2009年9月27日

『朗読者』を読む その4


■第2部読解
■第2部第1章(p103-p106)
この章では、ハンナが去った後のミヒャエルの変化が描かれています。時間的には法学部の学生になった頃までを描いています。ここでのポイントは、ハンナに去られた後のミヒャエルが人間的にまっすぐに成長したわけではなく、むしろ、ハンナが居なくなったことによる穴が大きいかったために、ミヒャエルの成長が人間的に順調ではない方向に変わってしまったことです。

ギムナジウムでの最後の日々、そして大学で学び始めたころのことは、幸せな歳月としてぼくの記憶に残っている。と同時に、そのころのことについてほどんど語れるような思い出がない。……友情も、恋愛も、別れも、何もかもが簡単だった。すべてが簡単に思え、すべてが軽かった。……そもそも幸福な思い出というのがあたってるのかどうか、ぼくは自問する。(p104)ぼくがハンナとの思い出に別れを告げたものの、けっしてそれを清算したわけではないこともわかる。ハンナとのことがあったあとでは、もう誰からも屈辱的な目に遭わせられたり、遭わせたり、誰かに罪を押しつけたり、罪の意識に苦しんだり、その人を失うことが痛みとなるほどまでに人を愛したりはしなくなった。(p104)ぼくは高慢で優越的な態度を身につけ、自分が何物にも動かされず、揺るがされず、混乱させられない人間であるかのように振る舞った。(p105)ゾフィーのことも思い出す。……彼女はぼくがほんとうは彼女を求めていないことに気づき、涙ながらに言ったものだ。「あなたはどうなってしまったの?」(p105)


ミヒャエルはハンナとの別れを自分の中で気持ちを整理して清算できずに、一種のトラウマとして抱えています。そして、それが原因でミヒャエルは他人との親しい人間関係・距離の近い間柄を築けなくなってしまっています。そのため、生活もどこか虚ろな充実感の欠いた生活になっています。

■第2部第2章(p106-p110)
この章では、ゼミでナチ時代を裁く裁判を傍聴することになり、ゼミの教授や学生たち、ミヒャエルの状況や心境が描かれています。ここでのポイントは、学生たちやミヒャエルの当時の心境です。学生たちは、ナチ時代に犯した過ちをもって彼らの親世代を断罪することに正義感を見出し、熱狂してゆくことです。一方、ミヒャエルは前章で示されたように何事にも熱狂せずに距離感を持っていたのが、このゼミでは次第に学生たちに同調してゆきます。(ただし、それは実際の裁判の傍聴が始まる前の話、冬の間のことです。)

再検討!過去の再検討!そのゼミの学生であったぼくたちは、自分たちを再検討のパイオニアとみなしていた。……彼らを追放しようと思えばできたのにそれもしなかった世代そのものが裁かれているのだった。そして、ぼくたちは再検討と啓蒙作業の中で、その世代を恥辱の刑に処したのだった。……ぼくたちはみな両親を断罪したが、その罪状は1945年以降も犯罪者たちを自分たちのもとにとどめていおいた、ということだった。(p108-p109)

■第2部第3章(p110-p116)
この章では、法廷でのハンナとの再会が描かれています。ここでのポイントは3つあります。1つは裁判長や弁護士の特徴が描かれています。裁判長はやや恣意的であること、一方、若い弁護士は性急であり、他の老弁護士は長広舌で、どちらの弁護士も裁判には不利であったことです。いずれにしても、それぞれ人間的特徴を備えていることです。

2つ目のポイントはハンナの経歴が裁判に不利だったことです。1つは、ハンナはジーメンスで昇進の話があったのに、ジーメンスを辞めてナチの親衛隊に入っています。ただし、ハンナも「親衛隊がジーメンスや他の企業で、看守の仕事をする女性たちを募集した際に自分も応募し、看守として採用された」と供述しているように、親衛隊に入るのが目的ではなく、看守の仕事の紹介が先にあって仕事に就くために親衛隊に入っています。つまり、就職が目的であってナチのシンパというわけではありません。もう1つは、まるで逃亡しているかのように頻繁に住む場所を変えていることです。しかし、これも弁護士が証言しているように、引っ越すたびに、警察への届け出を行っており、逃亡や隠蔽を目的としたものではないことを裏付けています。しかし、それにも関わらず、裁判の印象としてはハンナにとって不利になってゆきます。

3つ目のポイントはミハンナの釈放要求がなされたときのヒャエルの心理です。ミヒャエルは、もしハンナが釈放されたら、彼女に会うか会わないかを決めなければならない、それよりは自分の手の届かないところにいて欲しい、彼女との問題と向き合うことを避けたい、そう考えたことです。

