■はじめに
女優ケイト・ウィンスレットの人と作品について、書いてみようと思います。
なお、作品については完全ネタバレで書きますので、ご注意・ご了承下さい。
■「ケイト・ウィンスレット 人と作品」シリーズの全体構成について
はじめに、「ケイト・ウィンスレット 人と作品」シリーズの全体構成を話しておきます。このシリーズは「その1」から「その8」までの8つの記事で構成するつもりです。
まず、「その1」では①ウィンスレットの女優として優れた点(=問題提起)と②ウィンスレット本人の人となりについて書きます。次に「その2」から「その7」まではウィンスレットが出演した映画の作品論を書きます。そして、最後の「その8」では、「その1」で述べたウィンスレットの優れた点の背後にあるウィンスレットの特徴について、「その2」から「その7」までを踏まえて私なりの考えを書こうと思っています。
ただし、「その2」から「その7」までを踏まえるとは言うものの、それは作品そのものを踏まえるのであって、「その2」から「その7」までの作品論の記事を踏まえるという意味ではありません。つまり、各作品論から論理的に「その8」が導かれるという工程にはならないと思います。「その2」から「その7」までは、どちらかと言えば、個別の作品論にとどまると思います。では、なぜ、「その2」から「その7」までが必要なのかと問われるかもしれません。これはなんて言いえばいいか、作品を身体で喩えると、極端に言えば、作品論は骨で、作品論で取り上げられなかった作品の部分は肉になります。作品論で骨格を浮かび上がらせることによって、逆に肉の部分も明確に浮かび上がってくると思います。そして、肉の部分が浮かび上がってくると、そこには骨にはない肉の部分のみが持つ生きた熱気が伝わってくると思います。私はこの熱気をこそ「その8」でつかみ出したいと思っています。ですので、とにもかくにも、映画そのものを鑑賞して下さい。映画を鑑賞せずに作品論だけを読んだだけでは、肉の部分は分からないと思います。そして、肉の部分が分からなければ、熱気について書いた「その8」もまったく意味不明になってしまいます。確かに、今となってはこのシリーズで取り上げた作品は「タイタニック」を除いては鑑賞するのが難しいかもしれませんが、読者の皆様には、とりもなおさず、まず映画を鑑賞して下さいますようお願いします。
■問題提起 -変身の秘密-
■問題提起 -変身の秘密-
では、私が考えているウィンスレットの女優として優れた点を挙げます。それは主に次の3点だと考えています。1つ目は、言うまでもなく、(1)「演技力」です。2つ目は(2)「意味の把握力」です。3つ目は(3)「衝撃的な演出力」です。次にそれぞれについて簡単に説明しておきます。
(1)の「演技力」はさらに次の3つに分解できると思います。1つ目は演じる人物の感情などを正確に表現できることです。2つ目は「深い悲しみ」など心の位置を深く遠くまで動かせることです。つまり、深い表現ができています。3つ目は演じる人物になりきることです。人物になりきるといってもコピーではなく、その人物が生きた人物、リアリティのある人間として動き出させることができます。つまり、人物を人間全体として表現できていると思います。
次に、2つ目の優れた点の(2)「意味の把握力」ですが、ウィンスレットは自分の演じる人物がどういった心理でそのような行動や感情になるのかをよく把握しています。これは(1)の正確に演じることに通じます。演じる人物の気持ちを正確に把握しているからこそ、その人物を正確に演じられるのです。また、この「意味の把握力」が、彼女が出演しようとする作品の選択にも生かされていると思います。脚本を読んで作品の意味を見抜く力があるから、良い作品を選べるのだと思います。ただし、意味の把握力と把握したことを細かく言葉で説明できることとは少し違うと思います。あくまで把握であって説明ではないと思います。
それから、3つ目の優れた点「衝撃的な演出力」ですが、これはウィンスレット自身によるものなのか、それとも映画監督・演出家によるものなのかが不明確なので、ちょっとウィンスレットの優れている点に含めて良いものか迷っています。しかし、彼女の一連の出演作品を見ていると、監督は違えども非常に衝撃的な演出が多いです。ウィンスレットがあえてそういった衝撃的な演出・表現がある映画を引き受けているのかもしれませんが、これだけ多いとウィンスレット自身による演出表現の可能性が高いと思います。
以上をまとめておくと、私の考えるウィンスレットの優れた点は下記のような感じです。
(1)演技力 ①表現の正確さ ②深い表現ができる ③人物全体が表現できる
(2)意味の把握力
(3)衝撃的な演出力
これを読むと「なんだ?俳優にとって当たり前のことじゃないか?」と思われるかもしれません。俳優にとっては身につけていて当然の基本的な事柄かもしれませが、実はこれがウィンスレットが特異なまでに優れている点だと私は思っています。これについてはウィンスレットの作品を鑑賞していただくのが一番良いと思います。彼女の作品を見れば、上記したようなことを彼女が如何に見事にやってのけているかを理解していただけると思います。映画を鑑賞して、その物語の意味するところがつかめたら、そこから逆算的にウィンスレットの優れた点が浮かび上がってくると思います。物語の意味をつかむのが大変かもしれませんが、私の作品論が多少なりともその補助になれば幸いです。
