2009年12月12日

ケイト・ウィンスレット その6


■「グッバイ・モロッコ」(原題「Hideous Kinky」) ギリーズ・マッキノン監督(1998)
この映画は、二人の子供を持つシングルマザーがモロッコで自分探しをする旅の物語です。原作はエスター・フロイドの「郷愁のモロッコ」ですが、映画は原作とは違った独自の物語展開になっています。(*1)

■あらすじ
ジュリアは不倫の苦悩からモロッコへ自分探しのためにやってきます。ジュリアにはビーとルーシーの二人の子供がいます。ビーはよく気のつく利発なお姉さんでルーシーは自作の物語を語れる感性豊かな女の子です。ジュリアはモロッコでのヒッピー生活を楽しんでいますが、二人の娘は不便さに不満を募らせています。そんな頃、大道芸人のビラルと出会います。ジュリアはすぐにビラルと恋仲になります。ジュリア親子とビラルは楽しく家族づきあいをするのですが、ジュリアへの仕送りが止まってしまい、ジュリアはお金が無くなって困ってしまいます。その頃、ビラルも仕事を失ってしまいます。

そこでジュリア親子とビラルはビラルの故郷に行くことにします。ところが、いざビラルの故郷に着いてみると、ビラルの妻が帰ってきていました。実はビラルは既婚でした。ビラルは故郷にいずらくなって逃げ出すようにジュリア親子と故郷をあとにします。湖畔でキャンプしますが、すぐに食料もなくなってしまいます。ビラルが苦心して食料を手に入れるのですが、食料が腐っていて子供たちは酷い目にあってしまいます。また、この旅行でジュリアとビラルの間には考え方や文化の違いによるすれ違いが見えてきます。ジュリア親子はビラルと別れてモロッコに帰ることにします。

モロッコについてジュリア親子はお金が無くて途方にくれるのですが、偶然、出会ったジャン・ルイ・サントーニという紳士に助けられます。ジャンの好意で宿泊場所を得たジュリアたちでしたが、ジャンの連れと気が合いませんでした。ジュリアはお金が届いたので、スーフィーに会いにアルジェに行くことにします。しかし、ビーは学校に行って勉強したいのでここに残ることにします。

ジュリアとルーシーだけでヒッチハイクでアルジェに向かいます。なんとかヒッチハイクでアルジェに着いたジュリアたちはスーフィーの高僧に会えることになります。ただし、最も偉大な高僧はすでに他界しており、後継者の高僧に会います。ジュリアが悟りの道を尋ねたので、高僧は修行に入れるかどうか、ジュリアの置かれている状況の質問をジュリアにしてゆきます。そこでジュリアはその高僧に涙ながらに本当の自分の境遇、自分は正妻ではなく不倫していることを打ち明けます。その夜、ジュリアはビーの夢を見ます。ジュリアはビーのことが心配になり、モロッコに帰ることにします。

ところが、帰ってみると、ビーが行方不明になっていました。慌ててあちこちを捜して、キリスト教の施設にいることを突き止めて、ビーを迎えに行きます。ところが、施設に着いてみると、ビーの様子がいつも変わっています。どうやら施設の寮母の影響で人が変わってしまったらしいのです。ジュリアはその施設に逗留しますが、そこで寮母とジュリアは些細なことで喧嘩になります。しかし、ジュリアは激しい怒りを表わして寮母から再び以前のビーを取り戻して、モロッコのアパートに帰ります。

その頃、アパートに観光の仕事に就いて民族衣装で正装したビラルが訪ねてきます。皆で再会を喜びますが、喜びも束の間、ビーが急病で倒れてしまいます。診察してもらった医者によると病気が重いので、すぐに英国に帰るように勧められます。しかし、帰れるだけのお金も無く、ビーの容態もどんどん悪くなってジュリアは困り果ててしまいます。それを見かねたビラルが観光用の正装を勝手に売ってロンドン行きのチケットを用意します。しかし、モロッコでは泥棒は重罪なので、ビラルはモロッコから姿をくらまします。ジュリア親子はビラルの好意に感謝しながら、モロッコをあとにしたのでした。

