2009年9月13日

『朗読者』を読む その3


■第1部読解
■第1部第1章~第7章(p7-p37)
これらの章では、ミヒャエルとハンナの出会いから恋人の関係になる馴れ初めが描かれています。 
さて、ここでのポイントは、裸のミヒャエルをうしろから抱きしめたハンナの次の言葉です。

「このために来たんでしょ!」(p30)

作品を初めて読んだとき、全裸になってミヒャエルを抱き締めるというハンナのこの行動は、エロティックに物語を展開するために作者が仕組んだ不自然なご都合主義かと思いました(笑)。ところが、作品を一度通読したあとに、もう一度、ここを読み返してみると、「これは単なるご都合主義ではないのではないか?」と思えてくるのです。どういうことかというと、これこそまさに鍵概念で示したハンナの直感ではないかと思えるのです。つまり、ハンナはミヒャエルがハンナに性的な妄想を抱いていることに早い段階で既に気づいていたのではないかと思います。もちろん、ハンナがミヒャエルを受け入れるか否かの選択の問題はあります。しかし、以前に会った時かあるいはそのとき瞬時に判断してミヒャエルを受け入れる結論を出したのではないかと思います。初読のときは、読者がこの段階でハンナの直感に思い至ることはもちろんありませんが…。しかし、次第に読み進んでハンナの直感が見えてくると、すでにこの段階でハンナの直感が働いていたのではないかと思えてくるのです。

そもそも、ここに至るまでの間にどれほどのコミュニケーションが二人の間にあったでしょうか。振り返ってみると、初めての出会いはミヒャエルが道で吐いたときです。このとき、ミヒャエルは泣いてしまい、ハンナに子供のように抱き締められています。しかも、家まで送ってもらっているが、ミヒャエルはしっかりしたお礼の挨拶も出来ていない感じがします。つまり、初めての出会いは男女というよりは大人と子供の出会いです。ただ、抱き締められるという触れ合いはありますが…。二度目の出会いは母に促されたミヒャエルがお礼の挨拶にハンナを訪問したときです。このときはハンナの着替えを見てしまい、ミヒャエルは恥ずかしくなって家を飛び出します。このあと、ミヒャエルは悶々と一週間悩んだ後、再び、ミヒャエルは何をどうしようというあてもなく、ハンナの部屋を訪れます。ハンナはまだ帰宅しておらず、ミヒャエルは部屋の前でハンナを待ちます。ほどなくハンナが帰ってきてミヒャエルと鉢合わせします。ところが、ハンナは驚いたり怪訝なそぶりを見せることなく、即座にミヒャエルにコークス運びの用事を言いつけます。ここはとても不自然です。何の脈絡もない再会なのに眉ひとつ動かさずにハンナはミヒャエルに用事を言いつけるのです。さて、このあと、コークス運びで真っ黒になったミヒャエルをお風呂に入れることになるのですが、このときにはもうハンナはほとんど遠慮せずにミヒャエルの裸を見ます。とても危険な雰囲気です(笑)以上が二人が事にいたるまでのコミュニケーションですが、ほとんど意思の疎通がありません(笑)。ミヒャエルはやや曖昧ながら性的な妄想を膨らませていたので彼の心理は分かります。一方のハンナは、ミヒャエルの視点なので、当然、心象風景がまったく描かれていませんが、普段通り仕事をしていただけなので、ミヒャエルとは対照的にそのような性的妄想は微塵もなかったのではないかと思います。むしろ、ハンナは、瞬間瞬間の瞬時の判断で動いているように思えます。テキストからはどの段階でハンナが判断したかは断定できませんが、もしかしたら着替えのときに目が合った瞬間に、こうなることは薄々予感していたかもしれません。いや、深読みによっては着替えすらもハンナの誘惑だったかもしれませんが…。もちろん、断定はできませんが。ともかく、こうして二人の関係が築かれたのでした。

■第1部第8章(p37-p45)
この章では、出会ってまだ間もない頃の二人の様子が描かれています。
この章のポイントは3つあります。1つ目はこの頃のセックスがまだ自分だけの欲求、自己本位の欲求を満足させるものだけだったことです。