ぼくは彼女がぼくから遠く、届かないところにいてくれることを望んだ。そうすれば彼女は、この何年かのあいだそうであったように、単なる思い出であり続けるだろう。もし弁護人の釈放要求が通るなら、ぼくはハンナに会う覚悟をしなければならないし、彼女に会いたいのか、会うべきか、という問題を、きちんとさせなければならない。(p115)

ミヒャエルは、今でもハンナのことをはっきりと強く愛しているのかというと、実はそうではなくて、ハンナのことを遠い過去の事柄に押しやってしまった結果、いまいちど、自分がハンナを愛しているかどうかに向き合わなければならないと考えたのだと思います。さらに、過去の気持ちと対面して整理しなければならないことを厄介に感じているのだと思います。

■第2部第4章(p116-p122)
この章では、裁判の参加者全員の、裁判に対する心の麻痺が描かれています。ここでのポイントは2つあります。1つはミヒャエルの心の麻痺です。ミヒャエルは、ハンナのことを最も愛した近しい対象ではなく、自分とは関係の薄い遠い対象として眺めています。さらに、ハンナだけでなく、その他のあらゆるものも、自分すらも遠くへ押しやって眺めてしまいます。

ぼくは、まるで彼女を愛し求めたのは自分ではなく、ぼくのよく知っている誰かだった、という気持ちでハンナを見ていることができたが、麻酔の作用はそれだけにとどまらなかった。ほかのあらゆることに関しても、ぼくは自分の傍らに立って、もう一人の自分を眺めていた。……ぼくの心は、その場で起こっていることに参加していないのだった。(p118-p119)

さらに、もう1つのポイントは、ミヒャエルだけでなく、裁判に参加している全員が心の麻痺状態に次第に陥ってゆくことです。ミヒャエルはさらに敷衍して、裁判で問うことと問わないことの両方の意義に疑問を投げかけます。問わないまま、驚愕と恥と罪の中で沈黙すれば良いというのか、だが、逆に問うことでも、結果的には驚愕と恥と罪の中で沈黙してしまうのではないか。裁判で裁くことの難しさが描かれています。

■第2部第5章(p122-p125)
この章では、裁判での2つの罪状が描かれています。1つはアウシュビッツに送る囚人の選別についてです。もう1つの罪状は空襲されて火災になった教会に囚人が閉じ込められたとき、教会の扉を開けずに、焼け死ぬままに見殺しにした罪でした。

■第2部第5章~6章(p122-p131)
この章では、殺されると分かっていながらも、アウシュビッツへ送る囚人を選別した罪について、ハンナや看守達への追及が描かれています。ここでのポイントは、次の裁判長とハンナのやり取りです。アウシュビッツで処刑されると分かっていたにもかかわらず、アウシュビッツに送る囚人を選別したことを咎めた裁判長に対して、ハンナは逆に次のように裁判長に問いかけます。

「わたしは……わたしが言いたいのは……あなただったら何をしましたか?」(p129)
それに対して裁判長は、

「この世には、関わり合いになってはいけない事柄があり、命の危険がない限り、遠ざけておくべき事柄もあるのです」(p130)

と答えます。これはハンナの質問から言い逃れするための裁判長の明らかな欺瞞です。ハンナが聞きたいのはそんなことではないのです。看守という立場で囚人を選別しなければならない状況におかれたときに、どうしたら良いのかを尋ねているのです。そこには「命の危険がない限り、遠ざけておく」ことなどできないのです。だから、裁判長のこの言葉に聴衆は落胆します。ところが、ひとりハンナだけは次のように呟きながら真剣に考え込むのです。

「じゃあわたしは…しない方が…ジーメンスに転職を申し出るべきじゃなかったの?」(p131)

このやり取りにおけるハンナを文盲ゆえの整理されていない混乱した思考と捉えるべきでしょうか?確かにハンナは裁判長の不完全な答えが言い逃れのためだということには気付きませんでした。そういった意味ではハンナは頭が悪いと受け取られるかもしれない。しかし、ハンナは正々堂々と意見を交わしているのであって、裁判で駆け引きをしているわけではないのです。ハンナの考えには駆け引きなど最初から無いのです。私はハンナは決して頭の悪い女性ではないと思います。では、このハンナの自問は一体何を意味しているのでしょうか?そう、これこそ、ハンナが直感を巡らせている最中なのではないでしょうか。このハンナの自問自答は、ハンナが自分の中で直感による因果関係を結び付けようとシミュレーションしているように私には思えます。通常ではありえないナンセンスな因果関係の結びつきを探そうかとするような、まるで糸をたぐり寄せるような感覚がこの場面のハンナにはあります。直感知とは何か。少し詳しく考えてみましょう。