■ヒッピー母さん”ジュリア”
この映画は英国人女性ジュリアのヒッピーの物語です。ジュリアには2つの悩みがあります。1つは不倫の悩みです。子供たち二人は気付いていませんが、ジュリアは正式な妻ではなく、不倫相手です。もう1つの悩みは自我の悩みです。ただ、具体的にどういった自我の悩みかは映画からは分かりませんが、ともかく悟りを開くためにモロッコのスーフィーに会いにゆくと決めたのは確かです。時代設定が1972年ですので、ジュリアは60年代の米国から始まるヒッピームーヴメントの欧州版といったところでしょうか。映画でもジュリアたち以外に欧州各国からモロッコに来たヒッピーたちが描かれていました。当時のヒッピーたちは東洋思想にかぶれて、仏教やヨガやスーフィーなど様々な修行を試みていたようです。ジュリアも原作ではヨガにこっていたり、易経を携えてモロッコに来たりしています。原作で面白かったのは、ジュリアは最初はスーフィーに興味はなく、モロッコに来てからつい最近になってスーフィーに興味を持ったことでした。なんともミーハーな関心の持ち方です(笑)。ともかく、ジュリアをはじめ当時のヒッピーは物質文明に批判的で、かわりに内面を重視する精神世界に憧れていました。ですので、ジュリアの悟りを求める旅もヒッピーの常道だったと思います。(*2)

■ジュリアの旅
それで、このジュリアなのですが、二人の娘の母親なんですが、ヒッピーをやっていて、母親としては非常にいいかげんな感じなのです(笑)。ジュリアよりは娘のビーの方が常識人です。ですから、観客はあまりジュリアに共感しないかもしれません。どちらかというと、ビーに同情してしまいます。ですが、このジュリア、肝っ玉母さんというほどのドッシリ感はないのですが、何というか、それなりに、懸命に、賢明に?、自由に生きていくんですね。見てゆくうちにジュリアの不思議な力強さに惹きつけられてゆきます。ジュリアは特別な人間ではなく普通の人間なので、ときに不安や恐怖にかられますし、お金が無くなって住むところを失くしてしまって、子供たちの前で泣いてしまい、逆に子供たちに慰められたりするというダメっぷりも見せたりします。ですが、人間の心として大事な所は、このジュリアは折れないんですよ。説明が難しいですが、普通なら苦難によって心が曲がっちゃうんじゃないかと心配になるんですが、このジュリアはどんなに苦境にあっても心の大事なところは曲がらないのです。いや、ダメなところはダメなところで一杯持っているんですけどね。例えば、映画も終盤になって、せっかくビラルが用意してくれたロンドン行きのチケットを貰ったのに、ジュリアは娘たちに「これでロンドンに帰れるけれど、どうする?あなたたちが帰りたければ帰るわよ?」なんて、自分ではまだ踏ん切りがつかずにいます(笑)。どう考えても、この状況ではロンドンに帰って然るべきだろうに(笑)!子供たちもやや呆れ顔です。ですが、不完全なところもたくさんありながら、このジュリアがちょっと憎めないですね。案外、こういう生き方も良いんじゃないかって、最後にはユルく思えてきます。

ただ、女友達のエヴァから「あなたの旅は終わったのよ」と言われたときは、さすがにずしんと重いものがありました。子供を持っているジュリアはいつまでも旅を続けられないという苦々しさが伝わってきます。そして、ロンドンに帰る列車の中でモロッコを見つめるジュリアの目はどこか厳しい真剣な目をしています。そして、スーフィーの高僧から言われた言葉が回想されます。「たとえ、道が閉ざされていようとも、秘密の道が開かれる」と。ロンドンに帰って普通の生活に戻ってしまっても、生活に明け暮れる暮らしになっても、悟りの道は開かれるかもしれないという意味だと思います。ジュリアの旅は終わった。でも、子供たちの犠牲になって自分の自由は諦めるのではなく、子供たちを育てながらでも、ジュリアの自由への道は開かれる可能性はあるのだとジュリアの曲がらない心は希望を捨てないのだと思います。それは健全な心なのではないでしょうか。「大人になる」ということで、自由を諦めてしまっては人間の心は萎んでしまうのではないでしょうか。きっとジュリアの心はいつまでもその生き生きとした輝きを失わないのだと思います。

■ヒッピーという生き方
ここでヒッピーという生き方について考えてみます。とはいえ、ヒッピーと言っても様々なタイプがあるので一概にこうだとは決め付けられません。ここでは、あくまで私個人の私見に基づいたヒッピーという概念についての話であることを最初に断っておきます。

さて、「ヒッピーとは何か?」というと、私の考えでは、大きく2つの要素があると思います。1つは社会からドロップアウトすること、もう1つは悟りを開くために修行することだと思います。それぞれについて説明してゆきます。