愛し合うときにも、彼女は当然のようにぼくの体をほしいままにした。……ぼくは彼女が感じるためだけにそこにいるに過ぎなかった。彼女が優しくなかったとか、ぼくに感じさせなかったとかいう意味ではない。でも、彼女は自分の遊び心を満足させるためにそんなふうにしていた。ぼく自身が、彼女の体を自由に扱う術を心得るまでは。(p38)

後にはホテルの事件をきっかけに、相手を利用するだけというものではない、互いを尊重するような愛のあるセックスに変わりますが、この段階では、まだ相手への愛情よりは単に自己の欲求を満たすものでした。

2つ目はハンナの名前を聞いたとき、ハンナが異常に驚いたことです。

彼女は飛び起きた。「何だって?」「君の名前だよ!」「どうしてそんなことを知りたいの?」彼女は不審そうにぼくを見つめた。(p40)

一見すると、ナチの親衛隊で収容所の看守をしていたことをハンナは隠しており、それで名前を聞かれて驚いたのかと思いましたが、114ページの弁護士の証言にあるように、ハンナは引越の度に警察にきっちりと届け出を行っているので、彼女がナチの看守だったことを隠そうとしたことはないのではないでしょうか。では、なぜ驚いたのでしょうか?実は私もそれほど強い確信というわけではないのですが、ただ、ひとつ思い当たることがあります。それは真名というものです。

魔法の昔話では、本当の名前(=真名)を相手に知られてしまうと、その相手に魔法をかけられるというものです。例えば、夢枕獏の「陰陽師」で物の怪に名前を聞かれた源博雅が正直に名前を教えたばかりに金縛りの魔法にかけられたりしています。また、同じく「陰陽師 第9巻」で女性は結婚相手つまり夫以外には周囲の人たちにも真名を教えなかったともあります。そもそも女性の名前は表立って出てこないことが多いです。「藤原道綱の母」とか、あるいは、系図に表れる女性の名前は抜けていたり、女性はみんな同じ名前を使用したりと、名前の役割を無効化して、まるで、女性の真の名前は安易に他人には知られてはいけないもの、隠されて秘められたものという扱いが多いのではないでしょうか。しかも、この習慣は極めて古く、世界各地で見られると思います。ことによるとこの習慣は宗教よりも古い可能性があるのではないでしょうか?ともかく、ハンナもそういった風習・習慣があったのではないか、そして、安易に名前を知られることは呪われることだと、あくまで推測ですが、そう考えたのではないかと思ってしまいます。

なお、ハンナの出身はジーベンビュルゲンという所です。ジーベンビュルゲンは旧ドイツ領で現在のルーマニアにあるトランシルヴァニア地方辺りのことです。そうトランシルヴァニアといえば、ブラム・ストーカーの小説で有名な吸血鬼ドラキュラ伯爵の出身地ですね。この辺りはヨーロッパでも辺境にあたるのだと思います。カルパチア山脈という鬱蒼とした山々に囲まれた高原には異教の古い慣習が残っていると思います。ちなみに、ロシア側のカルパチア地方の民俗研究にボガトィリョーフの「呪術・儀礼・俗信」という本があります。キリスト教以前の土着の民間信仰についての報告でとても興味深いものがあります。

また、この章では、ハンナが教科書に書かれたミヒャエルの名札の文字を読めていないことが文盲の伏線として張られています。

彼女のところでそうしたものを台所のテーブルに置くと、ノートや教科書に書いてあるぼくの名前が見えたのだ。(p41)

ミヒャエルの名札が見えているだろうにも関わらず、ハンナはミヒャエルの名前を尋ねます。

さて、3つ目のポイントはミヒャエルの勉強のことです。ハンナはミヒャエルに勉強の大切さを自身の車掌の仕事を引き合いに出して教えます。

「わたしのベッドから出てって。そして、勉強しないんだったら、もう来ないで。勉強がバカみたいだって?バカ?あんた、切符を売ったり穴をあけたりすることがどんなことかわかってるの」彼女は立ち上がり、裸のまま台所で車掌をやってみせた。……「バカだって?バカってのがどういうことだか、わかってないのね」(p42-p43)

