2009年9月27日

『朗読者』を読む その4


■第2部読解
■第2部第1章(p103-p106)
この章では、ハンナが去った後のミヒャエルの変化が描かれています。時間的には法学部の学生になった頃までを描いています。ここでのポイントは、ハンナに去られた後のミヒャエルが人間的にまっすぐに成長したわけではなく、むしろ、ハンナが居なくなったことによる穴が大きいかったために、ミヒャエルの成長が人間的に順調ではない方向に変わってしまったことです。

ギムナジウムでの最後の日々、そして大学で学び始めたころのことは、幸せな歳月としてぼくの記憶に残っている。と同時に、そのころのことについてほどんど語れるような思い出がない。……友情も、恋愛も、別れも、何もかもが簡単だった。すべてが簡単に思え、すべてが軽かった。……そもそも幸福な思い出というのがあたってるのかどうか、ぼくは自問する。(p104)ぼくがハンナとの思い出に別れを告げたものの、けっしてそれを清算したわけではないこともわかる。ハンナとのことがあったあとでは、もう誰からも屈辱的な目に遭わせられたり、遭わせたり、誰かに罪を押しつけたり、罪の意識に苦しんだり、その人を失うことが痛みとなるほどまでに人を愛したりはしなくなった。(p104)ぼくは高慢で優越的な態度を身につけ、自分が何物にも動かされず、揺るがされず、混乱させられない人間であるかのように振る舞った。(p105)ゾフィーのことも思い出す。……彼女はぼくがほんとうは彼女を求めていないことに気づき、涙ながらに言ったものだ。「あなたはどうなってしまったの?」(p105)


ミヒャエルはハンナとの別れを自分の中で気持ちを整理して清算できずに、一種のトラウマとして抱えています。そして、それが原因でミヒャエルは他人との親しい人間関係・距離の近い間柄を築けなくなってしまっています。そのため、生活もどこか虚ろな充実感の欠いた生活になっています。

■第2部第2章(p106-p110)
この章では、ゼミでナチ時代を裁く裁判を傍聴することになり、ゼミの教授や学生たち、ミヒャエルの状況や心境が描かれています。ここでのポイントは、学生たちやミヒャエルの当時の心境です。学生たちは、ナチ時代に犯した過ちをもって彼らの親世代を断罪することに正義感を見出し、熱狂してゆくことです。一方、ミヒャエルは前章で示されたように何事にも熱狂せずに距離感を持っていたのが、このゼミでは次第に学生たちに同調してゆきます。(ただし、それは実際の裁判の傍聴が始まる前の話、冬の間のことです。)

再検討!過去の再検討!そのゼミの学生であったぼくたちは、自分たちを再検討のパイオニアとみなしていた。……彼らを追放しようと思えばできたのにそれもしなかった世代そのものが裁かれているのだった。そして、ぼくたちは再検討と啓蒙作業の中で、その世代を恥辱の刑に処したのだった。……ぼくたちはみな両親を断罪したが、その罪状は1945年以降も犯罪者たちを自分たちのもとにとどめていおいた、ということだった。(p108-p109)

■第2部第3章(p110-p116)
この章では、法廷でのハンナとの再会が描かれています。ここでのポイントは3つあります。1つは裁判長や弁護士の特徴が描かれています。裁判長はやや恣意的であること、一方、若い弁護士は性急であり、他の老弁護士は長広舌で、どちらの弁護士も裁判には不利であったことです。いずれにしても、それぞれ人間的特徴を備えていることです。

2つ目のポイントはハンナの経歴が裁判に不利だったことです。1つは、ハンナはジーメンスで昇進の話があったのに、ジーメンスを辞めてナチの親衛隊に入っています。ただし、ハンナも「親衛隊がジーメンスや他の企業で、看守の仕事をする女性たちを募集した際に自分も応募し、看守として採用された」と供述しているように、親衛隊に入るのが目的ではなく、看守の仕事の紹介が先にあって仕事に就くために親衛隊に入っています。つまり、就職が目的であってナチのシンパというわけではありません。もう1つは、まるで逃亡しているかのように頻繁に住む場所を変えていることです。しかし、これも弁護士が証言しているように、引っ越すたびに、警察への届け出を行っており、逃亡や隠蔽を目的としたものではないことを裏付けています。しかし、それにも関わらず、裁判の印象としてはハンナにとって不利になってゆきます。

3つ目のポイントはミハンナの釈放要求がなされたときのヒャエルの心理です。ミヒャエルは、もしハンナが釈放されたら、彼女に会うか会わないかを決めなければならない、それよりは自分の手の届かないところにいて欲しい、彼女との問題と向き合うことを避けたい、そう考えたことです。

ぼくは彼女がぼくから遠く、届かないところにいてくれることを望んだ。そうすれば彼女は、この何年かのあいだそうであったように、単なる思い出であり続けるだろう。もし弁護人の釈放要求が通るなら、ぼくはハンナに会う覚悟をしなければならないし、彼女に会いたいのか、会うべきか、という問題を、きちんとさせなければならない。(p115)

ミヒャエルは、今でもハンナのことをはっきりと強く愛しているのかというと、実はそうではなくて、ハンナのことを遠い過去の事柄に押しやってしまった結果、いまいちど、自分がハンナを愛しているかどうかに向き合わなければならないと考えたのだと思います。さらに、過去の気持ちと対面して整理しなければならないことを厄介に感じているのだと思います。

■第2部第4章(p116-p122)
この章では、裁判の参加者全員の、裁判に対する心の麻痺が描かれています。ここでのポイントは2つあります。1つはミヒャエルの心の麻痺です。ミヒャエルは、ハンナのことを最も愛した近しい対象ではなく、自分とは関係の薄い遠い対象として眺めています。さらに、ハンナだけでなく、その他のあらゆるものも、自分すらも遠くへ押しやって眺めてしまいます。

ぼくは、まるで彼女を愛し求めたのは自分ではなく、ぼくのよく知っている誰かだった、という気持ちでハンナを見ていることができたが、麻酔の作用はそれだけにとどまらなかった。ほかのあらゆることに関しても、ぼくは自分の傍らに立って、もう一人の自分を眺めていた。……ぼくの心は、その場で起こっていることに参加していないのだった。(p118-p119)

さらに、もう1つのポイントは、ミヒャエルだけでなく、裁判に参加している全員が心の麻痺状態に次第に陥ってゆくことです。ミヒャエルはさらに敷衍して、裁判で問うことと問わないことの両方の意義に疑問を投げかけます。問わないまま、驚愕と恥と罪の中で沈黙すれば良いというのか、だが、逆に問うことでも、結果的には驚愕と恥と罪の中で沈黙してしまうのではないか。裁判で裁くことの難しさが描かれています。

■第2部第5章(p122-p125)
この章では、裁判での2つの罪状が描かれています。1つはアウシュビッツに送る囚人の選別についてです。もう1つの罪状は空襲されて火災になった教会に囚人が閉じ込められたとき、教会の扉を開けずに、焼け死ぬままに見殺しにした罪でした。

■第2部第5章~6章(p122-p131)
この章では、殺されると分かっていながらも、アウシュビッツへ送る囚人を選別した罪について、ハンナや看守達への追及が描かれています。ここでのポイントは、次の裁判長とハンナのやり取りです。アウシュビッツで処刑されると分かっていたにもかかわらず、アウシュビッツに送る囚人を選別したことを咎めた裁判長に対して、ハンナは逆に次のように裁判長に問いかけます。

「わたしは……わたしが言いたいのは……あなただったら何をしましたか?」(p129)
それに対して裁判長は、

「この世には、関わり合いになってはいけない事柄があり、命の危険がない限り、遠ざけておくべき事柄もあるのです」(p130)

と答えます。これはハンナの質問から言い逃れするための裁判長の明らかな欺瞞です。ハンナが聞きたいのはそんなことではないのです。看守という立場で囚人を選別しなければならない状況におかれたときに、どうしたら良いのかを尋ねているのです。そこには「命の危険がない限り、遠ざけておく」ことなどできないのです。だから、裁判長のこの言葉に聴衆は落胆します。ところが、ひとりハンナだけは次のように呟きながら真剣に考え込むのです。

「じゃあわたしは…しない方が…ジーメンスに転職を申し出るべきじゃなかったの?」(p131)

