「荻野美術館」を鑑賞しました。
道に迷った路地裏で、顔を背けるようにひっそりと佇んでいた、土蔵のような美術館に迷い込んでしまいました。江戸時代に北前船で財を成した下津井港の豪商荻野家の書画や器物などの美術コレクションとのことでした。
木の香りのする館内には、円山応挙、松尾芭蕉、伊藤若冲、森寛斎、浦上春琴らの書画があるとのことですが、何故か見付けられずに、いつの間にか裏の庭園に迷い込んでいました。
庭園には、奇岩巨石が配され、座敷の奥には幽玄不可思議な掛軸がかけられ、小さな池には金魚が泳ぐでもなく止まっているように佇んでいました。また、膨らんだ黄色い腹に黒い縞模様の大きな蜘蛛が、池の上に伸びた木に爪弾けば音が響きそうな太い蜘蛛の糸を張っていました。入ってきた門を振り向くと稲荷の祠の横で黒斑の猫が丸い目でこちらをじっと見つめていました・・・。
鵬の旋風でしょうか、天籟の風が音もなく吹いていました。
鵬の旋風でしょうか、天籟の風が音もなく吹いていました。
帝子北渚に降る。目眇眇として予を愁へしむ。
嫋嫋たる秋風、洞庭波だって木葉下る。
白薠に登りて望を騁せ、佳期を與にせんとして夕に張る。
鳥何ぞ蘋の中に萃まれる。罾何ぞ木の上に為せる。
・・・・・・
何か不思議な時間が流れていました。
・・・・・・
四荒を經営し、六漠を周流し、
上って列缺に至り、降って大壑を望む。
下は崢嶸として地無く、上は寥廓として天無し。
視は儵忽として見る無く、聴は惝怳として聞く無し。
無為を超えて以って至清に、泰初と與にして隣と為る。(「楚辞 遠遊 第九段」より抜粋)
いつの間にか荘周胡蝶の夢のように蝶となって迷い出てしまったのでしょうか・・・。意識は渾沌として何の区別も付かず、物みな斉しく見えるような何も見えないような心持がしました。どこにいるのかも分らず、何も無いモノが有るような無何有の郷に遊んでいる、そんな真空妙有なありもしない時間が流れていました・・・。
夢と現実の彼岸に抜け落ちてしまいそうな中、次のような荘子 が思い出されました。
丘や汝と皆夢なり。予の汝を夢むと謂ふも亦夢なり。
是れ其の言や、其の名を弔詭と為す。
萬世の後にして一たび大聖に遇ひ、其の解を知る者は、是れ旦暮に之に遇ふなり。(「荘子 斉物論第二」より抜粋)
あるいは
故曰、至人無己、神人無功、聖人無名。(「荘子 逍遥遊第一」より抜粋)
もう訳がわかりません・・・。気がつけば、携帯電話が鳴っていました・・・。
どうやら癲狂にして愚かな僕は昼間から目覚めぬ夢を見ていたようです・・・。