ここでハンナは自分のことをバカだと言っています。もちろん、ハンナ自身は決して頭の悪い人間ではないと思います。しかし、推測ですが、教育を受ける機会が無かったためでしょうけど、ハンナは文盲です。これが彼女の仕事選びに大きく影響しており、さらに日常生活でも文盲ゆえの様々なストレスを感じていたに違いないと思います。文字が読めないということは、看板や掲示板の文字が読めないし、新聞や書類の文字が読めないので、文字が読める人からハンナも読めるものと思って話しかけられたとしても、ハンナは正確には答えられなかったはずだと思います。そういった不便や疎外感や不安が人々が大勢いる社会の中にいながら感じていたのではないでしょうか。

ここで考えなければならないのは、後にハンナが法廷で証言を偽ってまで、自分が文盲であることを隠したことです。もし、文盲であることを「恥」だと考えていて、それを知られるのが嫌で証言を偽ったのなら、ハンナがここでこうも簡単に自分がバカだと認めたのは少し不思議に思えます。それとも親しい間柄であるミヒャエルだからこそ、ハンナは心を開いたのでしょうか?でも、まだ付き合い始めた初期段階ではないでしょうか?ハンナは本当に文盲を「恥ずかしいこと」と考えて隠したのでしょうか?文盲を「恥じる」というよりは、もう少し違った意味でハンナは文盲を隠したのではないでしょうか?

■第1部第9章(p45-p53)
この章では、いよいよ朗読が始まります。

ここでのポイントは、ハンナが注意深い聴き手だったことです。ハンナにとって朗読はただ単にお話を聴くことにとどまりません。

そんなことがあっていいはずないわ!(p53)

ハンナは注意深い聴き手であり、物語が紡ぎだす世界をハンナの内面世界に展開しているのがよく分かります。これは図1-4のような文盲であるハンナの心的空間において、ミヒャエルの解説などの手助けによって言語知の領域が広がっているだろうと推測されます。



それはハンナにとってはとても大切なことだったのだと思います。以前は未整理でカオス的だった心的言語空間が朗読の言葉によって整理・拡張されることは、この世界を理解するための新たな接点を増やすことであり、新たな自分が豊かに開かれてゆく思いだったのではないでしょうか?しかもミヒャエルと議論したりして構築した心の世界なので、ハンナの心に開かれたこの新たな世界は愛によって築かれた空間でもあったのではないでしょうか。極端に考えると、自分の心が花が開くように開かれてゆく気持ち良さがあったのではないかと思います。心の空間が開拓されて拓かれてゆく心地良さ、目が開かれてゆく心地良さ、心の見晴らしが開かれて行く心地良さがあったのではないかと思います。ハンナは新たな自分を発見する、それもミヒャエルの愛のある手助けによって。ハンナにとってミヒャエルの朗読は心と心が触れ合う最も大事な、ある意味、聖なる行為だったのではないでしょうか。

■第1部第10章(p54-p61)
この章では、市電での事件が描かれます。

ここでのポイントはハンナがミヒャエルに無視されたと勘違いしたことです。これには文盲ゆえの悲しい誤解が表われています。おそらく、文盲であるハンナにとって話し言葉だけが言葉のコミュニケーション手段であって、”直接話しかけることをしない”ということは”積極的な無視”と同じだったのだと思います。ミヒャエルのように先回りして思考を巡らせることはハンナの頭には無かったのだと思います。

例を出して考えてみましょう。時代劇でよくあるシーンで立て板に書かれている落書を群衆の中の町人と武士が読んでいる場面を想像してみて下さい。

町人「旦那、何て書いてあるんですかい?」武士「ふむ。”白川の清きに魚も住みかねて、元の濁りの田沼恋しき”と書いてある」町人「へえ?なんだ、魚の話ですかい?旦那、それはいったいどういう意味でやしょう?」武士「それはじゃな、つまり、白川とは白河藩出身の老中・松平定信公のことじゃ。田沼とは前の老中・田沼意次公のことじゃな。つまり、清廉潔白で倹約を旨とする松平定信公の窮屈な世の中よりも、賄賂で腐敗した政治だと言われても重商政策で自由に暮らせた田沼意次公の方が良かったと、清らかな川と濁った沼に喩えて、清らか過ぎても住みにくいと言っておるのじゃな」町人「あっ!なるほど~!魚の話かと思ったら政治の話!なるほど、そういうことですか!」