このやり取りにおけるハンナを文盲ゆえの整理されていない混乱した思考と捉えるべきでしょうか?確かにハンナは裁判長の不完全な答えが言い逃れのためだということには気付きませんでした。そういった意味ではハンナは頭が悪いと受け取られるかもしれない。しかし、ハンナは正々堂々と意見を交わしているのであって、裁判で駆け引きをしているわけではないのです。ハンナの考えには駆け引きなど最初から無いのです。私はハンナは決して頭の悪い女性ではないと思います。では、このハンナの自問は一体何を意味しているのでしょうか?そう、これこそ、ハンナが直感を巡らせている最中なのではないでしょうか。このハンナの自問自答は、ハンナが自分の中で直感による因果関係を結び付けようとシミュレーションしているように私には思えます。通常ではありえないナンセンスな因果関係の結びつきを探そうかとするような、まるで糸をたぐり寄せるような感覚がこの場面のハンナにはあります。直感知とは何か。少し詳しく考えてみましょう。

まず、先に言語知を考えてみると、言語知は物事を整理して論理的に順序立てて並べ替えて考えることです。下左図のように一枚のカードにはひとつの因果関係があるとして、それらのカードを順序立てて前後に論理的に繋がりがあるように並べ替えることです。そうすることで、1枚目のカードと最後のカードに因果関係をうち立てることができます。では、直感はどうでしょうか。直感をイメージすると、直感は順序立てて並べ替えることなどはせずに、ホログラフィックの嵐のようにカードが本人の周囲を渦巻きのように飛び交っているようにイメージします。そして、その混沌とした中を稲妻のような閃光が突如因果関係を見い出すのではないでしょうか。あるいは、本来は長い紙のような論理の繋がりをロール紙のように丸めて渦巻状にして、渦巻きを貫くように因果関係を直接的に最初の原因と最後の結果を結びつけるのではないでしょうか。



もちろん、これは、あくまでイメージであって、実際の直感とは違うでしょうけれど…。ただ、ここでのハンナは、裁判長の言葉から「収容所での選別を避ける」ために、「ジーメンスに転職を申し出るべきではなかった」ということをあらかじめ予見できなかったかを、自分の頭で”直感”をシミュレーションしているのではないかと思えます。やはり、ハンナという女性は極めて直感を働かせる女性なのではないかと私には思えるのです。

■第2部第7章(p131-p137)
この章では、選別がハンナ個人によるものか看守達全員によるものかが争いが描かれています。おそらく、看守達全員の意思での選別なのですが、罪が問われるのを避けるために、他の看守達がハンナに罪を押し付けようと画策したのだと思います。さて、ここでのポイントはハンナが看守時代に朗読させていたことが判明したときに、裁判でハンナがとった行動です。

ハンナは振り返ってぼくを見た。彼女のまなざしはすぐにぼくの姿を見つけだした。それでぼくには、彼女がずっとぼくの存在に気づいていたことがわかった。彼女はぼくをただ見つめていた。何かを乞うたり、求めたり、確認したり約束する表情ではなかった。顔だけがそこにあった。(p136)

ここでハンナがミヒャエル以外にも朗読させていたことがわかりました。では、ミヒャエルも単にハンナに利用されただけでしょうか?ミヒャエルの場合、ハンナとミヒャエルが愛し合った後に朗読が始まりましたので、朗読させるのが目的だったわけではないのかもしれません。が、しかし、それもミヒャエルに朗読させるためのハンナの策略だったのかもしれません。ミヒャエルとの朗読の場合、ハンナはミヒャエルと朗読された物語の内容について話し合いました。そこでは二人の心の空間を築いたのではないでしょうか。そこには二人の間に確かな結びつきがあり、愛があったと思います。確かに朗読のためにミヒャエルを利用したことを否定できない面もあるかもしれません。でも、収容所での朗読と違って、ミヒャエルとの朗読は、内面についてお互いに語ることでハンナの心の奥深くまで二人一緒にダイブしたのだと思います。形はどうあれ、それは二人だけの特別な絆だったと思います。

なので、ここで、ハンナがミヒャエルを振り返って確認したかったのは、ミヒャエルとの朗読と看守時代との朗読を、ミヒャエルは同じに捉えているのか、それとも、それとは別の二人だけの愛の絆として捉えているのかを確認したかったのではないでしょうか?もし、前者であれば、ミヒャエルはハンナに利用されたと考え、あの愛の日々もウソだったと思うかもしれません。そうなれば、ミヒャエルのハンナへの愛は瓦解してしまいます。ハンナはそれを恐れたのではないでしょうか?ミヒャエルの愛が失われることを。だから、ミヒャエルがハンナの過去の朗読をどう受け取ったかをハンナは振り返って確認したかったのだと思います。「違うの!看守時代の朗読と違って、あなたとの朗読には愛があったの!」本当はハンナは懇願するようにそう叫びたかったのではないでしょうか?でも、「顔だけがそこにあった」というように、そんな素振りを微塵も見せないところが、ハンナの性格なんだと思います。自分が正しいのであれば、誰に懇願する必要もない、ハンナはそう考えたのではないでしょうか。

■第2部第8章~9章(p137-p150)
この章では、燃える教会に囚人たちが閉じ込めらて見殺しされた話の回想と、見殺しにした責任者は誰かを追及する話です。閉じ込められた囚人で助かった母娘は助かろうとしたわけではなく、燃えさかる炎に近いにもかかわらず、ただパニックの集団から離れたかったがためだけに二階に逃げただけだでした。皮肉にも、そのおかげで母娘は助かったのでした。私にはどこか歴史の皮肉を感じさせられます。

さて、ここでのポイントは2つです。1つはハンナとハンナ以外の看守たちの違いです。裁判長の「どうして扉を開けてやらなかったんですか?」という質問に対して看守たちは、自分は負傷していたとかショック状態だったとか言って、自分たちに不利にならないように責任逃れをしていることです。それに対して、ハンナだけはそのときの状況を正直に説明して、もし、仮に扉を開けていたら、囚人たちが逃亡するだろうし、自分たち看守も見逃すわけにいかないので、互いに危険な状況に置かれてしまう。それでなくても、囚人たちは日を追うごとに死んでいっている。だから、ここで看守と囚人の双方が危険になるよりは…と自分たちの判断を正直に説明しています。確かにハンナたちの行いが倫理的に許されることではないのでしょうけど、しかし、裁判では正直な態度でなければ正しくは裁けないのではないでしょうか。

もう1つは、筆跡鑑定です。看守たちは報告書はハンナが書いたとウソをついて、責任をハンナに押し付けます。もちろん、ハンナは報告書はみんなで考えて書いたと本当のことを言います。意見が食い違うので、とうとう裁判長はハンナの筆跡鑑定をさせることにします。それを聞いたハンナは「自分が書いた」と認めてしまいます。もちろん、これは自分が文盲であることがバレるのを避けるためについたウソです。

さて、1つ目のポイントから、ハンナは非常に実直な性格であることが分かると思います。自分が助かりたいために自分が有利になるようにウソをつく、なんてことはしません。たとえ、自分に不利であっても、正直に自分の行いについて話します。ところが、2つ目のポイントでは、それがまったく違ってきます。1つ目のポイントで分かるようにハンナはウソが嫌いなはずです。しかも、文盲を隠すウソは自分にとって不利になるのに、です。つまり、そこまでしても、ウソをついてまでもハンナが守りたかったのが文盲という秘密です。しかし、文盲が「恥ずかしい」という浅はかな気持ちでウソをつくような女性ではハンナはないと思うのです。もっと大切なものを守るためにハンナは命がけでウソをついたのではないでしょうか?そして、ハンナが守ろうとしたものこそ、ハンナのミヒャエルへの愛なのではないでしょうか?

