「エコール・ド・パリと日本の画家たち」(成羽町美術館 )を鑑賞しました。
1920年代のパリ。都市やエロスの猥雑な雰囲気が漂っている中、写実ではない新しいウィジョンが模索されているように感じられました。あれほどの写実的な西洋美術の美の伝統を持ちながら、なぜ当時の芸術家は美とは程遠いであろう新しいヴィジョンを追求したのでしょうか。そんな疑問にちょっぴり答えてくれるかもしれない、そんな展覧会でした。
ユトリロ の作品は、不自然なまでの建物の直線が空間に違和感を与えているように感じられました。そこに普段とは違う空間の存在を感じます。また、キスリング は女性の裸体が浮かび上がる曲線に空間の違和感があるように感じられます。そして、意外にもシャガール の2つの花束を描いた作品も、一方の花束の後ろでは窪んだ異空間が開かれているように見えました。いずれも、どこか遠近法からの脱却を模索しているように感じられました。そんな違和感を想像するとき、次のような詩が想起されたりします。
知っているだろうか、
宙吊りにされた感受性とはどんなものか。
ぞっとするほど恐ろしく
そして 二つに分断されているこの種の生命力を。
欠くべからざる結合のこの地点、
生きている者がその高さまでは届かないこの結合地点、
おびやかしつづけるこの場所、人を圧倒し打ちのめすこの場所を。(アントナン・アルトー 「知っているだろうか・・・」より抜粋)
そんな彼らに対して、日本人画家の絵には遠近法を打ち破るような強烈な空間への破壊は特別には見られないような気がしました。むしろ、柔らかくその異空間を日常性へ落ち着かせようとしているかのようにも感じられました。そこには、美へのこだわりがあったのかもしれません・・・。また、少女漫画への萌芽が散見されたように思います。
それにしても、今度はもう少し時間に余裕を持って訪れようと思います。閉館30分前での小走りな鑑賞はさすがに辛いでした。