文面だけではなしに、文章の背後に隠されている意図や意味をくみ取ることが文字を読める人には可能ですが、文字を読めない人は文章の背後に隠されている意味や行間を読むといったことまでも不得手なのです。ここでは町人は文面の魚の話は理解できたのですが、背後に隠されている政治の話には思い至らなかったというわけです。(この例では予備知識を必要とするので、あまり良い例ではないです。良い例が見つかれば差し替えます。)

ここでのハンナの場合、ミヒャエルの行動の背後に隠されている意味、後の車両で二人だけで会いたいという意図がくみ取れなかったのです。ゆえに近寄ってこなかったミヒャエルにハンナは無視されたと誤解したのだと思います。さらにハンナは自分がミヒャエルから無視され軽く扱われたように感じたので、その仕返しにミヒャエルの存在を逆に軽々しいものとしてミヒャエルに思い知らせてやるために、わざと運転手と仲良くしてみせたのだと思います。「あんたなんかいなくたって平気だよ!あんたなんか私の中ではちっぽけな存在なんだよ!」と言わんばかりに。あるいは運転手と仲が良いというのを見せつけて、ミヒャエルを嫉妬させてやろうというものだったかもしれません。次のようなハンナの行動や言動がそれを表していると思います。

でも彼女は運転手のそばにいて、しゃべったりふざけたりしているのが、ぼくのいる席から見えた。(p54)どうやら、だって?どうやらあんたがあたしを侮辱したみたいだって言うの?侮辱されてたまるもんですか、あんたなんかに。(p59)そう、ちょっと傷ついちゃったのよ、と彼女が打ち明けてくれたとき、ぼくはまた幸せな気分になった。(p59)

この誤解は、あとで一方的にミヒャエルが謝ることで収まります。ただ、納得のいかなかったミヒャエルは手紙を書きますが、その手紙はハンナには無視されます。なぜならハンナは文盲であるために手紙が読めなかったからなのですが…。

それにしても、ハンナは本当に孤独な生涯を送ってきたのではないでしょうか。私たちも他者とのコミュニケーションにおいて、相手の言っていることが分からないけれども、その場の雰囲気で相槌を打ったりします。それがたまにならそんなに苦でもないでしょうし、尋ねることで後からその意味を知ることも可能でしょう。ですが、ハンナの場合はどうだったでしょうか。相手の言っていることを理解できないにも関わらず、それでも理解したように振舞うことが多かったのではないでしょうか。相手の言っていることが分からないという不確かさ・手ごたえの無さの中で彼女はずっと過ごしてきたのだとしたら、彼女はどんなに孤独だったでしょうか。たとえ、職場で仲間の中にいたとしても、どこか一人ポツンと孤島に取り残されたような孤絶感・孤独感・不安感があったのではないでしょうか。それゆえに他人から無視されることはハンナにとって最も耐え難い苦痛だったのではないでしょうか。だから、信頼していたミヒャエルに無視されたと勘違いしたハンナはミヒャエルに逆にあのようなしっぺ返しをし、ひと際激しく怒ったのではないでしょうか。

■第1部第11章(p61-p71)
この章では、ホテルでのメモ紛失事件が描かれています。

ここのポイントはメモの事件です。この事件は明らかにメモが読めないことを隠すために、ハンナがメモを隠したのでしょう。そして、ひとつはそれを悟られないように泣き喚いたのでしょうし、もうひとつはそうやってウソをついてまでミヒャエルをぶってまで隠そうとする自分に対する情けなさ・悔しさの涙であり、自分を愛してくれているミヒャエルに対する申し訳なさや、さらには、それでも優しくしてくれるミヒャエルの自分に対する寛容な愛情に心打たれるものまでもあったのだろうと思います。この事件以降、ハンナもミヒャエルに対して優しさを見せるようになり、セックスもただ相手を利用するだけのような愛し方ではなくなったのでしょう。