ハンナは以下のように考えたのではないでしょうか。「もし、自分が文盲だとバレてしまえば、ミヒャエルはハンナと心が通じていたと思っていたのが、実はそうではなかったと思われてしまう」とハンナは考えたのではないでしょうか。どういうことかというと、市電の事件(第1部第10章)を思い出して下さい。ミヒャエルはハンナとイチャつくためにわざと二両目の車両に乗りました。しかし、ハンナはミヒャエルのその意図にはまったく思い至りませんでした。逆にミヒャエルが無視したとハンナは勘違いしたくらいです。後になってミヒャエルから教えられて初めてハンナはミヒャエルの意図に気付いたくらいでした。つまり、ミヒャエルが思っているほど、「自分がミヒャエルの心に通じていない」とハンナは思ったのではないでしょうか。そして、それは「自分が文盲であることに原因がある」とハンナは考えたのではないでしょうか。すなわち、「文盲であることは同じ人間でも心の通じる度合いが違う。普通の人よりも文盲は心の通じが悪い」とハンナは思ったのではないでしょうか。文字が読める私たちからすれば、「そんなバカな!」と思うでしょう。文字が読めようが読めまいが、人間の心の通じる度合いに違いはないと分かると思います。しかし、悲しいことに、文盲であるハンナにはそれが分からなかったのではないでしょうか…。

さらに、第1部第12章で父の哲学書をミヒャエルが読んだとき、ハンナはチンプンカンプンでまったく意味が分かりませんでした。しかし、本を読んだミヒャエルはきっと意味が分かったに違いないとハンナは一層勘違いしたのではないでしょうか。いえ、そこまで行かなくても、一般論として、ハンナには分からないが、ミヒャエルには分かる心の領域があると、ハンナはミヒャエルと自分の違いを考えたのではないでしょうか。つまり、極端に言えば、「同じ人間でも、文盲である人は文字が読める人の心が理解できない」と勘違いしたのではないでしょうか。しかも、それは人を愛することでも違ってくると考えたのではないでしょうか。ハンナがいくらミヒャエルを深く愛しているつもりでも、ミヒャエルから見れば、「ハンナは文盲なので、ミヒャエルがハンナを愛するのと同じ程度には、ハンナはミヒャエルを愛することはできない」、そうミヒャエルが考えるのではないかとハンナは恐れたのではないでしょうか。そこまで極端に考えないかもしれませんが、少なくともハンナの愛をミヒャエルに疑れるかもしれないと考えたのかもしれません。「愛しているのに、その人から自分の愛が疑われるかもしれない」、あるいは、「もしかしたら本当に文盲の自分の愛は大して深くないのかもしれない」としたら、どんなに悲しいことでしょう。しかし、だからといって、文字を読めないハンナには、実際にどんなに深くミヒャエルを愛していたとしても、その愛する想いをミヒャエルに伝える方法は自分にはないと考えたのではないでしょうか。なぜなら、ハンナはずっと文盲をミヒャエルに偽ってきたわけですし、言葉で想いを伝えようにもハンナは言葉が上手ではありません。あるいは、若いときならセックスで自分の愛の深さを伝えたかもしれませんが、今となっては年齢も重ねて年老いており、しかも二人の距離も被告席と傍聴席で遠く離れています。もし、ここでミヒャエルの愛を失ってしまったとしたら、ハンナは永久にミヒャエルの愛を取り戻す方法はないと考えたと思います。そして、ハンナが一番恐れたのは、昔の愛までもすべて偽りの愛として、ミヒャエルの心で否定されてしまうと考えたのではないでしょうか。

さて、まとめると、「文盲は他人と心が通じる度合いが低く、文盲がバレることは、ミヒャエルヘの自分の愛が疑われることであり、しかも疑いを晴らすことが自分にはできない」とハンナは考えた。しかし、そうならないようにするためには、結局、「文盲であることを隠すしか他に方法はない」と考えて、ハンナは裁判でずっと文盲を隠し続けた。したがって、裁判でハンナが文盲を隠した理由は、ミヒャエルに愛を疑われないようにするためであり、ミヒャエルとの愛を守るためだったと思います。ここには文字が読めないことに起因するハンナの悲しい思い違いがあると思います。(ただし、後に刑務所で文字を覚えたハンナはその思い違いの呪縛から解放されたのだと思います。)

■第2部第10章(p150-p155)
この章では、ミヒャエルがハンナの文盲に気付く話です。ハンナの文盲に気付くことで、今までミヒャエルが理解できなかった一連の謎が氷解してゆきます。しかし、同時に、「なぜ、ハンナは文盲を隠すのか?」という新たな疑問が浮上してきます。そして、ミヒャエルはその理由を”恥”だと考えました。

ハンナの動機が秘密がばれることに対する恐れだったとしたらどうして、文盲であるという罪のない告白の代わりに、犯罪者であるという恐ろしい自白をしてしまったのだろうか?……彼女は単に愚かなのだろうか?そして、露顕するのを避けるために犯罪者になるほど、見栄っ張りで性悪なのだろうか?(p153-p154)彼女には計算や策略はなかった。自分が裁きを受けることには同意していたが、ただそのうえ文盲のことまで露顕するのは望んでいなかったのだ。彼女は自分の利益を追求したのではなく、自分にとっての真実と正義のために闘ったのだ。彼女はいつもちょっぴり自分を偽っていたし、完全に率直でもなく、自分を出そうともしなかったから、それはみすぼらしい真実であり、みすぼらしい正義ではあるのだが、それでも彼女自身の真実と正義であり、その闘いは彼女の闘いだった。(p154)

この章でのミヒャエルの分析は非常に的確で理路整然としています。確かに、市電の事件では、彼女は自分を偽っていました。「ミヒャエルに無視されても平気だ。ミヒャエルなどは自分にとって取るに足りない人間に過ぎないのだ」とミヒャエルに思わせようと平気な自分を装っていました。あるいは、市電事件後の手紙もホテルのメモも文盲を隠すために偽っていました。ですから、「彼女はいつもちょっぴり自分を偽っていたし、完全に率直でもなく、自分を出そうともしなかった」という部分は確かにあったと思います。

しかし、ミヒャエルの見解がすべて正しいわけではないと思います。例えば、第1部第16章のプールサイドでのハンナとの邂逅です。あのプールサイドでの出会いはミヒャエルの見た幻だったのでしょうか?それとも確かにハンナはプールサイドには来たけれども、単に理由もなく去っていっただけなのでしょうか?ミヒャエルはハンナの失踪を振り返って次のように考えます。

ぼくは、自分が彼女を欺くような行動をとったので、彼女を追い出すことになってしまったのだ、と確信していたが、実際は彼女はただ市電の会社で文盲がばれるのを避けただけなのだ。もちろんぼくが彼女を追いだしたわけでないとわかっても、彼女を欺いた事実がそれで変わるわけではなかった。つまりぼくは有罪のままだった。(p155)

ミヒャエルは「たとえハンナにバレなくても、自分がハンナを欺いた事実に変わりはないので、自分には罪がある」と男らしく考えます。しかし、本当にハンナが失踪した原因はミヒャエルの行動と無関係だったのでしょうか?

それに、そもそも、今まで彼女が文盲を隠したのは、本当に「恥ずかしかった」のが理由でしょうか?

前章で書いたように、ハンナが裁判で文盲を隠した理由は、ミヒャエルの愛を失いたくなかったからだと思います。ですが、それ以前に、文盲がバレそうになると彼女はそれを隠すために転職していますし、ミヒャエルにもたびたびウソをついています。しかし、それは恥ずかしかったためではないように思えてなりません。生きるために働くためにハンナはウソをついてきたのかもしれませんが、それだけではなく、もっと根源的な問題で、ハンナにとって文盲がバレることは、世界との繋がりが断たれると感じられたのではないでしょうか?ミヒャエルに出会う前からハンナは文盲を隠してきましたが、その理由は以下のようなものではないでしょうか。

文盲を隠す彼女はとても孤独な人です。なぜなら、表面的には職場で人との繋がりを得ていますが、実際には彼女は他者としっかりとした関係を構築していないと感じていたのではないでしょうか?どういうことかというと、普通の人の場合は、文字が読めることで文章の意味を理解し社会の中で暗黙の了解を互いが共有するということが可能ですが、文盲のハンナにはそれが出来ていなかったと思います。それゆえに人の輪の中にあっても「偽りの信頼関係である」と自分では考えていたのではないでしょうか?彼女自身は文盲であるがゆえにそのことを自覚しています。しかし、彼女と関わりのある他者は彼女が文盲であることを知りません。文盲を知られた瞬間にハンナが暗黙知を共有していない他者として隔絶していることが露呈してしまいます。そうなったときの孤独感に対する恐怖や不安をハンナは抱えていたのではないでしょうか。つまり、天涯孤独なハンナにとって文盲がバレるということは、この世界との絆が完全に断たれてしまって本当に世界で一人ぼっちになってしまうという恐怖心があったのではないでしょうか。