まず、先に言語知を考えてみると、言語知は物事を整理して論理的に順序立てて並べ替えて考えることです。下左図のように一枚のカードにはひとつの因果関係があるとして、それらのカードを順序立てて前後に論理的に繋がりがあるように並べ替えることです。そうすることで、1枚目のカードと最後のカードに因果関係をうち立てることができます。では、直感はどうでしょうか。直感をイメージすると、直感は順序立てて並べ替えることなどはせずに、ホログラフィックの嵐のようにカードが本人の周囲を渦巻きのように飛び交っているようにイメージします。そして、その混沌とした中を稲妻のような閃光が突如因果関係を見い出すのではないでしょうか。あるいは、本来は長い紙のような論理の繋がりをロール紙のように丸めて渦巻状にして、渦巻きを貫くように因果関係を直接的に最初の原因と最後の結果を結びつけるのではないでしょうか。



もちろん、これは、あくまでイメージであって、実際の直感とは違うでしょうけれど…。ただ、ここでのハンナは、裁判長の言葉から「収容所での選別を避ける」ために、「ジーメンスに転職を申し出るべきではなかった」ということをあらかじめ予見できなかったかを、自分の頭で”直感”をシミュレーションしているのではないかと思えます。やはり、ハンナという女性は極めて直感を働かせる女性なのではないかと私には思えるのです。

■第2部第7章(p131-p137)
この章では、選別がハンナ個人によるものか看守達全員によるものかが争いが描かれています。おそらく、看守達全員の意思での選別なのですが、罪が問われるのを避けるために、他の看守達がハンナに罪を押し付けようと画策したのだと思います。さて、ここでのポイントはハンナが看守時代に朗読させていたことが判明したときに、裁判でハンナがとった行動です。

ハンナは振り返ってぼくを見た。彼女のまなざしはすぐにぼくの姿を見つけだした。それでぼくには、彼女がずっとぼくの存在に気づいていたことがわかった。彼女はぼくをただ見つめていた。何かを乞うたり、求めたり、確認したり約束する表情ではなかった。顔だけがそこにあった。(p136)

ここでハンナがミヒャエル以外にも朗読させていたことがわかりました。では、ミヒャエルも単にハンナに利用されただけでしょうか?ミヒャエルの場合、ハンナとミヒャエルが愛し合った後に朗読が始まりましたので、朗読させるのが目的だったわけではないのかもしれません。が、しかし、それもミヒャエルに朗読させるためのハンナの策略だったのかもしれません。ミヒャエルとの朗読の場合、ハンナはミヒャエルと朗読された物語の内容について話し合いました。そこでは二人の心の空間を築いたのではないでしょうか。そこには二人の間に確かな結びつきがあり、愛があったと思います。確かに朗読のためにミヒャエルを利用したことを否定できない面もあるかもしれません。でも、収容所での朗読と違って、ミヒャエルとの朗読は、内面についてお互いに語ることでハンナの心の奥深くまで二人一緒にダイブしたのだと思います。形はどうあれ、それは二人だけの特別な絆だったと思います。

なので、ここで、ハンナがミヒャエルを振り返って確認したかったのは、ミヒャエルとの朗読と看守時代との朗読を、ミヒャエルは同じに捉えているのか、それとも、それとは別の二人だけの愛の絆として捉えているのかを確認したかったのではないでしょうか?もし、前者であれば、ミヒャエルはハンナに利用されたと考え、あの愛の日々もウソだったと思うかもしれません。そうなれば、ミヒャエルのハンナへの愛は瓦解してしまいます。ハンナはそれを恐れたのではないでしょうか?ミヒャエルの愛が失われることを。だから、ミヒャエルがハンナの過去の朗読をどう受け取ったかをハンナは振り返って確認したかったのだと思います。「違うの!看守時代の朗読と違って、あなたとの朗読には愛があったの!」本当はハンナは懇願するようにそう叫びたかったのではないでしょうか?でも、「顔だけがそこにあった」というように、そんな素振りを微塵も見せないところが、ハンナの性格なんだと思います。自分が正しいのであれば、誰に懇願する必要もない、ハンナはそう考えたのではないでしょうか。

■第2部第8章~9章(p137-p150)
この章では、燃える教会に囚人たちが閉じ込めらて見殺しされた話の回想と、見殺しにした責任者は誰かを追及する話です。閉じ込められた囚人で助かった母娘は助かろうとしたわけではなく、燃えさかる炎に近いにもかかわらず、ただパニックの集団から離れたかったがためだけに二階に逃げただけだでした。皮肉にも、そのおかげで母娘は助かったのでした。私にはどこか歴史の皮肉を感じさせられます。