ぼくたちの愛し方も前とは変わった。長いことぼくと彼女は彼女のリードに任せ、ぼくの体を彼女のほしいままにさせていた。それからぼくは、彼女の体をほしいままにすることを覚えた。でも、ぼくたちの旅行中、そしてそれ以降は、互いに相手をただ好きなように利用する愛し方ではなくなった。(p70)

この事件以降に書かれたであろうミヒャエルの詩(p70-p71)にも情欲から愛へと昇華した心が描かれていると思います。この事件はハンナが文盲であることの伏線ですが、同時に互いの愛が深まった事件でもあったのだと思います。

■第1部第12章(p71-p77)
この章では、ミヒャエルの自宅にハンナが泊まった夜の出来事が描かれています。

ここのポイントは哲学者である父の本を朗読したことです。カントとヘーゲルの本ですが、普通の人でもドイツ観念論哲学をいきなり聞かされても何のことだかチンプンカンプンだと思います。父の本を朗読したミヒャエル自身も本の内容を理解できませんが、当然、ハンナも理解できていません。しかし、ハンナはいずれミヒャエルも彼の父と同じように、そう遠くない未来にハンナにはもう理解の及ばない言語知の世界にいるのだろうと寂しく思ったのではないでしょうか。ハンナにとって文字を読めるということは魔法を知っているかの如くに感じられたのではないでしょうか。

あんたもいつかこんな本を書くの?(p76)

自分には理解を超えたことが言葉の世界にはあり、それは畏怖を覚えることでもあり、同時に愛するひとの心において自分の手には届かない共有できない部分があるという寂しさでもあると思います。ミヒャエルの朗読によって言語知領域の心的空間を広げてきたハンナでしたが、それでも文盲ゆえに朗読程度ではもうハンナでは遠く及ばずに、ミヒャエルが遠いところへ行ってしまうことの寂しさがあったと思います。もしかしたら、ハンナはそれゆえに自分が文盲であることを罪が重くなるのを顧みずに隠したのかもしれません。なぜなら、ハンナにしてみれば、ミヒャエルは朗読を通して言語知の領域において自分と心を共有していると思っているに違いない。しかし、実際には、ハンナ自身は、自分が文盲であり、そのことを偽っているのを知っている。もし、自分が文盲であるとミヒャエルに知られてしまったら、二人で構築して二人が共有していたと思っていた心的空間が偽りになってしまう。愛の空間が偽りのものになってしまう。ハンナにとってミヒャエルに文盲であることがバレることは、すなわち、今までの築いてきた愛の空間が壊れることを意味したのではないでしょうか。それゆえにハンナはウソの証言までして秘密を守ったのではないでしょうか。

ただ、後に刑務所で文字を覚えたハンナは、文字を知っていることの神秘性を剥がすことに成功したと思います。ここで感じたであろう高度な言語世界への不安や畏怖の念を払拭できたのではないかと推測します。

■第1部第13章~17章(p77-p99)
さて、これらの章では、いよいよハンナの失踪に至る経緯が描かれます。

ここでのポイントは3つです。1つめは馬のエピソードです。

「馬?」彼女はぼくから離れ、体を起こすとぎょっとしたように、ぼくを見つめた。(p84)

この馬のエピソードは、後に収容所にいた若い女看守がハンナではないかという話に繋がります。

2つめは、穴やプラムの実や映画についてのエピソードです。

「あんたの知りたがることときたら、坊や!」あるいは、彼女はぼくの手を取って自分の腹に押し当てた。「ここに穴が開いてもいいの?」(p92)「洗濯して、アイロンかけて、掃き掃除して、床を拭いて、買い物して、料理して、プラムの木を揺すって、実を拾って、家に持って帰ってすぐに煮てしまわないと。でないとおチビさんが」彼女は左手の小指を右手の親指と人差し指のあいだに突っ込んだ。「そうしないと虫さんが全部一人で食べちゃうからね」(p92)彼女にぱったり出くわすこともなかった。道でも、店でも、映画館でも。……彼女は奇妙なほど選り好みせずに何でも見ていた。(p93)

