作の映画「V for Vendetta」があります。公安に捕まった娘イヴィーは公安から正義のテロリストVの居場所を吐けと拷問にかけられます。拷問にかけられて衰弱したイヴィーは「これ以上白状しないようなら、即刻処刑する」と公安に脅されます。しかし、それでもなおイヴィーは白状しませんでした。生命よりも大切なものを守るために処刑も辞さずとイヴィーは死を覚悟したのでした。そして、その次の瞬間、彼女の中で何かが変わります。スピリットの一撃によって魂を覆う殻に穴が穿たれた瞬間でした。イヴィーは錯乱して呼吸困難に陥りますが、Vによって連れ出された雨の中で立ち上がったときにはイヴィーはすでに戦士に生まれ変わっていました。イヴィーとVの会話を一部簡略化して下記に抜粋します。

「放っておいて!」 彼女が叫ぶ。「あんたなんか大嫌いよ!」
「それなんだ!」 彼は再び立ち止まり、彼女との距離を保った。
「最初、私も憎しみだけだった。憎しみが私の知る全てであった。
憎しみが私の世界を形成し、私を閉じ込め、
憎しみを食らい、飲み込み、呼吸する術を教えた。
血管に流れる憎しみだけで死ぬかもしれないと思っていた。
しかし、何かが起こった。君に起こったのと同じようなことが」
「うるさい!」 彼女が金切り声を上げた。「あんたの嘘はもう聞きたくないわ!」
「逃げてはいけない」 彼は続けた。「君はこれまでずっと逃げ続けていたのだ」
「ああ、いやよ」 彼女は突然あえぐと両膝をついて、胎児の姿勢になった。
パニックが止めどもない勢いで襲ってきたのだ。
「息が・・・できない・・・ぜんそく・・・小さい時に・・・」
彼女はぜいぜいと呼吸し呻きながら、何とか窒息しないようにした。
「私の話を聞くのだ、イヴィー」 彼は言った。
「今こそ君の人生で最も重要な瞬間だ。立ち向かうのだ。
君は彼らに両親を奪われた。君が好意を抱くようになった男を奪った。
君を独房に入れ、命以外の全てを奪った。君はそれが全てだと信じていたね?
君に残されたものは命だけだと。でもそうではなかったね?」
イヴィーは頷き、熱い涙が頬を伝った。
「君はそれ以外のものを発見した。あの独房で、君は命よりも重要なものを見つけた。
なぜなら、求めるものを渡さないのなら命を奪う、殺すと脅された時、
君はむしろ死んだ方がましだと言ったのだ。君は死と対決したんだ、イヴィー。
君は落ち着き、平静であった。あの時の感覚を思い出すんだ」
イヴィーは言われた通りにした・・・再び開放感を味わった。
「めまいがするわ。空気が欲しい。お願い。外に行きたい」
「エレベーターがある。屋上に連れていこう」
・・・・・・
彼から離れていないところで、降り注ぐ雨の中、屋上に立ち尽くしたまま、
イヴィーはむせび泣き始めた。
彼女もかつてのVと同じように、自らの存在全てが永劫なるものと融合するのを感じた。
頭上、踊り狂う稲妻が、再び神々しいばかりの激烈さで夜空を染め上げた。
神々が常にしてきたように「我こそ!」と絶叫し、光の中に人の姿となって顕現した。
啓示。
悟り。

(スティーヴ・ムーア「Vフォー・ヴェンデッタ」より簡略抜粋)

ローズも雨のニューヨークに降り立ったとき、固い決意をもった戦士だったのではないでしょうか。

(*2)ローズの選択について補足しておきます。沈没事故から助かったローズが他の男性と結婚したことを批判する意見がありますので、そのことについて述べておきます。恋愛の愛と大きな愛の違いがそこにはあって大事だと思いますので。さて、もし、ローズが沈没事故で助かった後、ジャックを一生大切に想って生涯結婚せずに暮らしたとしたら、ジャックは喜んだでしょうか?ジャックの願いは「ローズが幸せになること」です。ローズがジャックだけを想って子供も産まずに生涯を終えることは、ジャックにはそれがローズの幸せだとは考えられなかったと思います。確かにジャックは自分が生きていれば、ローズと一緒になりたかったでしょうが、ジャックは、もう、自分は生きられないことは分かっていたはずです。自分の生命を犠牲にしてもローズを救いたかったのがジャックが選んだ選択でした。だから、ジャックは死んでしまった自分のことを生涯想い続けるよりも、新しい伴侶を得て、家族を作って、ローズが充実した幸せをつかむことを願ったと思います。そこには、ジャックの無償の愛があります。この愛は恋愛の愛というよりも、もっと大きな愛で、ただ、ひたすら、愛するひとの幸せを願う愛です。そして、ローズには、ジャックのその気持ち、ジャックの愛が痛いほど分かっていたのだと思います。でも、ジャックの愛が分かれば分かるほど、それはローズには痛かったと思います。愛するジャックから彼の生命を賭けた愛をローズはもらった。けれども、死んでしまったジャックにはローズからは愛を返すことはできない。それはローズにとって辛く、胸の痛いことだったと思います。愛するひとに自分の愛を届けられないのだから。だから、なおのこと、いい加減な生き方はローズにはできません。ジャックが自分の生命を投げ出してまで救ってくれた生命なのですから、精一杯、生きなければジャックに申し訳が立たないからです。だから、ローズはジャックの愛に応えるためにも、精一杯、充実した人生を生きなければならず、そして約束を果たしたのだと思います。もちろん、ローズは夫を愛したと思いますし、一方でジャックも愛していると思います。これは恋愛の愛ではなくて、もっと大きな愛という意味で。恋愛の愛が至上の愛というわけではないでしょう。恋愛や結婚という形で愛が保証されるわけではなく、愛は善き心のあるところに芽生えるのだと思います。

