2006年9月24日

第11回大朗読


「第11回大朗読」 を鑑賞しました。


大朗読が凄いことになっています!
もしかしたら、新しい時代の幕開けに立ち会ってしまったのかもしれません?!

以下、感想です。

・東井さんの朗読詩「カレーはタマネギだ。」には、改めて言葉の力を思い知らされました。言葉が直に背負っている意味の力で心に響いてくるのではありません。意味をはぎ取られた実体のないはずの言葉が、こんなにも私たちの言語空間をかきまぜて心に多様な波動を引き起こすとは思いもしませんでした!その効果はカレーの香りがカレーの味よりも鮮烈さを与えるのに似ているかもしれません!これは言語空間が崩壊する寸前に見せる不思議な輝きです。まさに言葉の魔術師です。

・岩本さんには驚かされっぱなしです!乱歩 に触発された詩「厠」を尺八付きで朗読されました。欲動に突き動かされる激しいダイナミズムが、詩の中でまるで獣のようにのたうっています。詩の展開は、はじめは笑いから聴衆を引き寄せ、次第に妖しくおぞましい世界へと聴衆を誘い込みます。そして、最後には西洋女性の吹く尺八が虚無僧の如く何かの終りを告げているように聞こえました。まさに汗や血をふり絞って身体が生命を尽くしてエロスを極限まで押し進めたとき、その行きつく果てにタナトス がたち現れたかのようです。それにしても聴衆の心をこれほどまで自在にコントロールすることに恐ろしささへ感じました。ただ、それにしても、バロウズ 級に過激でした・・・。

・加藤さんは映像詩「大黙読」でした。撮影場所はフランスで、どこかノスタルジックな風景でした。次の言葉が印象的でした。

もう、なぜ生きるのか、なのではない。 どのように終わらせるか、だ。

これは若者には真似できない、避けられない死を覚悟した年長者の深い言葉です。大朗読の詩人たちに通底する深い言葉です。これは終りの始まりを意味しています。生命の衰えを感じたとき、人生の終末を向かえたとき、人生の道の行く先に死を見つけたとき、詩人の魂はどこに向かってゆくのでしょうか。最後のシーンでバタイユ の墓標の向こうに天使がたたずんでいるのが、とても印象的でした。

グローバル化した今の世界は何かを得た代償に何かを失いつつあるように感じます。その何かは、はっきりとは分りません。いえ、何かがはっきりしたかと思った瞬間、別なものにすりかわって、システマティックに元の喪失に戻ってしまうように感じます。でも、何とどう戦えばよいのか、いえ、戦う相手が何なのかすら分らないのです。そうしているうちに、人間そのものが変わってしまうように感じます・・・。上の世代はそれを直感的に分っていながら、上の世代は上の世代で老いとの闘いが待っています。どうすることもできない、そんな終末をこの映像詩から妄想してしまいました。

・秋山氏のオカルト詩は、難解な現代詩とのことでした。なぜか僕は失われた精神領域を表現した古代詩として誤読してしまいました。失われた領域とは神憑り(憑依)という精神領域です。かつてそれは人間にとって特殊ですが確固として存在する精神領域のようでした。現代日本では完全に失われたようですが、西洋には啓示 として残っているかもしれません。現代人である僕などは逆に西洋の啓示から想像してしまいます。なので、イスラム哲学者・イブン・アラビーの存在一性論に因んだ次のような詩を想起してしまいました。

ああ、なんという不思議なものか、われと汝のこの結びつき。
汝の汝は、われのわれをわれから消し去って
あまりにも汝に近く引き寄せられたわれ故に
汝のわれか、われのわれかと戸惑うばかり。

(ハッラージの詩より)

われらのあいだから汝とわれは消え去って
われはわれでなく、汝、汝でなく、さりとて
汝、すなわちわれでもない
われはわれでありながらしかも汝
汝は汝でありながらしかもわれ

(ルーミー「シャムス・タブリーズ詩集」より)

不思議な主客合一の体験のようです。どこか西田幾多郎 の純粋経験 を思い出します。

さて、他にも、郡さん、ユキオさん、ホムラさんや常連、詩ボク出場者など多数の方々が朗読されました。皆さんそれぞれが個性的で、全体的にレベルの高さを感じました。

・郡さんはいつになくカッコ良く感じました。チャンピオンになったためでしょうか、風格を感じました。

・ユキオさんは俳句でした。なぜかケロイドという文言が気になりました。

・ホムラさんはいつになく真剣な感じがしました。何か変化の予感がします。

とにもかくにも、今まで大朗読は回を重ねるごとにパワーアップしてきましたが、今回は一段とレベルをジャンプアップした、内容の充実を感じました。この充実ぶりは、もしかすると歴史に大きな足跡を残す大朗読時代の幕開けになるやもしれません。まるで大航海時代に似た大朗読時代・・・。新大陸を発見するのか、あるいは、ノアの箱舟の如く旧世代の英知の種子を残すのか、あるいは、そのまま二度と還らぬ新世界へと突き進んで行くのか。大朗読の航海は始まったばかりです。

※大朗読発行のビジュアル系ポエトリーマガジン「DOG MAN SOUP Vol.3」が丁度刷り上ったばかりで、できたてホヤホヤを入手できました。ムチャクチャ、かっこいいです!また、ユキオさんも執筆している文学系ギャルサークル・ブラック乙女部発行の「BoB Vol.1」も入手できました。恐るべき乙女たちです!