さて、ここでのポイントは2つです。1つはハンナとハンナ以外の看守たちの違いです。裁判長の「どうして扉を開けてやらなかったんですか?」という質問に対して看守たちは、自分は負傷していたとかショック状態だったとか言って、自分たちに不利にならないように責任逃れをしていることです。それに対して、ハンナだけはそのときの状況を正直に説明して、もし、仮に扉を開けていたら、囚人たちが逃亡するだろうし、自分たち看守も見逃すわけにいかないので、互いに危険な状況に置かれてしまう。それでなくても、囚人たちは日を追うごとに死んでいっている。だから、ここで看守と囚人の双方が危険になるよりは…と自分たちの判断を正直に説明しています。確かにハンナたちの行いが倫理的に許されることではないのでしょうけど、しかし、裁判では正直な態度でなければ正しくは裁けないのではないでしょうか。

もう1つは、筆跡鑑定です。看守たちは報告書はハンナが書いたとウソをついて、責任をハンナに押し付けます。もちろん、ハンナは報告書はみんなで考えて書いたと本当のことを言います。意見が食い違うので、とうとう裁判長はハンナの筆跡鑑定をさせることにします。それを聞いたハンナは「自分が書いた」と認めてしまいます。もちろん、これは自分が文盲であることがバレるのを避けるためについたウソです。

さて、1つ目のポイントから、ハンナは非常に実直な性格であることが分かると思います。自分が助かりたいために自分が有利になるようにウソをつく、なんてことはしません。たとえ、自分に不利であっても、正直に自分の行いについて話します。ところが、2つ目のポイントでは、それがまったく違ってきます。1つ目のポイントで分かるようにハンナはウソが嫌いなはずです。しかも、文盲を隠すウソは自分にとって不利になるのに、です。つまり、そこまでしても、ウソをついてまでもハンナが守りたかったのが文盲という秘密です。しかし、文盲が「恥ずかしい」という浅はかな気持ちでウソをつくような女性ではハンナはないと思うのです。もっと大切なものを守るためにハンナは命がけでウソをついたのではないでしょうか?そして、ハンナが守ろうとしたものこそ、ハンナのミヒャエルへの愛なのではないでしょうか?

ハンナは以下のように考えたのではないでしょうか。「もし、自分が文盲だとバレてしまえば、ミヒャエルはハンナと心が通じていたと思っていたのが、実はそうではなかったと思われてしまう」とハンナは考えたのではないでしょうか。どういうことかというと、市電の事件(第1部第10章)を思い出して下さい。ミヒャエルはハンナとイチャつくためにわざと二両目の車両に乗りました。しかし、ハンナはミヒャエルのその意図にはまったく思い至りませんでした。逆にミヒャエルが無視したとハンナは勘違いしたくらいです。後になってミヒャエルから教えられて初めてハンナはミヒャエルの意図に気付いたくらいでした。つまり、ミヒャエルが思っているほど、「自分がミヒャエルの心に通じていない」とハンナは思ったのではないでしょうか。そして、それは「自分が文盲であることに原因がある」とハンナは考えたのではないでしょうか。すなわち、「文盲であることは同じ人間でも心の通じる度合いが違う。普通の人よりも文盲は心の通じが悪い」とハンナは思ったのではないでしょうか。文字が読める私たちからすれば、「そんなバカな!」と思うでしょう。文字が読めようが読めまいが、人間の心の通じる度合いに違いはないと分かると思います。しかし、悲しいことに、文盲であるハンナにはそれが分からなかったのではないでしょうか…。

さらに、第1部第12章で父の哲学書をミヒャエルが読んだとき、ハンナはチンプンカンプンでまったく意味が分かりませんでした。しかし、本を読んだミヒャエルはきっと意味が分かったに違いないとハンナは一層勘違いしたのではないでしょうか。いえ、そこまで行かなくても、一般論として、ハンナには分からないが、ミヒャエルには分かる心の領域があると、ハンナはミヒャエルと自分の違いを考えたのではないでしょうか。つまり、極端に言えば、「同じ人間でも、文盲である人は文字が読める人の心が理解できない」と勘違いしたのではないでしょうか。しかも、それは人を愛することでも違ってくると考えたのではないでしょうか。ハンナがいくらミヒャエルを深く愛しているつもりでも、ミヒャエルから見れば、「ハンナは文盲なので、ミヒャエルがハンナを愛するのと同じ程度には、ハンナはミヒャエルを愛することはできない」、そうミヒャエルが考えるのではないかとハンナは恐れたのではないでしょうか。そこまで極端に考えないかもしれませんが、少なくともハンナの愛をミヒャエルに疑れるかもしれないと考えたのかもしれません。「愛しているのに、その人から自分の愛が疑われるかもしれない」、あるいは、「もしかしたら本当に文盲の自分の愛は大して深くないのかもしれない」としたら、どんなに悲しいことでしょう。しかし、だからといって、文字を読めないハンナには、実際にどんなに深くミヒャエルを愛していたとしても、その愛する想いをミヒャエルに伝える方法は自分にはないと考えたのではないでしょうか。なぜなら、ハンナはずっと文盲をミヒャエルに偽ってきたわけですし、言葉で想いを伝えようにもハンナは言葉が上手ではありません。あるいは、若いときならセックスで自分の愛の深さを伝えたかもしれませんが、今となっては年齢も重ねて年老いており、しかも二人の距離も被告席と傍聴席で遠く離れています。もし、ここでミヒャエルの愛を失ってしまったとしたら、ハンナは永久にミヒャエルの愛を取り戻す方法はないと考えたと思います。そして、ハンナが一番恐れたのは、昔の愛までもすべて偽りの愛として、ミヒャエルの心で否定されてしまうと考えたのではないでしょうか。