■ドロップアウトの道
なぜ、社会からドロップアウトする必要があるのでしょうか?それは社会の中で生きることに心の束縛を感じるからだと思います。そして、そのまま社会の中で生き続けることは、いずれは心が死んでしまうと恐れるからだと思います。そのため、そこからいったん抜け出すためにドロップアウトするのだと思います。

では、ドロップアウトした後はどうすれば良いのでしょうか。主に次の3通りがあるのではないでしょうか。①コミューンという彼らの家族的・部族的な小さな共同体を作る、②宗教団体のような導師を中心として共同体を形成する、③雲水やイスラム僧のように、あるいは、ジャック・ケルアックのように個人(or家族)で放浪の旅をする、の3つがあると思います。次にそれぞれについて考えてみます。

はじめに、①のコミューンは自給自足であったりビジネスを始めたりしてやりくりしようとします。しかし、その多くはあまり長く続かなかったと思います。次に、②の宗教団体は葬式などの儀式によってお金を稼いだり、信者の寄付によって成り立っています。教団内ではそれなりに厳しい戒律で暮らしているのかもしれません。しかし、人が集まって共同生活を送れば、それなりに内部ではストレスが生じると思います。また、カルト化して暴走する団体もあるでしょう。最後に③の放浪は先々での仕事や物乞いや托鉢で生計を立てると思います。ほとんど浮浪者と変わらなくなってしまいます。以上の他に貯蓄を取り崩して生計を賄う方法がありますが、貯蓄が続く間だけ可能なので、無限定に持続可能というわけではありません。(*3)

以上のように、現代では、社会の外部に出るドロップアウトは永続的に持続するのが困難です。ですから、多くの人々は社会の外部に出るよりは一生の間、ずっと社会の内部にとどまることを選択していると思います。でも、本当にそれで良いのでしょうか?

ドロップアウトについて直接書かれたものではありませんが、ユニークなライフスタイルで、1930年代に書かれた英国のSF作家ステープルドンのSF小説「最後にして最初の人類」に描かれたものがあります。この小説自体は人類が死滅するまでの未来の歴史を描いたものなのですが、その中の未来のある時代では、社会の内と外の2つの世界を往来する未来社会が描かれています。描かれているのは人類が成熟した遠い未来の話で、人間は進化と遺伝子操作によって寿命がなんと3千年にまで延びているという設定の話です。この時代の人間たちは一度は絶滅した自然の生き物が生息する”野生大陸”なるものを作り、一時的に文明生活を離れて、この”野生大陸”で文明の利器を一切使わずに、野生のままの自然な生活を楽しむというものです。

この野生大陸へと、あらゆる年齢層の個人が、何年間も文明の助けをまったく借りずに
原始人の生活を送るために出かけていった。
高邁な人類たるもの、芸術と科学に一身を捧げるにしても、
原始のものと絶えず接触するための格別の処置を講じなくてはならぬと
理解されていたからである。
かくして野生大陸には、火打ち石や骨、
あるいは一致協力して苦労の末に大地から獲得した鉄で身を固めた野蛮人が、
常に点々と暮らしていたのである。
これら志願原始人たちは狩猟や単純な農耕に精を出していた。
わずかな余暇は、芸術と瞑想、
そして原始の人間としての醍醐味を満喫することに費やされた。
実際これら知的な人びとは、定期的に苦難と危険を自らに課したのだった。
そしてもちろん、それに強い興味を抱いてはいたが、
その苦難を恐れたり、生還できないのではないかと怯えることも多々あった。
危険はまさに本物だったからである。
・・・・・・
(野生大陸の)これらの生き物には、原始的な武器だけでは人間も恐れて当然の
獰猛きわまりない肉食獣も含まれていた。
したがって、野生大陸での死亡率は高かった。痛ましくも数多くの有望な命が奪われた。
とはいえ、人類的な観点からはこの犠牲には価値があると了解されていた。
定期的な野生生活を慣例化すると現実に精神的な効果が得られたからである。
三千年の寿命をもつ存在たちは、高邁な探求にほぼ全身全霊を傾けていたが、
野生で十年暮らすことにより大いに活力と啓示を与えられたのだった。

(オラフ・ステープルドン「最後にして最初の人類」より抜粋)

この野生大陸では、文明に一切頼らない完全な野生生活なので、命を落とすこともしばしばですが、それをも厭わないという姿勢です。この文明と野生を往来するというライフスタイルを私は実に興味深いと思っています。(*4)

