2007年2月19日

倉岡一誠展 ROCKET

倉岡一誠展 ROCKET 」(slogadh463 )を鑑賞しました。

白い丸いタイルをテクスチャに赤紫っぽい色で所々を染めた作品でした。何かの痕跡のように感じました。霊的な何かが通った痕跡、あるいは、まったく逆に、バスルームを連想するタイルで何かが殺された血痕のようにも感じました。そんなことを想像していたら、”神の死”について朦朧と妄想していました…。

近代の始まりにニーチェ は「神は死んだ」と宣言しました。それは、産業革命によって列車で通勤して工場で働くといった近代社会が始まって、当時の人たちも今の私たちと同じように神を信じなくなったり、必要としなくなったりしたからだと思います。(これは日本に当てはめると「自然は死んだ」と言うのと等しいかもしれません。)人々の心から神(=自然)への畏敬の念が消えてしまったことで、この時代の人たちのメンタリティが過去の人たちと比べて大きく変わったようにニーチェには感じられたのかもしれません。そんなとき、次のような詩を想起します。

氷の心を持つ偽善者ら、神々を利用してその名を口に乗せるな!
君らは悟性は持つだろう、だが太陽神の存在を信じることはない、
雷神も、ましてや海の神にいたっては。
大地が死ぬとき、誰が死の大地に感謝しよう?

心安んじあれ 神々よ! あなたがたはそれでも歌を飾ってくれる、
たとえあなたがたの名前から 魂が姿を消してしまったときですら、
さらに偉大な言葉が必要と言うのなら、
母なる自然よ! あたなを想い見るだけでよいのだ。

ヘルダーリン 「偽善の詩人たち」より抜粋)

神々と歌ったりして汎神論 云々と論じてみたくなるかもしれません。でも、ヘルダーリンを好んだ哲学者ハイデガー は彼の詩を宗教や哲学で解釈することを拒みます。解釈するのではなく、心で感じることを重視したようです。(どこか本居宣長が漢籍や仏典の知識で解釈することを戒める「もののあわれ」を説くのに似ています。)ハイデガーは人々からこういった詩を心の奥深くで感じて理解する心が失われてしまうのではないか、人々が表面上は敬虔であっても内面は「氷の心を持つ偽善者」になってしまうと考えたのかもしれません。だから、解釈してうわべの説明に安んずるよりも感じることを重んじたのかもしれません。

しかし一方で、ハイデガーは神が死んだ後の哲学を考えたようです。当時の哲学はほとんど神を土台に据えていたので、これからは神無しで哲学を再構築しなければならないと考えたのでしょうね。なので、まったく神が登場しない哲学を再構築しようとしたのだと思います。そこで、まず、根本的な事柄、”存在”を再度考え直そうとしたのでしょう。それまでは、「存在=神」でしたが、神が死んでしまった今、存在を再定義しなければならなくなったようです。そして、「存在と時間 」を考えましたが、神無しでの哲学の再構築はうまく行かなかったようで、主著「存在と時間」は未完に終わります。ハイデガーは存在について考えているうちに、次第に形而上学に対して微妙な不信を抱いていったように思います。「言葉は存在の家である」と言うほどにハイデガーは言葉を信じ愛していたのですが、言葉で形而上学を完全には構築できないのではないかと感じていったのではないでしょうか。「ある=存在する」という言い回しが複雑にしていますが、語りえぬことを語る詩を愛したハイデガーの次のような言葉が思い出されます。


展示されている芸術作品とはいったい何であるのかという、
講演で提起した問いは、まだ全面的に納得できるほど明らかでないように思えます。
この問いの背後には、
そもそも芸術作品はあるのか、という問いが潜んでいないでしょうか。
それとも、芸術は、形而上学ともども崩れてゆくのでしょうか。

(ハイデガー 弟子ペツェット宛手紙より抜粋)

ちなみに、 では「言無展事」といって、言葉は存在をあるがままにすべてを表現することはできないと言い切っています。不立文字というように言語に対する力強い不信がそこにはあります…。

さて、ニーチェのいう神が死んでしまったのは何となく納得できます。でも、私たち日本人にとって、現代においてもなお自然は死んでいません。ただ、ここでいう自然は神と似たようなカテゴリにある言葉のようにも思います。今なお生き続けている自然と日本人の無意識はとても深いところで繋がっているようです。というのも、たとえ、存在が謎に包まれていても、自然と切り離されて文明社会で生きていても、経済活動に思考も行動も束縛されていても、今なお自然が語りかける声を聞くことができるからです。それは、得体の知れない何かに対して私たちの心が開かれているからだと思うのです。コンピュータのようなロゴス中心主義的な二元思考だけではない、非論理的な思考ならざる思考回路が開かれている、そんな気がします。