さて、まとめると、「文盲は他人と心が通じる度合いが低く、文盲がバレることは、ミヒャエルヘの自分の愛が疑われることであり、しかも疑いを晴らすことが自分にはできない」とハンナは考えた。しかし、そうならないようにするためには、結局、「文盲であることを隠すしか他に方法はない」と考えて、ハンナは裁判でずっと文盲を隠し続けた。したがって、裁判でハンナが文盲を隠した理由は、ミヒャエルに愛を疑われないようにするためであり、ミヒャエルとの愛を守るためだったと思います。ここには文字が読めないことに起因するハンナの悲しい思い違いがあると思います。(ただし、後に刑務所で文字を覚えたハンナはその思い違いの呪縛から解放されたのだと思います。)

■第2部第10章(p150-p155)
この章では、ミヒャエルがハンナの文盲に気付く話です。ハンナの文盲に気付くことで、今までミヒャエルが理解できなかった一連の謎が氷解してゆきます。しかし、同時に、「なぜ、ハンナは文盲を隠すのか?」という新たな疑問が浮上してきます。そして、ミヒャエルはその理由を”恥”だと考えました。

ハンナの動機が秘密がばれることに対する恐れだったとしたらどうして、文盲であるという罪のない告白の代わりに、犯罪者であるという恐ろしい自白をしてしまったのだろうか?……彼女は単に愚かなのだろうか?そして、露顕するのを避けるために犯罪者になるほど、見栄っ張りで性悪なのだろうか?(p153-p154)彼女には計算や策略はなかった。自分が裁きを受けることには同意していたが、ただそのうえ文盲のことまで露顕するのは望んでいなかったのだ。彼女は自分の利益を追求したのではなく、自分にとっての真実と正義のために闘ったのだ。彼女はいつもちょっぴり自分を偽っていたし、完全に率直でもなく、自分を出そうともしなかったから、それはみすぼらしい真実であり、みすぼらしい正義ではあるのだが、それでも彼女自身の真実と正義であり、その闘いは彼女の闘いだった。(p154)

この章でのミヒャエルの分析は非常に的確で理路整然としています。確かに、市電の事件では、彼女は自分を偽っていました。「ミヒャエルに無視されても平気だ。ミヒャエルなどは自分にとって取るに足りない人間に過ぎないのだ」とミヒャエルに思わせようと平気な自分を装っていました。あるいは、市電事件後の手紙もホテルのメモも文盲を隠すために偽っていました。ですから、「彼女はいつもちょっぴり自分を偽っていたし、完全に率直でもなく、自分を出そうともしなかった」という部分は確かにあったと思います。

しかし、ミヒャエルの見解がすべて正しいわけではないと思います。例えば、第1部第16章のプールサイドでのハンナとの邂逅です。あのプールサイドでの出会いはミヒャエルの見た幻だったのでしょうか?それとも確かにハンナはプールサイドには来たけれども、単に理由もなく去っていっただけなのでしょうか?ミヒャエルはハンナの失踪を振り返って次のように考えます。

ぼくは、自分が彼女を欺くような行動をとったので、彼女を追い出すことになってしまったのだ、と確信していたが、実際は彼女はただ市電の会社で文盲がばれるのを避けただけなのだ。もちろんぼくが彼女を追いだしたわけでないとわかっても、彼女を欺いた事実がそれで変わるわけではなかった。つまりぼくは有罪のままだった。(p155)

ミヒャエルは「たとえハンナにバレなくても、自分がハンナを欺いた事実に変わりはないので、自分には罪がある」と男らしく考えます。しかし、本当にハンナが失踪した原因はミヒャエルの行動と無関係だったのでしょうか?

それに、そもそも、今まで彼女が文盲を隠したのは、本当に「恥ずかしかった」のが理由でしょうか?