まとめると、ハンナはこれまでの人生で孤独だったのですが、もし、文盲がバレてしまうと、さらに輪をかけて孤独になってしまうと彼女は恐れたのではないでしょうか。これ以上、世界から隔絶する孤独感に耐えられないと考えたから、ハンナは文盲を隠したのではないでしょうか。

■第2部第11章(p155-p160)
この章では、ハンナが「報告書は自分が書いた」と認めたことで、裁判がハンナにとって見事なまでに不利に動き出し、はじめこそハンナはそれに抵抗していたものの、仕舞には諦めて裁判に対しておざなりになってしまったことが描かれています。ハンナだけでなく、裁判に関わる人がうんざりしはじめます。ただし、ハンナの文盲に気付いたミヒャエルだけは違います。ミヒャエルの闘いはここから始まります。そして、この闘いは現実と言葉の闘いでもあり、行動するか、行動しないかの闘いでもあります。

ここでのポイントはミヒャエルの葛藤です。まず、ミヒャエルはハンナのために自分が何をしなければならないのかを次のように明確に気付いています。

何か行動するとすれば――可能性はただ一つだった。裁判長のところへ行き、ハンナが文盲であることを話す。他の被告人たちがでっち上げようとしているような主犯ではなかった、ということ。裁判のときの彼女の態度は特別な非常識さや洞察のなさ、厚かましさなどを示すものではなくて、起訴状や翻訳原稿を前もって読むことができなかったからだし、戦略・戦術を立てるセンスがないことに起因しているのだ、ということ。彼女が弁護に関してきわめて不利な扱いを受けていること。彼女は有罪かもしれないが、見かけほど重罪ではないということ。(p158)

実に完結にミヒャエルは自分が何をすべきかを理解しています。ところが、問題はハンナ本人が望んでいないこと、すなわち、文盲がバレるということを、ミヒャエルがバラして良いものかどうかでミヒャエルは悩みはじめます。ミヒャエルには、たとえ罪が重くなっても文盲を隠す理由が理解できません。そして、その理由を恥だと考えます。文盲がバレるのが恥ずかしいから、ハンナは文盲を隠すのだと、ミヒャエルは決めつけます。そして、それに対して、どう対処したらよいのか、ミヒャエルは悩みます…。

考えてごらん、被告が恥ずかしがっているということが問題なんだ。(p160)

確かに、裁判では「ハンナが文盲であるかどうか」が問題になるでしょう。しかし、ミヒャエルにとって問題は「ハンナが恥じている」ということが問題なのです。本人が命にかえても隠したいと思っている恥に対して、ミヒャエルはどう対処したらよいかが問題なのです。

■第2部第12章(p160-p167)
この章では、ハンナが文盲であることを裁判長に話すべき話さないべきかを、ミヒャエルが父に相談したときの対話が描かれています。ここでのポイントは、哲学者であり、父親でもある、ミヒャエルの父のとった行動です。父は、個人の自由と尊厳を尊重して、ハンナが恥じて隠していることを、ハンナを尊重してミヒャエル自身は暴露せずそのままにしておき、同時に、ハンナの目を開かせるためにハンナに会って話さなければならないと説きます。それに対して、ミヒャエルが、

「もしその人と話せないとしたらどうなの?」(p166)

と尋ねたとき、父は、

「わたしには君を助けられない」(p166)

と答えます。

たしかに、ミヒャエルの父が言うことは筋が通っていると思います。しかし、ここでは、言葉だけで行動には出ていません。つまり、「その人と話せない」のはなぜなのか?いや、無理にでもその人と話すようにミヒャエルに行動するように仕向けるべきではないのかと思います。哲学者は言葉で正しく考えることができるかもしれませんが、言葉以上に行動することが大切なのではないでしょうか。行動こそが現実を変えるのではないでしょうか。父はミヒャエルに行動することを促しませんでした。父はここで何も行動しないという選択をしたのでした。言葉のひとである哲学者の限界が象徴的に示されているように感じられます。

■第2部第13章(p167-p171)
この章では、事情聴取に裁判官が出張したため、裁判が2週間休廷したときの間のミヒャエルの様子が描かれています。ミヒャエルはこの間にハンナのことを想像します。ハンナが強制収容所で囚人たちを監視している様子を想像したり、あるいは、過去の二人の逢瀬の様子などを思い出したりします。ミヒャエルは次第にこの2つの光景が交錯して、精神的に混乱してゆきます。

一番ひどいのは夢の中で、厳しく支配的で残酷なハンナがぼくを興奮させるときだった。目覚めたぼくはあこがれと恥と憤りにかられ、自分が何者なのかと不安になった。(p169)
そして、ミヒャエルは強制収容所の光景がどれも本や映画のイメージであって、現実のものではないことに気づいてゆきます。ミヒャエルは実際に強制収容所を訪問することを決意します。ここでのポイントは、ミヒャエルが罪を犯したハンナを愛したことに苦悩することです。また、どうしても結びつかないハンナのイメージの矛盾にも苦しんでいることです。

■第2部第14章~16章(p171-p175)
この章では、強制収容所を訪れるために、ヒッチハイクするミヒャエルが描かれています。そして、ヒッチハイクで乗せてもらった車が実は強制収容所でユダヤ人を殺していた元ナチの将校でした。ここでのポイントは、彼のような裁かれない元ナチ将校がたくさんいるであろうことが1つ、もう1つは、実際に処刑に携わった人たちのたわいなさです。憎しみで殺したわけでなく、単に忠実に仕事をこなすという理由でユダヤ人を処刑し続けていたのでした。

君の言うとおり、戦争や憎しみの理由なんてなかった。……ユダヤ人は裸で長い列をつくって並ばされ、そのうちの何人かは溝の端に立っていて、後ろに銃を持った兵隊が立ち、彼らの首を狙って撃っていた。……彼はちょっと不機嫌そうに様子を見ている。彼には処刑のテンポが遅すぎるのかもしれない。しかし、彼の表情には、満足げな、それどころか楽しげなところも見て取れるんだ。とにもかくにも一日分の仕事をなし終え、もうすぐ勤務明けになるからだろうか。彼はユダヤ人を憎んじゃいない。(p173-p175)

(このエピソードは、ハンナ・アーレントの「アイヒマン」の悪の陳腐さをモチーフにしているのかもしれません。)

■第2部第15章(p176-p181)
この章では、再び、強制収容所へ訪問したエピソードが描かれています。ここでのポイントは3つあります。1つは強制収容所はすでに過去のものとなり、当時の面影、強制収容所のリアリティを訪問によって見つけることができなかったことです。

2つ目は、ヒッチハイクの途中で食事に立ち寄ったレストランでの出来事です。ミヒャエルは酔っ払いにからかわれている老人を救うために行動に出ます。しかし、行動の結果、予想外のトンチンカンな展開になります。このエピソードは行動には予測不可能なところがあることを表しているのだと思います。

3つ目はミヒャエルの気持ちの変化です。ミヒャエルはハンナを理解したいと同時に裁きたいと思います。しかし、そのどちらもうまく行かない自分にも気づきます。

ぼくはハンナの犯罪を理解すると同時に裁きたいと思った。……世間がやるようにそれを裁こうとすると、彼女を理解する余地は残っていなかった。でもぼくはハンナを理解したいと思ったのだ。彼女を理解しなければ再び裏切ることになるのだった。ぼくは両方を自分に課そうとした。理解と裁きと。でも、両方ともうまくいかなかった。(p180-p181)

ミヒャエルは裁判では表れないプライベートのハンナを知っています。ミヒャエルは、かつて愛したハンナが元ナチの罪びとであるという事実にどうしても結びつかなかったのだと思います。

■第2部第16章(p181-p184)
この章では、葛藤を抱えたまま、ミヒャエルが大学のゼミにかこつけて裁判長に会う場面が描かれています。もちろん、本当の目的はハンナの文盲を裁判長に話すためです。 しかし、ミヒャエルはどうしたわけか、怖気づいたのかもしれませんが、結局、ハンナの文盲の話をせずに、裁判長との面会を終えてしまいます。ここでは、「何もしなかった」という行動の前後の際立った変化が描かれています。裁判長に面会する前は、