■お金の束縛と心の自由
さて、現代のドロップアウトに話を戻します。人々がドロップアウトできないのは、文明社会の人々は「お金が無くては生きていけない」ということに心が縛られているからです。これが、本来は自由で美しいものであった人々の精神を卑屈で醜悪なものにしてしまっていると思います。お金の無かった大昔はそうではありませんでした。しかし、現代人はこう言うでしょう。「じゃあ、お金無しに生きてみればいい!できるものなら、やってみろ!どうだ?できまい!できもしないことを偉そうに言うな!」と。こうあからさまに言わなくても、例えば、実感しやすいものに、現代人に最も恐れられているもののひとつに失業があります。会社がどんなに理不尽で嫌で辞めてたくても、失業を恐れて辞められません。失業してお金が無くなれば生きていけないと恐れてしまいます。そのため、たとえ奴隷のように不当に働かされて、どんなに嫌な思いをしても、死ぬよりはマシだと考えて我慢して働き続けます。そして、私たちは「お金が無くては生きていけない」という恐怖心に縛られて、自由でしなやかな心を失い、いつしか心までお金の奴隷に成り下がってしまいます。これはお金持ちも同様で、お金に心が縛られており、同じく奴隷に成り下がってしまいます。

しかし、文明社会以前、人がこの大地に生れ落ちたときは、人は人としてあるだけで尊厳ある生き物だったのではないでしょうか。文明社会では何か人よりも秀でていることによって、尊敬を集めたり、価値があると見做されたりします。あるいは、極端な場合はお金さえ持っていれば、人から羨ましがられ、価値がある人間だと思われたりします。しかし、文明社会以前は、そんなものは何も必要なくて、ただ、人は人としてあるだけで尊厳が守られていたのではないでしょうか。かつて引用したアボリジニの次の言葉を思い出します。

白人たちが、アボリジニのことをあしざまに言うのは、
アボリジニが農民でも、建築屋でも、商人でも、兵士でもないからなのさ。
アボリジニってのは、それとは別者なんだ。
踊り手で、狩人で、放浪者で、神秘家なのさ。
だから白人は、わたしらのことを無知だとか怠け者だとか言うんだよ。
ブライアンや、おまえにもそのうちきっと、
わしらアボリジニの美しさと力が分かるじゃろうよ。

(ロバート・ローラー「アボリジニの世界 」より抜粋)

「お金が無いと人は生きていけない」という心の束縛から、人は解放されなければならないと思います。もちろん、お金持ちになってお金の心配をしなくて良いようになることを言っているのではありません。お金が有っても無くても、お金に関係なく、自由な心を持てるようになることを言っています。本来はもっと自由であった心、もっと美しいものであった心、もっと力強いものであった心を取り戻すべきだと思います。私はアボリジニやアメリカ先住民の昔の古老たちの写真を見ると、そのごつい岩石のような顔の向こう側に、その遠くを見つめる瞳の内側に、広大で深遠な美しい宇宙を見ることがあります。そして、私は自問します。「彼らのような心こそが人間本来の心であったのではないのか?彼らの心は美しく力強い。そして、何か神秘的な深ささえ持っている。果たして、私の心も彼らのような広大無辺の心に到達できるだろうか?文明社会の中で小賢しく生きることにあくせくするうちに、彼らのような心の広さ・静けさを忘れてしまっていないだろうか?それとも、もはや私は手遅れなのだろうか?」心の美しさに比べれば、文明社会のことなどすべて虚しいまやかしに過ぎないと思います。(*5)

■「悟りを開く」とは?
次に、「悟りを開く」とは何でしょうか?「悟りを開く」といっても、様々に異なる悟りのイメージがあります。また、仏教に限らず、スーフィズムや老荘などにも「悟りを開く」はあります。「悟りを開く」とは一体どういうことなのか、人や宗教によって異なるのではないでしょうか。禅の十牛図のような数段階からスーフィズムのような数十段階もの段階を経る修行体系もあれば、突然、一挙に悟りを開く頓悟や脱然貫通もあります。ですので、そもそも「悟りを開く」といっても、一概に言えず、具体的にはどういうものなのかも定まっていないのではないでしょうか。

ちなみに、日本人の「悟りを開く」というイメージは、「心の平安」や「余裕のある心構え」でしょうか。日本人の悟りに対するイメージは、すべてをお見通しの神様にでもなるような敷居の高いイメージがあるのではないでしょうか?逆にその一方で、突然、「悟った!」みたいな人もいるかもしれません。そういう人に言わせると「悟り」はかなり「物事を割り切る」ことが多いように思います。何が言いたいかというと、日本人は悟りを自分には手の届かないものと考える一方で、非常に簡単な卑近なものと考えたりして、結局、「悟りとは何か?」を真剣に考えなくなってしまったのではないかと思います。