前章で書いたように、ハンナが裁判で文盲を隠した理由は、ミヒャエルの愛を失いたくなかったからだと思います。ですが、それ以前に、文盲がバレそうになると彼女はそれを隠すために転職していますし、ミヒャエルにもたびたびウソをついています。しかし、それは恥ずかしかったためではないように思えてなりません。生きるために働くためにハンナはウソをついてきたのかもしれませんが、それだけではなく、もっと根源的な問題で、ハンナにとって文盲がバレることは、世界との繋がりが断たれると感じられたのではないでしょうか?ミヒャエルに出会う前からハンナは文盲を隠してきましたが、その理由は以下のようなものではないでしょうか。

文盲を隠す彼女はとても孤独な人です。なぜなら、表面的には職場で人との繋がりを得ていますが、実際には彼女は他者としっかりとした関係を構築していないと感じていたのではないでしょうか?どういうことかというと、普通の人の場合は、文字が読めることで文章の意味を理解し社会の中で暗黙の了解を互いが共有するということが可能ですが、文盲のハンナにはそれが出来ていなかったと思います。それゆえに人の輪の中にあっても「偽りの信頼関係である」と自分では考えていたのではないでしょうか?彼女自身は文盲であるがゆえにそのことを自覚しています。しかし、彼女と関わりのある他者は彼女が文盲であることを知りません。文盲を知られた瞬間にハンナが暗黙知を共有していない他者として隔絶していることが露呈してしまいます。そうなったときの孤独感に対する恐怖や不安をハンナは抱えていたのではないでしょうか。つまり、天涯孤独なハンナにとって文盲がバレるということは、この世界との絆が完全に断たれてしまって本当に世界で一人ぼっちになってしまうという恐怖心があったのではないでしょうか。

まとめると、ハンナはこれまでの人生で孤独だったのですが、もし、文盲がバレてしまうと、さらに輪をかけて孤独になってしまうと彼女は恐れたのではないでしょうか。これ以上、世界から隔絶する孤独感に耐えられないと考えたから、ハンナは文盲を隠したのではないでしょうか。

■第2部第11章(p155-p160)
この章では、ハンナが「報告書は自分が書いた」と認めたことで、裁判がハンナにとって見事なまでに不利に動き出し、はじめこそハンナはそれに抵抗していたものの、仕舞には諦めて裁判に対しておざなりになってしまったことが描かれています。ハンナだけでなく、裁判に関わる人がうんざりしはじめます。ただし、ハンナの文盲に気付いたミヒャエルだけは違います。ミヒャエルの闘いはここから始まります。そして、この闘いは現実と言葉の闘いでもあり、行動するか、行動しないかの闘いでもあります。

ここでのポイントはミヒャエルの葛藤です。まず、ミヒャエルはハンナのために自分が何をしなければならないのかを次のように明確に気付いています。

何か行動するとすれば――可能性はただ一つだった。裁判長のところへ行き、ハンナが文盲であることを話す。他の被告人たちがでっち上げようとしているような主犯ではなかった、ということ。裁判のときの彼女の態度は特別な非常識さや洞察のなさ、厚かましさなどを示すものではなくて、起訴状や翻訳原稿を前もって読むことができなかったからだし、戦略・戦術を立てるセンスがないことに起因しているのだ、ということ。彼女が弁護に関してきわめて不利な扱いを受けていること。彼女は有罪かもしれないが、見かけほど重罪ではないということ。(p158)

実に完結にミヒャエルは自分が何をすべきかを理解しています。ところが、問題はハンナ本人が望んでいないこと、すなわち、文盲がバレるということを、ミヒャエルがバラして良いものかどうかでミヒャエルは悩みはじめます。ミヒャエルには、たとえ罪が重くなっても文盲を隠す理由が理解できません。そして、その理由を恥だと考えます。文盲がバレるのが恥ずかしいから、ハンナは文盲を隠すのだと、ミヒャエルは決めつけます。そして、それに対して、どう対処したらよいのか、ミヒャエルは悩みます…。

考えてごらん、被告が恥ずかしがっているということが問題なんだ。(p160)

確かに、裁判では「ハンナが文盲であるかどうか」が問題になるでしょう。しかし、ミヒャエルにとって問題は「ハンナが恥じている」ということが問題なのです。本人が命にかえても隠したいと思っている恥に対して、ミヒャエルはどう対処したらよいかが問題なのです。

■第2部第12章(p160-p167)
この章では、ハンナが文盲であることを裁判長に話すべき話さないべきかを、ミヒャエルが父に相談したときの対話が描かれています。ここでのポイントは、哲学者であり、父親でもある、ミヒャエルの父のとった行動です。父は、個人の自由と尊厳を尊重して、ハンナが恥じて隠していることを、ハンナを尊重してミヒャエル自身は暴露せずそのままにしておき、同時に、ハンナの目を開かせるためにハンナに会って話さなければならないと説きます。それに対して、ミヒャエルが、

「もしその人と話せないとしたらどうなの?」(p166)

と尋ねたとき、父は、

「わたしには君を助けられない」(p166)