これらは一体何を表しているのでしょうか?プラムの実の話は、もしかしたら、ちょっとエロティックなことを言っているのかもしれませんが…。あるいは、魔女の薬草採集と関係あるかもしれませんが、単に木の実の採集だけかもしれません。また、なぜ知りたがるとお腹に穴があくといいたかったのでしょうか?ストレスで胃に穴は開いても好奇心で穴があくというのはちょっと不自然です。また、映画館や街中に神出鬼没する話も不思議という他ありません。ただし、ここでミヒャエルの言いたいことは、ハンナの人生のすき間にミヒャエルを入れているだけで、ハンナの人生のメインにミヒャエルを据えていないことを表現しているとは思います。しかし、ただそれだけを表現するにしては、不自然で不思議な話だと私には思えます…。

ただ、以下は私が個人的に聞いた話なのですが、この話には思い当たることが少しだけあります。私の母から聞いた話ですが、その昔、私の故郷には本物の女性のシャーマンがいたそうです。戦後10年と経っていない頃のことでしょうか、母がまだ乙女の頃(笑)に実際にその女シャーマンに腹痛の治療を受けたことがあるそうです。そのときの女シャーマンのエピソードとここのハンナの話には実は少し通じるものがあるように思うのです。もしかしたら、魔女共通の何らかの伝統があるのかもしれません。ただ、その後、故郷の女シャーマンの系譜は途絶えてしまったらしく、その意味するところは謎になってしまいましたが…。いずれにしても、ちょっと不思議な話ですが、それゆえに私にはハンナが魔女っぽく思えるのです…。

さて、3つめのポイントは、第1部で最も重要なポイントです。ハンナが失踪する要因は2つあります。1つはミヒャエルの裏切りです。もう1つは運転手への昇進の問題です。ハンナが失踪を決意した理由はこの2つの理由から失踪したと考えられます。

後にミヒャエルは運転手の昇進で文盲がバレるのを避けるためにハンナは姿を消したのだと考えます。彼女が失踪したときに、ミヒャエルがハンナの職場を訪ねたときに人事課の担当者に次のように教えてもらいます。

わたしは彼女に、運転手の資格を取らせてあげよう、と提案したんだが、彼女は何もかも放り出してしまった(p98)

しかし、本当にそれだけでしょうか?たしかに運転手の昇進でハンナが悩んでいたのは事実でしょう。失踪する前の数日間に、次のようなプレッシャーを感じていたのは、この昇進の問題が持ち上がったからだと思います。

ハンナは何日も前から妙な雰囲気で、気まぐれで威圧的なだけでなく、こちらにもわかるほどプレッシャーを受けていて、非常に苦しみ、敏感で傷つきやすくなっていた。プレッシャーのもとで爆発してしまわないように、自分の意識を集中させ、自制しなければいけないというように。なんで苦しんでいるの、というぼくの質問に、彼女はそっけない態度で答えた。(p93-p94)

しかし、それだけでハンナがミヒャエルと別れるのは少し違うのではないかと思います。失踪直後にミヒャエルが考えていたように、ハンナがミヒャエルの裏切り(=同級生へ淡い恋心を持ち、ハンナの存在をその同級生には言わずに隠したこと)に気づいたのではないでしょうか?もちろん、確証があるわけではありません。なぜなら、そもそもミヒャエルの裏切りといっても何ら表面化しているものではないからです。ミヒャエルの裏切りはあくまで、まだ彼の内面にしか沸き起こっていないことなのですから。

(少し穿った見方なのですが、ミヒャエルはプール帰りにハンナの家に通ったいたので、ハンナはミヒャエルの様子が変わったこと(=同級生に心が浮ついたため)に気づいて、それで落ち着かなかった可能性もあります。可能性としては極めて少ないと思いますが。)

しかし、あの日、ハンナの直感力がそれを見抜いたのではないでしょうか。あの日、プールサイドに現れたハンナは、ほんの一瞬ではあるけれど、視線を逸らせたミヒャエルに、彼の裏切りを敏感に感じ取ったのではないでしょうか。 

