「成羽町美術館」 を鑑賞しました。
成羽町美術館は、安藤忠雄 氏設計の建物です。ロビーから流水の庭を大画面で臨める「開かれ」を感じる場所です。すべてがこの「開かれ」の前では顕かになるかのような、アリストテレス的な空間でした。このアリストテレス的空間の中では、どのような闇もその光に照らされて、理の知性によってその秘密を解き明かされる、そんな開顕を感じます。そんな知性を想像するとき、次のような言葉を想起したりします。
形相がその物の滅んだ後にも存続しうるか否かについては考察されねばならない。
或るものには、その形相は存続するとしてもいっこうに差し支えない。
しかし、たとえば、魂はどうだろうか。
魂の場合は、魂全体ではなく、知性(ヌース)が存続するであろう。
おそらく、魂が全体として存続することは不可能だろうから。
だから、それだけでイデアの存在を主張する必要は決してない。
なぜなら、人間が人間を生むのであり、個々の人間が個々のある人間を生むのだから。(アリストテレス「形而上学」より抜粋)
アリストテレス は「思惟の思惟」の中で連続する不滅の知性(ヌース)を見たのかもしれません・・・。しかし、一方でアリストテレスの師プラトン を想起したりもします。純粋イデアを観照したプラトンは現実界に対してイデア界を導入することによって、闇を光の中に包み取ってしまったように思います。ディオニソス 的な闇の力をイデアに転換することで、闇を内包・原動力とした光の言葉・イデアに変えてしまったように思います。ただ、プラトン自身は洞窟の譬喩や「饗宴 」の女性知者ディオティマのようなディオニソス的・魔女的知に触れていたような気がします。どこか白川静 博士がいう巫女の子・孔子 にも通じるような気がします。
また、アリストテレス と言えば、一方で彼が家庭教師をしていたアレキサンダー大王 を想起したりします。真・善・美の理想世界を実現しようとして、世界を統一した青年王・アレキサンダー大王。異民族の娘と結婚したり、世界図書館を作ったり、アレクサンドリア という開かれた都市をいくつも建設したりしました。彼は青年らしい理想主義をもって世界を駆け巡りました。どこか法華経 を理想とした石原莞爾 の次のような言葉を思い出したりもします。
満州国はそれぞれに、歴史や伝統や風習を異にする日・漢・満・蒙・露其他の民族が集まつて、しかも、お互に力を協せ助けあつて、そして強く、正しく、楽しい国家を築き上げようとしてゐるのである。ひとりよがりな差別心、くだらぬ反感、つまらぬ嫉妬心などがお互の間にあつてはならない。(関東軍副参謀長石原莞爾大佐 児童書「少年満州実話集」序文より抜粋)
また、あるいは、コンクリートの壁の仕切りは、衝立で仕切られた日本的空間にも感じられます。仕切りの角を曲がる度に、違った世界が目の前に開かれてきます。
また、日本最古の植物化石などの化石展示室があります。展示には、大型のトクサ、シダ、イチョウ、ヤブレガサウラボシ科の仲間など100余種があります。
また、成羽町美術館までの高梁川沿いの国道180号線は深山幽谷と大河のとても雄大な風景を楽しめます。日本列島はまるで龍であり、山々はうねる龍の背骨のように感じられます。きっと、この大地の下では、まだ、マグマがグツグツと煮えたぎっている、そんな風に感じられます。
そんな、とても遠い所にあるように感じられるのですが、龍脈漂う深山幽谷の道を辿ってゆくと、その先には真善美の殿堂たるアリストテレス的な空間・成羽町美術館が私たちを待っているのです。