ぼくは彼女に関わらないわけにはいかなかった、何らかの影響を与えずにいられなかった、直接にでなければ、間接的にでも。(p182) 

と考えていましたが、何もせずに面会を終えた後は、

ぼくはもう彼女に関わる必要も感じなかった。……それを喜んだというのは言い過ぎだろう。でも、それでよかったんだ、と感じた。そうすることで、ぼくはまた日常生活に戻っていける、これからも生きていける、と思った。(p184)

とミヒャエルの心境は180度変化してしまいました。

ミヒャエルの心境は分からなくもないのですが、そういうことでは良くないと思います。ミヒャエルのように「何も行動しない」ことは、取り返しのつかない不幸を招くものだと思います。

■第2部第17章(p185-p187)
この章では、ハンナの判決が描かれています。

ここでのポイントは2つあります。1つはハンナの服装です。判決の日、ハンナは親衛隊の制服に似た服装で法廷に現れました。その意味することは何でしょうか?ハンナの気持ちとしては、①罪を背負おうとして、あえてそのような親衛隊に似た服を着たのかもしれませんし、あるいは、②親衛隊の服装に似ているとは気付かずに、単に厳粛な裁判に気持ちを引き締めるためにそのような引き締まったフォーマルな服を着たのかもしれません。あるいは、③単なる偶然だったのかもしれません。そして、怒る傍聴人たちが考えるように④法廷も判決も判決を聞きにきた人たちのすべてを、裁判のすべてを侮辱するためだったのかもしれません。私自身は④の可能性はなく、②もしくは①ではないかと思います。いずれにしろ、テキストに示されている文章だけでは判断できないと思います。それこそ読者の印象によっていずれにも捉えられることだと思います。そして、この裁判の傍聴人としては④と捉えるのがごく自然な捉え方なのかもしれません。しかし、ハンナの気性を知っている者なら、そうではないと考えるのではないでしょうか。ハンナには裁判に対する不満はあったとは思いますが、そのような服装による意思表示はしないと思うからです。

さて、もう1つのポイントはハンナの表情です。

彼女はまっすぐ前を向き、何もかも突き抜けるような目をしていた。高慢な、傷ついた、敗北し、限りなく疲れたまなざし。それは、誰も何も見ようとしない目だった。(p187)

彼女は敗北者なのでしょうか。それとも孤高のひとなのでしょうか。これだけでは、いずれかであるか、あるいは、その両方であるのか、分からないと思います。ただ、ハンナは泣き崩れるような人ではありませんでした。

■第2部まとめ
第2部はおおまかに前半と後半の2つのパートに分けられます。前半はハンナの裁判の様子が描かれています。ハンナの2つの罪状が明らかとなり、ハンナは実直に答えるのですが、かえって他の看守たちの反発を招きます。加えて、ハンナが文盲を隠したがために、ハンナの罪が重くなるという皮肉な結果になっています。後半はミヒャエルの葛藤の様子が描かれています。ミヒャエルはハンナが文盲であることに気付き、裁判長にそれを話すべきか話さないでおくべきか迷います。ミヒャエルは父に相談したり、収容所を訪問したりしますが、結局は裁判長に話すことができずに終わってしまいます。

第2部の問題点は2つあります。1つは「なぜ、このようなズレが生じたのか?」という問題です。ズレとは、事件の真相と裁判での認識のズレであり、後半のミヒャエルの葛藤に見られる現実と言葉が作り出す認識のズレです。確かにハンナが文盲を隠したことが大きく影響してはいます。しかし、それだけがこのズレの原因ではないと思います。このズレが生じた原因は、抽象的に言えば、鍵概念でも述べた現実と言語の関係に起因する問題です。言葉は現実を一面的にしか捉えられないために実際の現実とズレが生じてしまうのです。さらに、付け加えていうと、現実を変えるのは言葉ではなく、行動こそが現実を変える手段であったのですが、ミヒャエルは行動を起こすことができませんでした。

次に、もう1つの問題ですが、「なぜ、ハンナは文盲を隠したのか?」という問題です。確かに、これまでずっとハンナが文盲を隠してきたのは事実です。しかし、これまで、再三、見てきたように「恥ずかしい」という理由で隠したというには根拠が乏しいと思います。ミヒャエルは「恥ずかしいから」というのを隠した理由だと考えましたが、それは間違いだと思います。ハンナは恥なんかよりももっと大切なものを守るために隠したのだと私は思います。つまり、世界との絆を失いたくないために、そして、ミヒャエルの愛を失いたくないために、ミヒャエルへのハンナの愛を疑われたくないために、ハンナは文盲を隠したのだと思います。

さて、この第2部でも、ハンナの直感の片鱗は見えたものの、ハンナの直感が果たして本当なのかどうなのかを確認することはできませんでした。第2部第6章だけでは、直感だとまだ断定できないと思います。ハンナの直感の真偽については第3部に続きます。

2009年9月13日

『朗読者』を読む その3


■第1部読解
■第1部第1章~第7章(p7-p37)
これらの章では、ミヒャエルとハンナの出会いから恋人の関係になる馴れ初めが描かれています。 
さて、ここでのポイントは、裸のミヒャエルをうしろから抱きしめたハンナの次の言葉です。

「このために来たんでしょ!」(p30)

作品を初めて読んだとき、全裸になってミヒャエルを抱き締めるというハンナのこの行動は、エロティックに物語を展開するために作者が仕組んだ不自然なご都合主義かと思いました(笑)。ところが、作品を一度通読したあとに、もう一度、ここを読み返してみると、「これは単なるご都合主義ではないのではないか?」と思えてくるのです。どういうことかというと、これこそまさに鍵概念で示したハンナの直感ではないかと思えるのです。つまり、ハンナはミヒャエルがハンナに性的な妄想を抱いていることに早い段階で既に気づいていたのではないかと思います。もちろん、ハンナがミヒャエルを受け入れるか否かの選択の問題はあります。しかし、以前に会った時かあるいはそのとき瞬時に判断してミヒャエルを受け入れる結論を出したのではないかと思います。初読のときは、読者がこの段階でハンナの直感に思い至ることはもちろんありませんが…。しかし、次第に読み進んでハンナの直感が見えてくると、すでにこの段階でハンナの直感が働いていたのではないかと思えてくるのです。

そもそも、ここに至るまでの間にどれほどのコミュニケーションが二人の間にあったでしょうか。振り返ってみると、初めての出会いはミヒャエルが道で吐いたときです。このとき、ミヒャエルは泣いてしまい、ハンナに子供のように抱き締められています。しかも、家まで送ってもらっているが、ミヒャエルはしっかりしたお礼の挨拶も出来ていない感じがします。つまり、初めての出会いは男女というよりは大人と子供の出会いです。ただ、抱き締められるという触れ合いはありますが…。二度目の出会いは母に促されたミヒャエルがお礼の挨拶にハンナを訪問したときです。このときはハンナの着替えを見てしまい、ミヒャエルは恥ずかしくなって家を飛び出します。このあと、ミヒャエルは悶々と一週間悩んだ後、再び、ミヒャエルは何をどうしようというあてもなく、ハンナの部屋を訪れます。ハンナはまだ帰宅しておらず、ミヒャエルは部屋の前でハンナを待ちます。ほどなくハンナが帰ってきてミヒャエルと鉢合わせします。ところが、ハンナは驚いたり怪訝なそぶりを見せることなく、即座にミヒャエルにコークス運びの用事を言いつけます。ここはとても不自然です。何の脈絡もない再会なのに眉ひとつ動かさずにハンナはミヒャエルに用事を言いつけるのです。さて、このあと、コークス運びで真っ黒になったミヒャエルをお風呂に入れることになるのですが、このときにはもうハンナはほとんど遠慮せずにミヒャエルの裸を見ます。とても危険な雰囲気です(笑)以上が二人が事にいたるまでのコミュニケーションですが、ほとんど意思の疎通がありません(笑)。ミヒャエルはやや曖昧ながら性的な妄想を膨らませていたので彼の心理は分かります。一方のハンナは、ミヒャエルの視点なので、当然、心象風景がまったく描かれていませんが、普段通り仕事をしていただけなので、ミヒャエルとは対照的にそのような性的妄想は微塵もなかったのではないかと思います。むしろ、ハンナは、瞬間瞬間の瞬時の判断で動いているように思えます。テキストからはどの段階でハンナが判断したかは断定できませんが、もしかしたら着替えのときに目が合った瞬間に、こうなることは薄々予感していたかもしれません。いや、深読みによっては着替えすらもハンナの誘惑だったかもしれませんが…。もちろん、断定はできませんが。ともかく、こうして二人の関係が築かれたのでした。