と答えます。

たしかに、ミヒャエルの父が言うことは筋が通っていると思います。しかし、ここでは、言葉だけで行動には出ていません。つまり、「その人と話せない」のはなぜなのか?いや、無理にでもその人と話すようにミヒャエルに行動するように仕向けるべきではないのかと思います。哲学者は言葉で正しく考えることができるかもしれませんが、言葉以上に行動することが大切なのではないでしょうか。行動こそが現実を変えるのではないでしょうか。父はミヒャエルに行動することを促しませんでした。父はここで何も行動しないという選択をしたのでした。言葉のひとである哲学者の限界が象徴的に示されているように感じられます。

■第2部第13章(p167-p171)
この章では、事情聴取に裁判官が出張したため、裁判が2週間休廷したときの間のミヒャエルの様子が描かれています。ミヒャエルはこの間にハンナのことを想像します。ハンナが強制収容所で囚人たちを監視している様子を想像したり、あるいは、過去の二人の逢瀬の様子などを思い出したりします。ミヒャエルは次第にこの2つの光景が交錯して、精神的に混乱してゆきます。

一番ひどいのは夢の中で、厳しく支配的で残酷なハンナがぼくを興奮させるときだった。目覚めたぼくはあこがれと恥と憤りにかられ、自分が何者なのかと不安になった。(p169)
そして、ミヒャエルは強制収容所の光景がどれも本や映画のイメージであって、現実のものではないことに気づいてゆきます。ミヒャエルは実際に強制収容所を訪問することを決意します。ここでのポイントは、ミヒャエルが罪を犯したハンナを愛したことに苦悩することです。また、どうしても結びつかないハンナのイメージの矛盾にも苦しんでいることです。

■第2部第14章~16章(p171-p175)
この章では、強制収容所を訪れるために、ヒッチハイクするミヒャエルが描かれています。そして、ヒッチハイクで乗せてもらった車が実は強制収容所でユダヤ人を殺していた元ナチの将校でした。ここでのポイントは、彼のような裁かれない元ナチ将校がたくさんいるであろうことが1つ、もう1つは、実際に処刑に携わった人たちのたわいなさです。憎しみで殺したわけでなく、単に忠実に仕事をこなすという理由でユダヤ人を処刑し続けていたのでした。

君の言うとおり、戦争や憎しみの理由なんてなかった。……ユダヤ人は裸で長い列をつくって並ばされ、そのうちの何人かは溝の端に立っていて、後ろに銃を持った兵隊が立ち、彼らの首を狙って撃っていた。……彼はちょっと不機嫌そうに様子を見ている。彼には処刑のテンポが遅すぎるのかもしれない。しかし、彼の表情には、満足げな、それどころか楽しげなところも見て取れるんだ。とにもかくにも一日分の仕事をなし終え、もうすぐ勤務明けになるからだろうか。彼はユダヤ人を憎んじゃいない。(p173-p175)

(このエピソードは、ハンナ・アーレントの「アイヒマン」の悪の陳腐さをモチーフにしているのかもしれません。)

■第2部第15章(p176-p181)
この章では、再び、強制収容所へ訪問したエピソードが描かれています。ここでのポイントは3つあります。1つは強制収容所はすでに過去のものとなり、当時の面影、強制収容所のリアリティを訪問によって見つけることができなかったことです。

2つ目は、ヒッチハイクの途中で食事に立ち寄ったレストランでの出来事です。ミヒャエルは酔っ払いにからかわれている老人を救うために行動に出ます。しかし、行動の結果、予想外のトンチンカンな展開になります。このエピソードは行動には予測不可能なところがあることを表しているのだと思います。

3つ目はミヒャエルの気持ちの変化です。ミヒャエルはハンナを理解したいと同時に裁きたいと思います。しかし、そのどちらもうまく行かない自分にも気づきます。

ぼくはハンナの犯罪を理解すると同時に裁きたいと思った。……世間がやるようにそれを裁こうとすると、彼女を理解する余地は残っていなかった。でもぼくはハンナを理解したいと思ったのだ。彼女を理解しなければ再び裏切ることになるのだった。ぼくは両方を自分に課そうとした。理解と裁きと。でも、両方ともうまくいかなかった。(p180-p181)

ミヒャエルは裁判では表れないプライベートのハンナを知っています。ミヒャエルは、かつて愛したハンナが元ナチの罪びとであるという事実にどうしても結びつかなかったのだと思います。

■第2部第16章(p181-p184)
この章では、葛藤を抱えたまま、ミヒャエルが大学のゼミにかこつけて裁判長に会う場面が描かれています。もちろん、本当の目的はハンナの文盲を裁判長に話すためです。 しかし、ミヒャエルはどうしたわけか、怖気づいたのかもしれませんが、結局、ハンナの文盲の話をせずに、裁判長との面会を終えてしまいます。ここでは、「何もしなかった」という行動の前後の際立った変化が描かれています。裁判長に面会する前は、

ぼくは彼女に関わらないわけにはいかなかった、何らかの影響を与えずにいられなかった、直接にでなければ、間接的にでも。(p182) 