また、中には「悟りとは何か?」と一生問い続けることだという人がいるかもしれません。でも、答えを求めて無意味な堂々巡りを続けていないでしょうか?仏教の教説でも、前半は哲学的な分析ですが、後半は瞑想の実践が説かれています。問い続けることはあくまで前半の哲学であって、本来は後半の実践が重要なのではないでしょうか。そもそも、悟りとは、哲学や思想などのような言葉の理解ではなく、実践だと思います。

一方、60年代の米国では、かなり大真面目に「悟りとは何か?」を探求していたと思います。文化的な基盤がないので簡単な間違いをすることもありますが、先入観念に囚われないという利点もあったと思います。やけっぱちのムチャクチャで安易な答えに飛びつくものも数多くあったと思いますが、それでも中には、東洋では見られない深い掘り下げもあったと思います。そんな中でサイケデリック・ドラッグの活用は大きな成果だったと思います。一見、ドラッグの使用は矛盾するように感じられますが、世界各地にあるシャーマニズムの伝承からはドラッグの活用はごく自然なことだと思います。空を飛ぶ欧州の魔女も軟膏タイプのサイケデリック・ドラッグを使用していました。人によっては「難解な書物を100冊読むよりも、サイケデリック・ドラッグを1回やる方が絶対的に良い。悟りを開く唯一の方法だ」という人もいます。確かにジャンキーの情報には誤った情報や虚偽の情報も非常に多いのも事実ですが、ドラッグの使用そのものはまったく的外れというわけではないんじゃないかと思います。ともかく、60年代米国の試み”サイケデリック革命”は「悟りを開く」ことに革命的な進歩をもたらしたと思います。ただ、残念ながら、サイケデリック・ドラッグは現代では非合法化されたので、「悟りを開く」ことは非合法になりました。(*6)

さて、「悟りを開く」とは何でしょうか?この映画の中では、「自我の消滅」と言っています。また、仏教では、「輪廻から解脱すること」だと言っています。よく分かりませんが、たぶん、そんなようなものじゃないかと私は思います。もっとも、これも数多くある悟りのイメージのひとつに過ぎません。ただ、多くの人は「悟りを開く」という先入観に縛られているかもしれないと思います。

■選択の問題
ところで、現代人にとって「悟りを開く」のは選択の問題なのかもしれません。元々、ブッダは”目覚めた人”という意味だそうですから、「目覚めること」を選択するという問題なのかもしれません。例えば、映画「マトリックス」の中で主人公ネオは奇妙な誘いから車に乗せられて謎の男モーフィアスに会いに行きます。その途中、ネオは不信から車を降りようとします。しかし、車のドアを開けて降りようとしたネオはモーフィアスの使者トリニティから「ドアの向こうに見える世界に何が待っているかあなたは知っている。それでもあなたはその世界に戻りたいの?」と言われます。ネオはその世界に何もないことをうんざりするほど知っていたため、再びモーフィアスに会いにゆくことを決意します。

そして、モーフィアスと会見がかない、モーフィアスから赤いピルと青いピルを差し出されます。モーフィアスは言います。「赤いピルを飲めば、世界の真実の姿を知ることができる。一方、青いピルを飲めば、今までのことは忘れて普通の暮らしに戻ることになる。ただし、よくよく言っておくが、見せるのはあくまで真実だ」と言います。赤いピルを飲んで真実を見ても、それを本人が気に入るか、気に入らないかは別の話です。「悟りを開く」のも選択の問題であって、それが気に入るとは限らないのかもしれません。現代では目覚めるよりも眠ったままの方が心地良いのかもしれません。喩えるなら、家畜になった動物が柵の中でのんびり暮らすような感じでしょうか。野生で生きるよりは家畜で生きる方が心地良いと感じるのかもしれません。どちらを選ぶかは、本人の選択次第なのかもしれません。ともかく、現代人は本人も知らず知らずのうちにどちらかを選択しているのかもしれません。(*7)

■ジュリアの選択
さて、話を映画に戻します。ジュリアは2つを追い求めています。それは「夫の愛情や子供たちとの暮らし」と「自我の消滅などの悟りの道」です。アルジェに行ったジュリアは高僧に悟りへの道を乞うのですが、スーフィーの高僧からはまず先にジュリアに対して質問がなされます。ジュリアの仕事のことやジュリアの家族のことが質問されます。高僧からの質問で「夫を愛しているか?」と問われたとき、ジュリアは「実は彼は夫ではない。不倫である。けれども、彼を愛している」と告白します。そして、ジュリアは泣き出してしまいますが、「自分はまだまだ未熟だ」と気が付きます。

