2006年11月13日

瀧浦光樹展


「瀧浦光樹展 -動脈と静脈のウタ-」(ホワイトキャンバス )を鑑賞しました。

告知のポストカードからは女の子向けの絵本やイラストの展覧会かなと思っていましたが、そうではなくて、様々な技法に挑戦している作品群でした。全体的に、どこか妖精や神話やフォークロアを思い起こさせるような絵でした。

イラストなどキャラクター化すると、記号的になって明るさや可愛さなど一意的・一面的になってしまいがちですが、彼の作品にはどれも内面的な奥行きを感じました。それは、特に人物の背後にある空間の描き方に表われているように思います。モネ のような手法で描かれた薄ら暗い闇の空間、そして、その奥行きは無限の奥行きへと繋がっている、そんな感じがしました。そんな無限の薄暗い奥行きが精神的内面の奥行きとあいまって、作品全体に深みを出していると感じました。ただし、人物たちは、無限の闇を抱え持っているけれども、その闇に囚われずに、自然にポジティブな姿勢でいるんだろうなというイメージを感じました。

ポストカードの少女の衣装で思い浮かんだのは、宮崎駿監督の「太陽の王子ホルス 」に出てくる少女ヒルダでした。ヒルダは可愛らしい美しい女の子なのですが、どこか寂しげな・暗い・哀しさを秘めた女の子でした。絵に見られる無限の奥行きにも共通する暗さ・闇のような気がします。

また、そんな衣装から、ロシアの田舎の民族を想像してしまい、ロシア5人組 の一人、ボロディン の歌劇「イーゴリ公 韃靼人の踊りと合唱 」を想起したりします。この楽曲のクライマックスでの合唱が溶け合う感じは、うまく言い表せませんが、何というかグルグルと旋回して融け合うようなミルクな感じがします。民族衣装を着た女性がオーケストラで合唱している、そんなイメージが浮かび上がってきます。そこでは、国家とか民族とか科学とかが、希望を持って悦ばしい幸せな結び付き(結婚)を果たすような感じがします。それも女性的・母性的で非暴力的で、滑らかな混合を感じます。多くの交響曲は男性的なイメージが強かったのですが、この交響詩からは女性的もしくは、男性性・女性性が混合した中性的な感じもしました。この楽曲は、元々、西洋と東洋の融合を描いていますが、その融合される様からは、エクスタシーや狂気や歓喜などを感じます。(たとえば、バレエ「ドンキホーテ」などの多数回に渡る旋回にもどこか通じているような気がします。)

(また、ロシア5人組は音楽だけの専門家ではなく、本業は化学者であったり、職業軍人であったりしたそうです。何だか音楽(芸術)と科学の楽しい幸せな結合(結婚)も想像してしまいます。また、楽しいアマチュアリズムやアートのある豊かな市民生活なんていうのも、羨ましく楽しく想像したりしてしまいます。)

そんな幸福な結婚のイメージから次のような小説の一節を思い出したりします。

そこで、妹をまず抱きしめると、まるで身体じゅう喜びにあふれたような表情で、
生まれて、今日ほど幸福な日はないと言った。
「もうなんて言っていいかわからないわ!
幸福すぎるわ!こんな、私のような女が!
どうして世の中に、不幸な人なんているのでしょう?!」


幸せな結婚はこちらまで喜ばしい気持ちになってきますね。

さてさて、この展覧会は、総じて、とても色彩豊かで、大人になった少年少女のような感性で描かれたような作品に感じました。