と考えていましたが、何もせずに面会を終えた後は、

ぼくはもう彼女に関わる必要も感じなかった。……それを喜んだというのは言い過ぎだろう。でも、それでよかったんだ、と感じた。そうすることで、ぼくはまた日常生活に戻っていける、これからも生きていける、と思った。(p184)

とミヒャエルの心境は180度変化してしまいました。

ミヒャエルの心境は分からなくもないのですが、そういうことでは良くないと思います。ミヒャエルのように「何も行動しない」ことは、取り返しのつかない不幸を招くものだと思います。

■第2部第17章(p185-p187)
この章では、ハンナの判決が描かれています。

ここでのポイントは2つあります。1つはハンナの服装です。判決の日、ハンナは親衛隊の制服に似た服装で法廷に現れました。その意味することは何でしょうか?ハンナの気持ちとしては、①罪を背負おうとして、あえてそのような親衛隊に似た服を着たのかもしれませんし、あるいは、②親衛隊の服装に似ているとは気付かずに、単に厳粛な裁判に気持ちを引き締めるためにそのような引き締まったフォーマルな服を着たのかもしれません。あるいは、③単なる偶然だったのかもしれません。そして、怒る傍聴人たちが考えるように④法廷も判決も判決を聞きにきた人たちのすべてを、裁判のすべてを侮辱するためだったのかもしれません。私自身は④の可能性はなく、②もしくは①ではないかと思います。いずれにしろ、テキストに示されている文章だけでは判断できないと思います。それこそ読者の印象によっていずれにも捉えられることだと思います。そして、この裁判の傍聴人としては④と捉えるのがごく自然な捉え方なのかもしれません。しかし、ハンナの気性を知っている者なら、そうではないと考えるのではないでしょうか。ハンナには裁判に対する不満はあったとは思いますが、そのような服装による意思表示はしないと思うからです。

さて、もう1つのポイントはハンナの表情です。

彼女はまっすぐ前を向き、何もかも突き抜けるような目をしていた。高慢な、傷ついた、敗北し、限りなく疲れたまなざし。それは、誰も何も見ようとしない目だった。(p187)

彼女は敗北者なのでしょうか。それとも孤高のひとなのでしょうか。これだけでは、いずれかであるか、あるいは、その両方であるのか、分からないと思います。ただ、ハンナは泣き崩れるような人ではありませんでした。

■第2部まとめ
第2部はおおまかに前半と後半の2つのパートに分けられます。前半はハンナの裁判の様子が描かれています。ハンナの2つの罪状が明らかとなり、ハンナは実直に答えるのですが、かえって他の看守たちの反発を招きます。加えて、ハンナが文盲を隠したがために、ハンナの罪が重くなるという皮肉な結果になっています。後半はミヒャエルの葛藤の様子が描かれています。ミヒャエルはハンナが文盲であることに気付き、裁判長にそれを話すべきか話さないでおくべきか迷います。ミヒャエルは父に相談したり、収容所を訪問したりしますが、結局は裁判長に話すことができずに終わってしまいます。

第2部の問題点は2つあります。1つは「なぜ、このようなズレが生じたのか?」という問題です。ズレとは、事件の真相と裁判での認識のズレであり、後半のミヒャエルの葛藤に見られる現実と言葉が作り出す認識のズレです。確かにハンナが文盲を隠したことが大きく影響してはいます。しかし、それだけがこのズレの原因ではないと思います。このズレが生じた原因は、抽象的に言えば、鍵概念でも述べた現実と言語の関係に起因する問題です。言葉は現実を一面的にしか捉えられないために実際の現実とズレが生じてしまうのです。さらに、付け加えていうと、現実を変えるのは言葉ではなく、行動こそが現実を変える手段であったのですが、ミヒャエルは行動を起こすことができませんでした。

次に、もう1つの問題ですが、「なぜ、ハンナは文盲を隠したのか?」という問題です。確かに、これまでずっとハンナが文盲を隠してきたのは事実です。しかし、これまで、再三、見てきたように「恥ずかしい」という理由で隠したというには根拠が乏しいと思います。ミヒャエルは「恥ずかしいから」というのを隠した理由だと考えましたが、それは間違いだと思います。ハンナは恥なんかよりももっと大切なものを守るために隠したのだと私は思います。つまり、世界との絆を失いたくないために、そして、ミヒャエルの愛を失いたくないために、ミヒャエルへのハンナの愛を疑われたくないために、ハンナは文盲を隠したのだと思います。

さて、この第2部でも、ハンナの直感の片鱗は見えたものの、ハンナの直感が果たして本当なのかどうなのかを確認することはできませんでした。第2部第6章だけでは、直感だとまだ断定できないと思います。ハンナの直感の真偽については第3部に続きます。