これは、おそらく、悟りの道に入ってゆくためには、この世に執着があっては出来ないのだと思います。夫や子供たちへのジュリアの愛を執着と呼ぶのは気が引けますが、やはり、そういう観点から見れば執着の部類になると思います。それに、妻帯している日本の僧侶は論外ですが、そもそも、通常の修行者は妻帯や性行為を固く禁じられています。仏典の律蔵を見ても固く禁じられています。ところが、ジュリアはすでに母であり、家族形成を選択済みです。これは難しい問題だと思いますが、両方を選ぶことは残念ながら本質的に不可能なのだと思います。そういったものを捨てなければならないのだとしたら、悟りの道も良いものかどうかとは思いますが、しかし、たぶん、どうにもならないもので、どちらか1つしか選べないのではないかと思います。

ともかく、ジュリアの気持ちはよく分かります。愛も悟りもどちらも素晴らしいものだと思いますから、どちらか一方ではなく両方手に入れたいと思います。しかし、それは叶いません。そして、ジュリアはビーの夢を見て、モロッコに帰ります。モロッコに帰ってビーを取り戻したジュリアはビーとの間で再び親子の絆が深まります。しかし、それも束の間でビーが病気に罹ります。ビラルが罪を犯してまでしてジュリア親子にロンドン行きのチケットを贈ります。しかし、それでもジュリアは帰るか残るか迷います。ジュリアは子供たちは愛しているけれども、自分を犠牲にして自分の人生を捨ててまで子供たちのために生きようとはしません。ジュリアは子供たちを愛していないわけではなくて、両方をやりたいのです。子供たちも愛する、と同時に自分の人生も生きる、というように。ジュリアは子供たちのために自分の心を殺すことが正しいとは思えなかったのだと思います。しかし、それは現実的に不可能でした。友人のエヴァから「あなたの旅は終わったのよ」と言われ、ジュリアは苦々しく現実を受け止めます。ロンドン行きの列車に乗って車窓の外を見つめるジュリアの目は険しいです。なぜなら、ロンドンに帰ってもジュリアにとって希望はないからです。ジュリアは高僧から言われた言葉を噛みしめるように思い出します。「たとえ、道が閉ざされようとも、悟りの道は開かれる」と。おそらく、ロンドンでの生活はジュリアにとって出口のない試練なのでしょう。それでもジュリアのことだから、高僧の言葉を信じて進んでゆくのだと思います。そんな思いに耽っていると、車窓からビラルが元気な姿で別れの手を振っています。ジュリアはビラルの贈り物に感謝しながらモロッコを去ってゆきます。

■まとめ
この映画を見始めたときはジュリアはなんて身勝手な母親なんだとネガティブに感じますが、映画を見てゆくに従って、ジュリアの自由な生き方と自由な精神に触れて、ジュリアのような生き方があっても良いかもしれないと思えてきます。いかに私たちが文明社会の中に縛られて生きているかが分かってきます。もちろん、ジュリアの住んでいたモロッコが良い場所というわけではありません。モロッコにはモロッコの問題があります。ただ、どんな場所でもジュリアは自由に生きてゆくだろうと思えます。本来、私たちの精神は、ジュリアの精神のように自由であったはずだと気が付かされます。

■注釈
(*1)原作者のエスター・フロイドは精神分析学者のフロイトの曾孫にあたります。父親は著名な画家で、姉はVIVAのファッションデザイナーです。映画でいえば、妹のルーシーが原作者に、姉のビーが姉にあたります。

(*2)そもそもヒッピーは文明社会からドロップアウトすることを唱えています。文明社会の価値観から、いったん、その枠組みの外へ出ることです。ヒッピーはドロップアウトして、そこでコミューンという小さなまとまりを作って自分たちで生活することを目指しました。しかし、彼らの生活は質素でしたが、やはり、生活が苦しくなって次第にコミューンは消滅して行きました。あるいは、「あそこに行けばタダ飯が食えるぞ~」みたいな無料で食料を提供してくれるような団体もあったようですが、そういうところの中には後にカルト団体っぽいものになったりしたところもあるようです。当時のカリフォルニアはそういう悟りを探求するような小さな団体がたくさんあったようです。