■第1部第8章(p37-p45)
この章では、出会ってまだ間もない頃の二人の様子が描かれています。
この章のポイントは3つあります。1つ目はこの頃のセックスがまだ自分だけの欲求、自己本位の欲求を満足させるものだけだったことです。

愛し合うときにも、彼女は当然のようにぼくの体をほしいままにした。……ぼくは彼女が感じるためだけにそこにいるに過ぎなかった。彼女が優しくなかったとか、ぼくに感じさせなかったとかいう意味ではない。でも、彼女は自分の遊び心を満足させるためにそんなふうにしていた。ぼく自身が、彼女の体を自由に扱う術を心得るまでは。(p38)

後にはホテルの事件をきっかけに、相手を利用するだけというものではない、互いを尊重するような愛のあるセックスに変わりますが、この段階では、まだ相手への愛情よりは単に自己の欲求を満たすものでした。

2つ目はハンナの名前を聞いたとき、ハンナが異常に驚いたことです。

彼女は飛び起きた。「何だって?」「君の名前だよ!」「どうしてそんなことを知りたいの?」彼女は不審そうにぼくを見つめた。(p40)

一見すると、ナチの親衛隊で収容所の看守をしていたことをハンナは隠しており、それで名前を聞かれて驚いたのかと思いましたが、114ページの弁護士の証言にあるように、ハンナは引越の度に警察にきっちりと届け出を行っているので、彼女がナチの看守だったことを隠そうとしたことはないのではないでしょうか。では、なぜ驚いたのでしょうか?実は私もそれほど強い確信というわけではないのですが、ただ、ひとつ思い当たることがあります。それは真名というものです。

魔法の昔話では、本当の名前(=真名)を相手に知られてしまうと、その相手に魔法をかけられるというものです。例えば、夢枕獏の「陰陽師」で物の怪に名前を聞かれた源博雅が正直に名前を教えたばかりに金縛りの魔法にかけられたりしています。また、同じく「陰陽師 第9巻」で女性は結婚相手つまり夫以外には周囲の人たちにも真名を教えなかったともあります。そもそも女性の名前は表立って出てこないことが多いです。「藤原道綱の母」とか、あるいは、系図に表れる女性の名前は抜けていたり、女性はみんな同じ名前を使用したりと、名前の役割を無効化して、まるで、女性の真の名前は安易に他人には知られてはいけないもの、隠されて秘められたものという扱いが多いのではないでしょうか。しかも、この習慣は極めて古く、世界各地で見られると思います。ことによるとこの習慣は宗教よりも古い可能性があるのではないでしょうか?ともかく、ハンナもそういった風習・習慣があったのではないか、そして、安易に名前を知られることは呪われることだと、あくまで推測ですが、そう考えたのではないかと思ってしまいます。

なお、ハンナの出身はジーベンビュルゲンという所です。ジーベンビュルゲンは旧ドイツ領で現在のルーマニアにあるトランシルヴァニア地方辺りのことです。そうトランシルヴァニアといえば、ブラム・ストーカーの小説で有名な吸血鬼ドラキュラ伯爵の出身地ですね。この辺りはヨーロッパでも辺境にあたるのだと思います。カルパチア山脈という鬱蒼とした山々に囲まれた高原には異教の古い慣習が残っていると思います。ちなみに、ロシア側のカルパチア地方の民俗研究にボガトィリョーフの「呪術・儀礼・俗信」という本があります。キリスト教以前の土着の民間信仰についての報告でとても興味深いものがあります。

また、この章では、ハンナが教科書に書かれたミヒャエルの名札の文字を読めていないことが文盲の伏線として張られています。

彼女のところでそうしたものを台所のテーブルに置くと、ノートや教科書に書いてあるぼくの名前が見えたのだ。(p41)

ミヒャエルの名札が見えているだろうにも関わらず、ハンナはミヒャエルの名前を尋ねます。

さて、3つ目のポイントはミヒャエルの勉強のことです。ハンナはミヒャエルに勉強の大切さを自身の車掌の仕事を引き合いに出して教えます。

「わたしのベッドから出てって。そして、勉強しないんだったら、もう来ないで。勉強がバカみたいだって?バカ?あんた、切符を売ったり穴をあけたりすることがどんなことかわかってるの」彼女は立ち上がり、裸のまま台所で車掌をやってみせた。……「バカだって?バカってのがどういうことだか、わかってないのね」(p42-p43)

ここでハンナは自分のことをバカだと言っています。もちろん、ハンナ自身は決して頭の悪い人間ではないと思います。しかし、推測ですが、教育を受ける機会が無かったためでしょうけど、ハンナは文盲です。これが彼女の仕事選びに大きく影響しており、さらに日常生活でも文盲ゆえの様々なストレスを感じていたに違いないと思います。文字が読めないということは、看板や掲示板の文字が読めないし、新聞や書類の文字が読めないので、文字が読める人からハンナも読めるものと思って話しかけられたとしても、ハンナは正確には答えられなかったはずだと思います。そういった不便や疎外感や不安が人々が大勢いる社会の中にいながら感じていたのではないでしょうか。

ここで考えなければならないのは、後にハンナが法廷で証言を偽ってまで、自分が文盲であることを隠したことです。もし、文盲であることを「恥」だと考えていて、それを知られるのが嫌で証言を偽ったのなら、ハンナがここでこうも簡単に自分がバカだと認めたのは少し不思議に思えます。それとも親しい間柄であるミヒャエルだからこそ、ハンナは心を開いたのでしょうか?でも、まだ付き合い始めた初期段階ではないでしょうか?ハンナは本当に文盲を「恥ずかしいこと」と考えて隠したのでしょうか?文盲を「恥じる」というよりは、もう少し違った意味でハンナは文盲を隠したのではないでしょうか?

■第1部第9章(p45-p53)
この章では、いよいよ朗読が始まります。

ここでのポイントは、ハンナが注意深い聴き手だったことです。ハンナにとって朗読はただ単にお話を聴くことにとどまりません。

そんなことがあっていいはずないわ!(p53)

ハンナは注意深い聴き手であり、物語が紡ぎだす世界をハンナの内面世界に展開しているのがよく分かります。これは図1-4のような文盲であるハンナの心的空間において、ミヒャエルの解説などの手助けによって言語知の領域が広がっているだろうと推測されます。



それはハンナにとってはとても大切なことだったのだと思います。以前は未整理でカオス的だった心的言語空間が朗読の言葉によって整理・拡張されることは、この世界を理解するための新たな接点を増やすことであり、新たな自分が豊かに開かれてゆく思いだったのではないでしょうか?しかもミヒャエルと議論したりして構築した心の世界なので、ハンナの心に開かれたこの新たな世界は愛によって築かれた空間でもあったのではないでしょうか。極端に考えると、自分の心が花が開くように開かれてゆく気持ち良さがあったのではないかと思います。心の空間が開拓されて拓かれてゆく心地良さ、目が開かれてゆく心地良さ、心の見晴らしが開かれて行く心地良さがあったのではないかと思います。ハンナは新たな自分を発見する、それもミヒャエルの愛のある手助けによって。ハンナにとってミヒャエルの朗読は心と心が触れ合う最も大事な、ある意味、聖なる行為だったのではないでしょうか。

■第1部第10章(p54-p61)
この章では、市電での事件が描かれます。

ここでのポイントはハンナがミヒャエルに無視されたと勘違いしたことです。これには文盲ゆえの悲しい誤解が表われています。おそらく、文盲であるハンナにとって話し言葉だけが言葉のコミュニケーション手段であって、”直接話しかけることをしない”ということは”積極的な無視”と同じだったのだと思います。ミヒャエルのように先回りして思考を巡らせることはハンナの頭には無かったのだと思います。