(*3)ところで、ウィンスレットが出演した映画には同じようなシーンが数多く見られます。

例えば、水中のシーンが非常に多いです。まず、この「タイタニック」で大西洋に投げ出されて危うく溺れそうになったのは有名です。映画出演第一作目の「乙女の祈り」では水着を着て湖に飛び込みそうで飛び込みませんでした。かわりに浴槽の場面があります。「ハムレット」ではオフィーリア役であっさり溺死しました。「グッバイ・モロッコ」では水中シーンに慣れてきたのか、全裸で湖を大きなストライドで気持ち良く平泳ぎしています。ところが、「クイルズ」では再び洗濯槽で溺死してしまいます。もう、十分、ウィンスレットの水中シーンに慣れたかなと思ったら、「アイリス」では川でかなり大胆に全裸で泳いでいてびっくりしました。草木の緑と女性の白い裸体が綺麗に映えるラファエル前派の絵画を連想させる美しい光景でした。ウィンスレット自身も水中シーンには完全に慣れたのかなと思ったら、「エターナル・サンシャイン」では巨大な台所の流しの中で撮影中に失神してしまったそうです。それでも、やはり水中シーンは止められないらしく、「オールザキングスメン」では夜に海を泳いでいます。さらに「リトルチルドレン」ではプールで泳いでいます。まだまだ続きます。「ホリデイ」で邸宅のプールで豪快にクロールで泳いでいます。「愛を読むひと」では下着姿で川を泳いでいます。もうほとんど水中シーンでやることはやったかなと思ったら、「Romance&Cigarettes」ではとうとう水中で歌まで歌っています(笑)。これだけ水の場面が多い女優さんも珍しいと思います。

また、喫煙のシーンも非常に多いです。「日陰のふたり」で何度もタバコを吸っています。「タイタニック」ではキャルに喫煙を注意されてましたね。「グッバイ・モロッコ」ではお金がなくて落ち込んだ時に一服してました。「ホーリースモーク」では手巻きタバコを器用に巻いて一服してます。「アイリス」では、執筆にタバコは欠かせないようでした。唯一、「ライフオブデビッドゲイル」では嫌煙で相棒が吸うことを注意してました。「レボリューショナリーロード」では、夫婦喧嘩の後に気持ちを落ち着かせるために吸っていました。「Romance&Cigarettes」ではセクシーに煙を吹いています。ところで、ウィンスレットは、プライベートでは子供のいる家では吸わないらしく、外出中に吸うらしいです。ちなみに、アカデミー受賞後はタバコは止めるつもりと言ってはいましたが、どうなんでしょうね(笑)。

ところで、映画の中で俳優が格好良くタバコを吸うのは、映画のスポンサーにタバコ会社がいて、タバコの宣伝のためにわざわざ吸わせていることが多いんだそうです。というのも、国によっては規制でタバコの宣伝ができないらしいので、替わりに映画の中で宣伝するんだそうです。もしかしたら、ウィンスレットもタバコ会社と契約しているのでしょうか?ただ、内容的にどうなんでしょう。例えば、「グッバイ・モロッコ」ではジュリア(=ウィンスレット)はお金が無くなって困ってしまい、やさぐれてタバコを吸っています(笑)。また、「レボリューショナリー・ロード」では夫婦喧嘩のあとに自宅の裏山で、やはり、やさぐれてタバコを吸ってました(笑)。かなり身体に悪そうな吸い方でした。さらに、「Romance&Cigarettes」では肺ガンの写真を背景に肺ガンを患ってゲホゲホ言いながら踊るダンスを披露していました(笑)。タバコの宣伝としては逆効果なんじゃないでしょうか(笑)。たしかに、ウィンスレットの喫煙はちょっと気になりますが、ただ、彼女に喫煙を注意するのは勇気がいります。以前、映画「タイタニック」の中で喫煙を注意した男性がいましたが、彼がどのような結末を向かえたかは周知の通りです(笑)。


さらに、自転車のシーンも多いです。パターンは二人で自転車を並行に走らせることが多いです。「乙女の祈り」、「日陰のふたり」、「アイリス」、「愛を読むひと」など二人で自転車を走らせています。

それから、情感を込めて朗読するシーンもいくつかあります。「いつか晴れた日に」ではシェイクスピアの詩を朗読していますし、「日陰のふたり」では墓碑銘を読んでいます。「グッバイ・モロッコ」では翻訳を頼まれた詩を朗読しています。「Extras!」ではエッチ電話の一例を熱意を込めて読んでいます(笑)。また、歌を歌うシーンもあります。「乙女の祈り」でしっとりと歌っていますし、「いつか晴れた日に」ではピアノを弾きながら歌っています。「アイリス」では「The Lark in the Clear Air」をキレイに歌っています。ウィンスレットの朗読は非常に明確で力強いと思います。普通の会話でも彼女の英語は聞き取りやすいんじゃないでしょうか。