ところで、このヒッピーの元祖は仏教の開祖シッダルタのサンガ(=共同体)だと私は思います(笑)。シッダルタも当時のマガタ国の文明社会(=身分制度など様々な社会制度)からドロップアウトするものとして、国王から公認を貰ってサンガを作りました。彼らは托鉢をするだけで働かず、あとは修行して質素に暮らしましたから、まったくヒッピーと同じです(笑)。勤勉な日本人から見たら、「けしからん!」と言われそうですが(笑)。ただ、別に仏教に限らずとも、このようにドロップアウトして修行する者は世界中で数多く見られたようです(笑)。西アジアの砂漠や洞窟で粗末なズダ袋みたいな服を着て、一人黙々と修行をしてたようです。今では考えられませんが、思うに当時はお金が無くても、けっこう生きていけたんじゃないでしょうか(笑)。自然から取ったり、そこら辺の人から貰ったりしたんじゃないでしょうか。コンビニのない生活ですから、まあ、生活は助け合いの面が多かったのかもしれません。いや、まあ、実際のところはよく分かりませんが(笑)昔は「戦争が起きたら山に逃げて暮らす」なんて言ってましたし、未開人なんかは自然が豊かだったので、たいして働かず楽して暮らしていたようです。今はもう自然が破壊されて無いので、自然に逃げ込んでも生きていけませんが…。動物でさえそうです。山に食べ物が無くなって熊も猪も減りましたし、雀さえ減っています。ともかく、ヒッピーというのは、意外と人類普遍の現象だと思います。(ヒッピーが許されない日本社会は普通じゃない精神構造かもしれませんね(笑)。)

ただ、ちょっと驚くのは、この当時の米国は東洋思想に対する関心が非常に高く、しかも、マニアックで高度な知識を勉強していたらしいという点です。小さな簡単な誤りもあるにはあるのですが、それよりも、本場の東洋が顔負けするほど深く東洋思想を学んでいたことがこの頃の本を読むと分かります。ともかく、取り組みが真剣で、日本とは本気度が全然違います。もっとも、今となっては、どことも意気消沈してしまっていると思いますが…。

余談ですが、偶然かもしれないが、ここでもキリスト教は悪者扱いされています。彼女の出演作を見ていると、他者がイスラム教などを信奉することは否定しないのですが、自分たちヨーロッパ人はキリスト教などの宗教を超克しようとしているように見えます。ヨーロッパ社会は現代になってやっと宗教を自分たちから切り離すことにしたのか、あるいは、キリスト教を引き剥がすことによって、もっと古いヨーロッパの土着的習俗に還ろうとしているのかもしれません。

(*3)歴史的に見れば、ドロップアウトの道は失敗ばかりじゃなくて成功例もあると思います。例えば、①はアメリカ先住民の部族社会が成功例だと思います。彼らは国家を作らずに少数単位の部族で共同体を形成しました。かなり個人の意思が尊重されたと思います。中には部族から離れて一家族だけで暮らす者もいたようです。②は釈尊の作ったサンガという共同体です。サンガは托鉢と寄付によって運営していたと思います。初期のサンガは釈尊のそばで一緒に瞑想修行したという感じじゃないでしょうか。托鉢で衣食をまかない、あとは働かずにひたすら修行したんじゃないでしょうか。働かないかわりに豊かさを放棄して質素な暮らしに甘んじるという感じでしょうか。国家や社会がこれを公認したのは、今よりもずっと豊かだった時代の話なのかもしれません。また、それ以外にも、様々な宗教で寺院で真面目に修行していた人たちもいるでしょう。ただ、カルト化したりや内部が腐敗するなどの失敗例も数多くあるとは思います。③はイスラム僧などは一国家を超えて同じイスラム教国というネットワークの中で旅が可能だったと思います。彼らはお金が無くても行く先々でとりあえず生きるだけの最低限の糧だけは得ることができたようです。言うなれば、無一文で世界旅行が可能だったと思います。ですから、ドロップアウトの道は成功もあれば失敗もあると思います。結局、その人次第なのかもしれません。

(*4)人類学者レヴィ=ストロースの報告では狩猟を生業とする未開社会の労働時間は1日4時間だったそうです。しかも、そのグループは老人と障害者など働かない人を2人も抱えていたそうです。その他の余った時間は遊びに費やしていたそうです。先史時代でも人口が多くない時代では、豊富な自然の食糧があったので、ほとんど働かない生活をしていたそうです。ですので、実際には、わずかな余暇というよりは、有り余る余暇になるかもしれません。

