「佐藤朝山展」(田中美術館 )を鑑賞しました。
大正・昭和時代に活躍した木彫家・佐藤朝山の展覧会でした。フランスに留学してルーブル美術館で学び、ブルーデルに師事したそうです。
博物学の細密画のようなトカゲやウサギや鳥でしたが、どこか丸みのある彫刻でした。人物にもそれは表われていて、運慶 ・快慶 のような西洋を知る前の彫刻が直線的・劇画的であったのに対して、佐藤朝山の彫刻は曲線的・ギリシア的でした。西洋を知る以前の日本では、美の概念が東洋的な力強さ・激しさであったのが、西洋を知った後は女体的な柔らかさ・優美さを取り入れたように感じられました。ただし、西洋の美をそのまま取り入れるのではなくて、さらに、その西洋的な見方を応用して新たな美を生み出そうと模索していたように感じられました。
明治以降、日本の絵画は日本画として大きく変わったように感じられます。それは、西洋を知ることで、西洋のみならず東洋までも相対化してしまったような気がします。そして、東洋(中国)でもなく、ましてや西洋でもない、自分自身の日本の美とは何か、日本のアイデンティティの探求、日本探求が始まったのではないでしょうか。西洋を知る以前、画はある意味、書に近いものだったのかもしれません。ところが、女性的な西洋的美や奥行き(空間)に触れて、日本画は日本独特の美を表現しはじめたのではないでしょうか。そこに描こうとしたものは何でしょうか。
たとえば、一つは、無の空間としての正四面体や立方体や球体の空間をイメージしてしまいます。その空間は寂光を放っていて、空間そのものは、明るさのない光、透光のようであり、エーテルすらも無い、静寂な絶対真空の無-空間のように想像されます。プラトンのいう全てを受容するコーラかもしれません。次のような詩歌が思い出されたりします。
何事の おわしまするか 知らねども かたじけなさに涙こぼるる(西行法師)
西行法師 の言う「何事のおわしまする」かのように感じる、静謐な無-空間なのです。そして、喩えて言うなら、その絶対空間のある位置は、雲を突き抜けた最も高い山の頂であり、それは至高の高み、最も極北の位置する所、星々の極北・北極星のように想像したりします。
しかし、一方で、無-空間の真空から強力な磁場を発生して、動を招来するようにもイメージしてしまいます。万物は流転すると考えたヘラクレイトス のいうような、龍脈漂う渦巻きや閃光煌めく稲妻の走るカオスのような動です。それが人知に転換されると、舞楽 の舞が透けて見えるようにイメージしてしまいます。たとえば、その無-空間の内外で、小さな安摩の二の舞が舞われている、そんな幻影を想像してしまいます。次のような囀詩を想起します。
日は晩景になりにたり 我行く先は遙かなり(「安摩 二の舞 囀詩」より抜粋)
日本文化のほとんどは外来文化で成り立っていると思います。確かに日本人は自分たちの文化を独自には、形あるものとして描けなかったのかもしれません。ですが、むしろ、積極的に描かなかったのかもしれません。描いた瞬間にそれは本物とは差異を生じてしまうように感ぜられたのではないでしょうか。ライプニッツ のモナド のように絶え間なく差異を生じてしまうと考えたのではないでしょうか。なので、誤解を招くような描くことはせずに、ダイレクトに掴み取れるように場所(環境・箱空間)だけを整えたのではないでしょうか。山川草木悉皆成仏を言った空海の次のような詩が思い出されます。
閑林に獨り坐す 草堂の暁
三寶の聲 一鳥に聞ゆ
一鳥聲有り人心有り
聲心雲水倶に了了たり(空海「性霊集 第十巻」から 「後夜に佛法僧の鳥を聞く」より抜粋)
いずれにしても、日本には、日本語と山川草木の自然があります。現代文明においても、それある限り、精霊が宿る可能性は残されている、そんな気がします。(どんどん失われつつありますが・・・)