例を出して考えてみましょう。時代劇でよくあるシーンで立て板に書かれている落書を群衆の中の町人と武士が読んでいる場面を想像してみて下さい。

町人「旦那、何て書いてあるんですかい?」武士「ふむ。”白川の清きに魚も住みかねて、元の濁りの田沼恋しき”と書いてある」町人「へえ?なんだ、魚の話ですかい?旦那、それはいったいどういう意味でやしょう?」武士「それはじゃな、つまり、白川とは白河藩出身の老中・松平定信公のことじゃ。田沼とは前の老中・田沼意次公のことじゃな。つまり、清廉潔白で倹約を旨とする松平定信公の窮屈な世の中よりも、賄賂で腐敗した政治だと言われても重商政策で自由に暮らせた田沼意次公の方が良かったと、清らかな川と濁った沼に喩えて、清らか過ぎても住みにくいと言っておるのじゃな」町人「あっ!なるほど~!魚の話かと思ったら政治の話!なるほど、そういうことですか!」

文面だけではなしに、文章の背後に隠されている意図や意味をくみ取ることが文字を読める人には可能ですが、文字を読めない人は文章の背後に隠されている意味や行間を読むといったことまでも不得手なのです。ここでは町人は文面の魚の話は理解できたのですが、背後に隠されている政治の話には思い至らなかったというわけです。(この例では予備知識を必要とするので、あまり良い例ではないです。良い例が見つかれば差し替えます。)

ここでのハンナの場合、ミヒャエルの行動の背後に隠されている意味、後の車両で二人だけで会いたいという意図がくみ取れなかったのです。ゆえに近寄ってこなかったミヒャエルにハンナは無視されたと誤解したのだと思います。さらにハンナは自分がミヒャエルから無視され軽く扱われたように感じたので、その仕返しにミヒャエルの存在を逆に軽々しいものとしてミヒャエルに思い知らせてやるために、わざと運転手と仲良くしてみせたのだと思います。「あんたなんかいなくたって平気だよ!あんたなんか私の中ではちっぽけな存在なんだよ!」と言わんばかりに。あるいは運転手と仲が良いというのを見せつけて、ミヒャエルを嫉妬させてやろうというものだったかもしれません。次のようなハンナの行動や言動がそれを表していると思います。

でも彼女は運転手のそばにいて、しゃべったりふざけたりしているのが、ぼくのいる席から見えた。(p54)どうやら、だって?どうやらあんたがあたしを侮辱したみたいだって言うの?侮辱されてたまるもんですか、あんたなんかに。(p59)そう、ちょっと傷ついちゃったのよ、と彼女が打ち明けてくれたとき、ぼくはまた幸せな気分になった。(p59)

この誤解は、あとで一方的にミヒャエルが謝ることで収まります。ただ、納得のいかなかったミヒャエルは手紙を書きますが、その手紙はハンナには無視されます。なぜならハンナは文盲であるために手紙が読めなかったからなのですが…。

それにしても、ハンナは本当に孤独な生涯を送ってきたのではないでしょうか。私たちも他者とのコミュニケーションにおいて、相手の言っていることが分からないけれども、その場の雰囲気で相槌を打ったりします。それがたまにならそんなに苦でもないでしょうし、尋ねることで後からその意味を知ることも可能でしょう。ですが、ハンナの場合はどうだったでしょうか。相手の言っていることを理解できないにも関わらず、それでも理解したように振舞うことが多かったのではないでしょうか。相手の言っていることが分からないという不確かさ・手ごたえの無さの中で彼女はずっと過ごしてきたのだとしたら、彼女はどんなに孤独だったでしょうか。たとえ、職場で仲間の中にいたとしても、どこか一人ポツンと孤島に取り残されたような孤絶感・孤独感・不安感があったのではないでしょうか。それゆえに他人から無視されることはハンナにとって最も耐え難い苦痛だったのではないでしょうか。だから、信頼していたミヒャエルに無視されたと勘違いしたハンナはミヒャエルに逆にあのようなしっぺ返しをし、ひと際激しく怒ったのではないでしょうか。

■第1部第11章(p61-p71)
この章では、ホテルでのメモ紛失事件が描かれています。

ここのポイントはメモの事件です。この事件は明らかにメモが読めないことを隠すために、ハンナがメモを隠したのでしょう。そして、ひとつはそれを悟られないように泣き喚いたのでしょうし、もうひとつはそうやってウソをついてまでミヒャエルをぶってまで隠そうとする自分に対する情けなさ・悔しさの涙であり、自分を愛してくれているミヒャエルに対する申し訳なさや、さらには、それでも優しくしてくれるミヒャエルの自分に対する寛容な愛情に心打たれるものまでもあったのだろうと思います。この事件以降、ハンナもミヒャエルに対して優しさを見せるようになり、セックスもただ相手を利用するだけのような愛し方ではなくなったのでしょう。

ぼくたちの愛し方も前とは変わった。長いことぼくと彼女は彼女のリードに任せ、ぼくの体を彼女のほしいままにさせていた。それからぼくは、彼女の体をほしいままにすることを覚えた。でも、ぼくたちの旅行中、そしてそれ以降は、互いに相手をただ好きなように利用する愛し方ではなくなった。(p70)

この事件以降に書かれたであろうミヒャエルの詩(p70-p71)にも情欲から愛へと昇華した心が描かれていると思います。この事件はハンナが文盲であることの伏線ですが、同時に互いの愛が深まった事件でもあったのだと思います。

■第1部第12章(p71-p77)
この章では、ミヒャエルの自宅にハンナが泊まった夜の出来事が描かれています。

ここのポイントは哲学者である父の本を朗読したことです。カントとヘーゲルの本ですが、普通の人でもドイツ観念論哲学をいきなり聞かされても何のことだかチンプンカンプンだと思います。父の本を朗読したミヒャエル自身も本の内容を理解できませんが、当然、ハンナも理解できていません。しかし、ハンナはいずれミヒャエルも彼の父と同じように、そう遠くない未来にハンナにはもう理解の及ばない言語知の世界にいるのだろうと寂しく思ったのではないでしょうか。ハンナにとって文字を読めるということは魔法を知っているかの如くに感じられたのではないでしょうか。

あんたもいつかこんな本を書くの?(p76)

自分には理解を超えたことが言葉の世界にはあり、それは畏怖を覚えることでもあり、同時に愛するひとの心において自分の手には届かない共有できない部分があるという寂しさでもあると思います。ミヒャエルの朗読によって言語知領域の心的空間を広げてきたハンナでしたが、それでも文盲ゆえに朗読程度ではもうハンナでは遠く及ばずに、ミヒャエルが遠いところへ行ってしまうことの寂しさがあったと思います。もしかしたら、ハンナはそれゆえに自分が文盲であることを罪が重くなるのを顧みずに隠したのかもしれません。なぜなら、ハンナにしてみれば、ミヒャエルは朗読を通して言語知の領域において自分と心を共有していると思っているに違いない。しかし、実際には、ハンナ自身は、自分が文盲であり、そのことを偽っているのを知っている。もし、自分が文盲であるとミヒャエルに知られてしまったら、二人で構築して二人が共有していたと思っていた心的空間が偽りになってしまう。愛の空間が偽りのものになってしまう。ハンナにとってミヒャエルに文盲であることがバレることは、すなわち、今までの築いてきた愛の空間が壊れることを意味したのではないでしょうか。それゆえにハンナはウソの証言までして秘密を守ったのではないでしょうか。

ただ、後に刑務所で文字を覚えたハンナは、文字を知っていることの神秘性を剥がすことに成功したと思います。ここで感じたであろう高度な言語世界への不安や畏怖の念を払拭できたのではないかと推測します。

■第1部第13章~17章(p77-p99)
さて、これらの章では、いよいよハンナの失踪に至る経緯が描かれます。

ここでのポイントは3つです。1つめは馬のエピソードです。

「馬?」彼女はぼくから離れ、体を起こすとぎょっとしたように、ぼくを見つめた。(p84)

この馬のエピソードは、後に収容所にいた若い女看守がハンナではないかという話に繋がります。

2つめは、穴やプラムの実や映画についてのエピソードです。

「あんたの知りたがることときたら、坊や!」あるいは、彼女はぼくの手を取って自分の腹に押し当てた。「ここに穴が開いてもいいの?」(p92)「洗濯して、アイロンかけて、掃き掃除して、床を拭いて、買い物して、料理して、プラムの木を揺すって、実を拾って、家に持って帰ってすぐに煮てしまわないと。でないとおチビさんが」彼女は左手の小指を右手の親指と人差し指のあいだに突っ込んだ。「そうしないと虫さんが全部一人で食べちゃうからね」(p92)彼女にぱったり出くわすこともなかった。道でも、店でも、映画館でも。……彼女は奇妙なほど選り好みせずに何でも見ていた。(p93)