(*5)確かに文明社会においても自由と平等の市民社会を実現しようという努力はありますし、そうすべきだと思います。ただ、現状においてそれが成し遂げられていると胸を張って堂々と言えるでしょうか。年間3万人の自殺者を出すこの日本で「自分の生き、貢献した日本は自由と平等が成し遂げられた社会だった」と言えるでしょうか。後世の歴史家がそれを聞いたら、なんと言うでしょうか。「当時の人々は自分たちの社会に満足していたが、その一方で年間3万人の自殺者を出す格差もあった。つまり、当時の現状に満足していた人々は隣人が自殺してゆくのを見殺しにしたまま、自分の生活だけを守って満足していた。彼らは本当の現実を見ていなかったり、他人のことにはおかまいなしになっていた」と言うのではないでしょうか。私たちが「自分はまともだ。自分は正しい。」と思っているほど、後世の人々は私たちをまともな人間、正しい人間だとは思わないかもしれません。

(*6)例えば、仏教の重要なものに華厳思想があります。華厳思想は、空海の「十住心論」でも重視されており、重要度の高い順に言えば「真言」「華厳」「天台」の順に重視しています。また、禅の道元でさえも「華厳」を非常に重視しています。ところが、この華厳思想はとても難解です。華厳思想を理解するだけで一生が終わっちゃいそうです(笑)。しかも、難解なだけに正しく理解できずに、横道にそれた誤った理解になるかもしれません。また、たとえ、正しく理解できても実体験を伴わなければ、戯論と何ら変わることのない言葉遊びになってしまいます。喩えるなら、言葉の上での理解は山頂から見える景色を実際に見もせずに麓からあれこれ言うようなものだと思います。そうではなくて、とりあえず、山頂に登って景色を実際に見てから見えたものについてあれこれ言えば良いと思います。喩えるなら、華厳は登山マニュアルであって、登山マニュアルから思想を引き出すのではなくて、実際に見えた景色から思想が自然と出てくるのだと思います。単なる言葉の上での理解では、仏教的には実質的な意味がないんじゃないかと思います。そういうわけで、華厳は、時間もかかるし、理解も容易ではない。しかも、言葉の上での理解だけでは意味がない。だったら、それよりは、とりあえず、LSDを1回やった方がよっぽど有益じゃないかと思います(笑)。言葉の上での理解なんてどうでも良いんじゃないかと思います。あるいは、理解は後からで良いんじゃないかと思いますし、そのうち言葉になって付いてくるんじゃないかと思います。ともかく、人生の時間は有限で限られており、いつだって人生の残り時間は少ないと思います。あまり悠長にしてられないんじゃないかと思います。以上、あくまで推測ですが…。

(*7)現代人にとっては「悟りを開く」は選択の問題かもしれませんが、古代人にとっては選別の問題だったのではないかと思います。シャーマニズムの時代では、古代のシャーマンたちは自らの意思に関係なくスピリットによって否応なしにシャーマンに選別されたようです。ちなみに、多くの宗教はアニミズムが起源だと思いますが、仏教はシャーマニズムが起源ではないかと私は思っています。ただ、シャーマニズムでは重視した脱魂を仏教では軽視しているのはいささか問題ではないかと思います。なぜなら、脱魂はエネルギーと深い関わりがあると思うからです。また、「マトリックス」での赤いピルは極めて象徴的だと思います。というのも、現代人は自然を囲い込んで自然の力を封じ込めてしまいました。同様に現代人自身も文明によって囲い込まれて、心の自由を得る可能性をほとんど失ってしまいました。現代人にとって赤いピル(=サイケデリック・ドラッグ)だけが「悟りを開く」ための唯一の道ではないでしょうか。しかし、それもほとんど非合法になってしまいました。その結果、私たちはまるで家畜のように柵の中に放牧されているだけになってしまいました。そこには屠られるのをただ待つだけの、そして、その恐怖から目を逸らすために無駄な暇潰しに明け暮れる無意味で虚ろな生しかありません。私たちは「マトリックス」につながれた人々のように、本当に、完全に囚われた人々になりつつあります。

■参考文献
「路上」 ジャック・ケルアック
「ザ・ダルマ・バムズ」 ジャック・ケルアック
「カリフォルニア・オデッセイ3 めまいの街」 海野弘
「カリフォルニア・オデッセイ4 癒しとカルトの大地」 海野弘
「ジョン・C・リリィ 生涯を語る」 J・リリィ+F・ジェフリー