2006年9月17日

第6回詩のボクシング岡山大会本大会


「第6回詩のボクシング岡山大会本大会」 を鑑賞しました。


この第6回以前の全大会を見てきたわけではないので正確には分りませんが、
これほど充実した「詩のボクシング岡山大会」は初めてではないでしょうか?

予選を突破して選ばれた16名はそれぞれに自分の持ち味を発揮されて、
会場の観客を飽きさせないどころか興奮の渦に巻き込みました。
その証拠に審査員の判定にこれほど敏感に観客が反応した大会は今まで無かったと思います。
(詩を勝ち負けで判定するなんて無茶な役目を負わされた審査員の方々は本当にお疲れ様だと思います。)

そして、トーナメント方式で対戦され、7人の審査員が判定した結果、郡宏暢さんが優勝されました!
郡さん、おめでとうございます!この希にみる激戦の第6回大会での優勝は本当に凄いことだと思います!

今回は印象に残ったことがとても多い大会でした。

冒頭の竹入光子さんによる永瀬清子の詩の朗読は、清々しさの中にも、きっぱりとした力強さがあり、
これからはじまる朗読空間を見事に磨き上げて準備を整えられました。

また、さわら小町さんの艶やかな着物姿が、ともすれば殺伐となりそうなボクシングのリングを、
闘牛場のカルメンのような効果を発揮して、より高い美の空間に演出されていました。

へい太さんの司会進行には、暖かいオーラを感じました(笑)。
だって、ちょっと間違えても観客のハピネスは逆に増すばかりでしたからね。

そして、個性的な朗読の数々でした。
対戦なんて言わずに、もっとじっくり、たくさん聞いていたい詩の数々でした。
(でも、審査員の方が言われたように、頭は心地良くフラフラになっちゃいましたね。)
以下、印象に残った朗読の感想です。

・澤さんには、憑きモノの降臨、語り部の末裔を感じました!このソフィスティケートされた21世紀にこのような語り部空間を現出させられる野性を見られて感動しました!楠さんが評したように復活戦に再選してほしかったです。

・船津さんの準決勝の作品、最後まで聞きたかったです。タイムマシンとして弾丸が出てきたとき、結末がとても気になりました。近代精神の行きつく果てに現れる狂気の闇が見られるのでは?とドキドキしました。時間切れがとても残念でした・・・。

・空太郎さんの芸風は、とても完成度が高く、あとは詩をどこまで深めてゆけるかと感じました。
「その通り」のためだけに用意された大掛かりな無駄なセットとバナナのアドリブには、凄いと唸らされました!

今大会は誰が優勝してもおかしくないほどのまれに見る大接戦・大激戦でした!
お笑いではない、詩の朗読というパフォーマンスアートが、世界を席巻する日もそう遠くないのかもしれないと強く感じさせられた大会でした! 全国大会がとても楽しみですね!

2006年9月10日

詩のボクシング第6回岡山大会



今年も詩の朗読の熱い闘いが始まります!言葉とパフォーマンスが観客の度肝を抜きます!
”異文学コミュニケーション”と銘打たれた今大会では、一体どんなパフォーマンスが見られるのか?!
とっても楽しみですね!

スケジュールは次の通りです。

「第6回詩のボクシング」岡山大会予選会 8月26日(土)13:00~ 西川アイプラザ4F会議室 入場無料
↓ 
「第6回詩のボクシング」岡山大会本大会  9月17日(日)13:00~ 西川アイプラザ5Fホール 当日1,200円
「第6回詩のボクシング」全国大会  10月7日(土)13:00~ イイノホール 当日3,500円




また、2006年「詩のボクシング」各地大会開催スケジュールはこちら です。

2006年9月3日

斉藤恵子さん


斉藤恵子さんは岡山在住の詩人です。

詩集には、「樹間 」、「夕区 」があります。

処女詩集「樹間 」では、第55回H氏賞 で次点に、第10回中原中也賞 や高見順賞 で最終選考にノミネートされたりしました。たいへん注目されている詩人です。

また、第2詩集「夕区 」が2006年8月に刊行されました。

また、大朗読 に出演されたりしています。





斎藤 恵子

斎藤 恵子
夕区