これらは一体何を表しているのでしょうか?プラムの実の話は、もしかしたら、ちょっとエロティックなことを言っているのかもしれませんが…。あるいは、魔女の薬草採集と関係あるかもしれませんが、単に木の実の採集だけかもしれません。また、なぜ知りたがるとお腹に穴があくといいたかったのでしょうか?ストレスで胃に穴は開いても好奇心で穴があくというのはちょっと不自然です。また、映画館や街中に神出鬼没する話も不思議という他ありません。ただし、ここでミヒャエルの言いたいことは、ハンナの人生のすき間にミヒャエルを入れているだけで、ハンナの人生のメインにミヒャエルを据えていないことを表現しているとは思います。しかし、ただそれだけを表現するにしては、不自然で不思議な話だと私には思えます…。

ただ、以下は私が個人的に聞いた話なのですが、この話には思い当たることが少しだけあります。私の母から聞いた話ですが、その昔、私の故郷には本物の女性のシャーマンがいたそうです。戦後10年と経っていない頃のことでしょうか、母がまだ乙女の頃(笑)に実際にその女シャーマンに腹痛の治療を受けたことがあるそうです。そのときの女シャーマンのエピソードとここのハンナの話には実は少し通じるものがあるように思うのです。もしかしたら、魔女共通の何らかの伝統があるのかもしれません。ただ、その後、故郷の女シャーマンの系譜は途絶えてしまったらしく、その意味するところは謎になってしまいましたが…。いずれにしても、ちょっと不思議な話ですが、それゆえに私にはハンナが魔女っぽく思えるのです…。

さて、3つめのポイントは、第1部で最も重要なポイントです。ハンナが失踪する要因は2つあります。1つはミヒャエルの裏切りです。もう1つは運転手への昇進の問題です。ハンナが失踪を決意した理由はこの2つの理由から失踪したと考えられます。

後にミヒャエルは運転手の昇進で文盲がバレるのを避けるためにハンナは姿を消したのだと考えます。彼女が失踪したときに、ミヒャエルがハンナの職場を訪ねたときに人事課の担当者に次のように教えてもらいます。

わたしは彼女に、運転手の資格を取らせてあげよう、と提案したんだが、彼女は何もかも放り出してしまった(p98)

しかし、本当にそれだけでしょうか?たしかに運転手の昇進でハンナが悩んでいたのは事実でしょう。失踪する前の数日間に、次のようなプレッシャーを感じていたのは、この昇進の問題が持ち上がったからだと思います。

ハンナは何日も前から妙な雰囲気で、気まぐれで威圧的なだけでなく、こちらにもわかるほどプレッシャーを受けていて、非常に苦しみ、敏感で傷つきやすくなっていた。プレッシャーのもとで爆発してしまわないように、自分の意識を集中させ、自制しなければいけないというように。なんで苦しんでいるの、というぼくの質問に、彼女はそっけない態度で答えた。(p93-p94)

しかし、それだけでハンナがミヒャエルと別れるのは少し違うのではないかと思います。失踪直後にミヒャエルが考えていたように、ハンナがミヒャエルの裏切り(=同級生へ淡い恋心を持ち、ハンナの存在をその同級生には言わずに隠したこと)に気づいたのではないでしょうか?もちろん、確証があるわけではありません。なぜなら、そもそもミヒャエルの裏切りといっても何ら表面化しているものではないからです。ミヒャエルの裏切りはあくまで、まだ彼の内面にしか沸き起こっていないことなのですから。

(少し穿った見方なのですが、ミヒャエルはプール帰りにハンナの家に通ったいたので、ハンナはミヒャエルの様子が変わったこと(=同級生に心が浮ついたため)に気づいて、それで落ち着かなかった可能性もあります。可能性としては極めて少ないと思いますが。)

しかし、あの日、ハンナの直感力がそれを見抜いたのではないでしょうか。あの日、プールサイドに現れたハンナは、ほんの一瞬ではあるけれど、視線を逸らせたミヒャエルに、彼の裏切りを敏感に感じ取ったのではないでしょうか。 

彼女は20メートルか30メートル先に立っていた。短パンをはき、胸の開いた、ウエストで紐を結ぶタイプのブラウスを着て、ぼくの方を眺めていた。ぼくも彼女を見つめ返した。離れていて顔の表情は読めなかった。飛び上がって彼女のところに駆けていくことはしなかった。さまざまな疑念が頭をよぎった。どうしてプールに来たんだろう。ぼくに見てほしいのか、ぼくと一緒のところを見られたいのか。ぼくは彼女といるところを見られたいだろうか。まだ一度も偶然に出くわしたことはかったのに。ぼくはどうしたらいいんだろう。それからぼくは立ち上がった。でも、ぼくが視線をそらしたほんのちょっとのあいだに、彼女は行ってしまっていた。(p96)

ほんのわずかな一瞬です。しかも、ハンナの表情が見えないような距離で、後になってミヒャエルがこの日のことを思い出しても、”あれはもしかしたらハンナではなかったんじゃないか?”と疑ってしまうような、まるで印象派の絵のような輪郭のはっきりしない光景です。しかし、ハンナには、ミヒャエルのほんの一瞬の態度や行動で、瞬時にすべてを見抜いてしまったのではないでしょうか…。ミヒャエルの裏切りを。

さて、この結果、ハンナはその日のうちに引っ越してしまいます。原因はミヒャエルの裏切りと昇進の話の2つが考えられます。ミヒャエルの裏切りに対するハンナの気持ちは、「怒り」なのか「身を引く」といったものなのかは分かりません。ただ、別れることが最も良い選択だとハンナは思っただけなのかもしれません…。いずれにしろ、この2つの問題に対して、引越しという1つの行動、1つの結論をハンナは導き出したのだと思います。

■第1部まとめ
第1部では、ミヒャエルとハンナの出会いから別れまでの様子が描かれています。二人の恋愛は出会った当初は性愛から始まったのですが、逢瀬を重ねるうちに互いに深く愛し合う関係になります。しかし、ミヒャエルの裏切りやハンナの昇進の話などの要因が重なって二人は別れてしまいます。別れといってもハンナの一方的な失踪であり、ミヒャエルは一人取り残されます。その後、ハンナを失ったミヒャエルは自らを責めて心に深く傷を負うことになります。

この第1部では、ハンナという謎の女性の特徴が随所に散りばめられています。文盲であることやナチの看守であったことの伏線があちこちに散りばめられています。さらに、ハンナの個性的な性格やミヒャエルとハンナの力関係も描かれています。ちなみに、この二人の力関係はハンナが文盲を隠したがために、かえってミヒャエルが抑圧されるというものです。この抑圧がハンナ失踪後のミヒャエルの人格形成に少なからずネガティブに影響したのかもしれません。

さて、この第1部では問題点が2つあります。
1つは「なぜ、ハンナは失踪したのか?」という問題です。昇進の話によって文盲がバレてしまうのを恐れたからというのが唯一の理由かもしれません。しかし、もし、ミヒャエルの裏切りが原因のひとつであるとするならば、「ミヒャエルの裏切りを見抜く直感がハンナにはあるのではないか?」という疑問が浮かび上がってきます。

さらに、もう1つの問題点は「ハンナとは一体何者なのか?」という疑問です。この疑問の裏には「ハンナが文盲である」ことと「ナチの看守であった」ことという2つの事実が隠されています。しかし、それらよりももっと奥深くにハンナという人物の本当の謎が隠されているのではないかと思います。なぜなら、文盲や看守であるというだけでは説明がつかないと思うからです。文盲と看守という2つの秘密以上に「ハンナとは一体何者なのか?」という大きな謎があると私は思います…。

しかし、それにしても、いくらなんでも本当にハンナはそんなほんの一瞬ですべてを見抜くような直感を働かせたのでしょうか?いえ、それだけではありません。最初の二人の馴れ初めもハンナは直感でミヒャエルの本心を見抜いていたのでしょうか?この第1部だけで、ハンナに直感があると確信するのはやや早計な気がします。このハンナの直感に対する疑問は第2部以降に続きます。