彼女は20メートルか30メートル先に立っていた。短パンをはき、胸の開いた、ウエストで紐を結ぶタイプのブラウスを着て、ぼくの方を眺めていた。ぼくも彼女を見つめ返した。離れていて顔の表情は読めなかった。飛び上がって彼女のところに駆けていくことはしなかった。さまざまな疑念が頭をよぎった。どうしてプールに来たんだろう。ぼくに見てほしいのか、ぼくと一緒のところを見られたいのか。ぼくは彼女といるところを見られたいだろうか。まだ一度も偶然に出くわしたことはかったのに。ぼくはどうしたらいいんだろう。それからぼくは立ち上がった。でも、ぼくが視線をそらしたほんのちょっとのあいだに、彼女は行ってしまっていた。(p96)

ほんのわずかな一瞬です。しかも、ハンナの表情が見えないような距離で、後になってミヒャエルがこの日のことを思い出しても、”あれはもしかしたらハンナではなかったんじゃないか?”と疑ってしまうような、まるで印象派の絵のような輪郭のはっきりしない光景です。しかし、ハンナには、ミヒャエルのほんの一瞬の態度や行動で、瞬時にすべてを見抜いてしまったのではないでしょうか…。ミヒャエルの裏切りを。

さて、この結果、ハンナはその日のうちに引っ越してしまいます。原因はミヒャエルの裏切りと昇進の話の2つが考えられます。ミヒャエルの裏切りに対するハンナの気持ちは、「怒り」なのか「身を引く」といったものなのかは分かりません。ただ、別れることが最も良い選択だとハンナは思っただけなのかもしれません…。いずれにしろ、この2つの問題に対して、引越しという1つの行動、1つの結論をハンナは導き出したのだと思います。

■第1部まとめ
第1部では、ミヒャエルとハンナの出会いから別れまでの様子が描かれています。二人の恋愛は出会った当初は性愛から始まったのですが、逢瀬を重ねるうちに互いに深く愛し合う関係になります。しかし、ミヒャエルの裏切りやハンナの昇進の話などの要因が重なって二人は別れてしまいます。別れといってもハンナの一方的な失踪であり、ミヒャエルは一人取り残されます。その後、ハンナを失ったミヒャエルは自らを責めて心に深く傷を負うことになります。

この第1部では、ハンナという謎の女性の特徴が随所に散りばめられています。文盲であることやナチの看守であったことの伏線があちこちに散りばめられています。さらに、ハンナの個性的な性格やミヒャエルとハンナの力関係も描かれています。ちなみに、この二人の力関係はハンナが文盲を隠したがために、かえってミヒャエルが抑圧されるというものです。この抑圧がハンナ失踪後のミヒャエルの人格形成に少なからずネガティブに影響したのかもしれません。

さて、この第1部では問題点が2つあります。
1つは「なぜ、ハンナは失踪したのか?」という問題です。昇進の話によって文盲がバレてしまうのを恐れたからというのが唯一の理由かもしれません。しかし、もし、ミヒャエルの裏切りが原因のひとつであるとするならば、「ミヒャエルの裏切りを見抜く直感がハンナにはあるのではないか?」という疑問が浮かび上がってきます。

さらに、もう1つの問題点は「ハンナとは一体何者なのか?」という疑問です。この疑問の裏には「ハンナが文盲である」ことと「ナチの看守であった」ことという2つの事実が隠されています。しかし、それらよりももっと奥深くにハンナという人物の本当の謎が隠されているのではないかと思います。なぜなら、文盲や看守であるというだけでは説明がつかないと思うからです。文盲と看守という2つの秘密以上に「ハンナとは一体何者なのか?」という大きな謎があると私は思います…。

しかし、それにしても、いくらなんでも本当にハンナはそんなほんの一瞬ですべてを見抜くような直感を働かせたのでしょうか?いえ、それだけではありません。最初の二人の馴れ初めもハンナは直感でミヒャエルの本心を見抜いていたのでしょうか?この第1部だけで、ハンナに直感があると確信するのはやや早計な気がします。このハンナの直感に対する疑問は第2部以降に続きます。