そして、ここからが問題です。このようなウィンスレットの優れた点は何に起因するのでしょうか?彼女はどうやってこのような演技が生み出しているのでしょうか?これからこのシリーズを読むにあたって、読者の皆様にはこういった疑問(=問題意識)を少しでいいので持っていただけたらと思います。このような問題意識をほんの少し頭の片隅において、このシリーズを読んでいただけたらと思います。この疑問については、このシリーズの最後にまとめようと思います。そして、そこでウィンスレットの”変身の秘密”に迫ってみたいと思います。
とはいえ、そんなに堅苦しい話は抜きにして気楽に映画を見てください。私の記事もどちらかというと、ウィンスレットの一ファンとして、単に彼女の映画が好きだということを自分の言い方で言いたいだけなのです(笑)。まあ、何事も大げさにしてしまうサガなんでしょう。
それでは、ウィンスレットの人と作品について書いてゆこうと思います。今回の記事では、ウィンスレットのおおよその人となりを書きます。次回以降の記事では、ウィンスレットが出演している作品の作品解説を書いてゆきます。
■ケイト・ウィンスレットの略歴
ケイト・ウィンスレットは、英国のイングランド南部のバークシャー州はレディングという街の出身です。
祖父母・父母・姉妹も俳優の演劇一家で育ちます。両親は俳優学校を経営しています。
1975年生まれで、8歳の頃に女優を志し、11歳から16歳までレッドルーフ演劇学校で学びます。
1991年にTVドラマ「ダーク・シーズン」でデビューし、「ゲットバック」などにも出演します。
1994年にピーター・ジャクソン監督の「乙女の祈り」で映画デビューします。
1997年に公開された「タイタニック」で一躍に有名になります。
1998年に助監督のジム・スレアプレトンと結婚し、2000年に長女を出産しますが、2001年に離婚します。
2003年にサム・メンデス監督と再婚して、同年、長男を出産します。
2009年に「愛を読むひと」でアカデミー賞主演女優賞を獲得します。
■ウィンスレットの人種について
英国は古くはケルト人、ローマ支配下の時代にはローマ人が、中世にはサクソン人(=ゲルマン人)が流入しています。また、部分的に北欧のデーン人の支配下にあった時代もあったそうです。英国は極西にあって大陸から様々な民族が入り混じったので、何人なのかを特定することは難しいのでしょう。そういった点では、極東にある日本と似ています。ちなみに、ウィンスレットは、髪はブロンドで、虹彩は綺麗なアイスグレーです。普通に考えれば、ウィンスレットはアングロ・サクソン人じゃないかなあと思います。ただ、映画『ホーリー・スモーク』でウィンスレットの全裸を見たとき、私はなぜだか「古代ケルト人だ!」と思ってしまいました。私は古代ケルト人なるものを知っているわけではないのですが、なぜかそう思ってしまいました。
■ウィンスレットの家族について
父母は舞台俳優で、姉・妹・弟の4人姉妹で、姉も妹も女優です。また、レディングの地元新聞の調べですが、土地台帳によればウィンスレットの祖先はパブリカン(=パブの亭主)だったそうです。また、ウィンスレットがアカデミー賞を欲しいと考えた理由のひとつに両親が俳優学校を経営していることもあるのではと私は思っています。
■初めて女優を目指した場所
ウィンスレットによると、8歳の頃、テレビドラマを見た後のトイレの中で母親のことを考えていたときに、自分が女優になりたいということに気づいたそうです。「お母さんが女優になればどんなに素晴らしい女優になるだろう」と考えたとき、はたと「自分は女優になりたいんだ!」と気づいたそうです。また、ウィンスレットにとって、トイレはとても重要な空間だそうで、今までも閃きや決断などトイレが重要な役割を果たしてきたそうです(笑)。まるで、どこかの国の中小企業の社長さんみたいですし、”おばさんぽい”と言われるのも分かるような気がしますが、変な話ですが、同時にハリウッドやセレブに象徴される虚栄心に満ちた虚飾の世界に流されない彼女のリアリズムもそこにあるのでしょう。それに、彼女の演技は真にリアルな人間を描くことがテーマのひとつになっているのではないかと思います。ちなみに、彼女のオスカー像もトイレの中に飾ってあるんだそうです。
■ウィンスレットの家庭
ウィンスレットによると、彼女の家庭は裕福ではなかったそうで、服は姉のお下がりで、お小遣いもとても少なかったそうです。ただし、お小遣いの件は父親のコメントによると「うん?それが普通だよ」とのことです(笑)。どこの国でもお小遣い事情は似たような話みたいですね。夏には、家族でオンボロの中古車に乗って、よく海水浴に行ったそうです。父親は俳優の仕事がないときはトラックの運転手やクリスマスツリーの配達人などの様々な仕事をしてきたそうですが、船で事故に遭い、18時間に及ぶ手術をし、足に障害が残ったらしいです(?)。ウィンスレットはその時の障害者子弟の奨学金で演劇学校に通ったそうです。ただ、父親はアカデミー賞のレッドカーペットを家族と一緒に歩いていたので、そう重度の障害ではないんじゃないかなと思います。(←この件はちょっと不正確かもしれません。)
■発音の苦い思い出
ウィンスレットによると、演劇学校で先生との間でちょっとした事件があったそうです。ウィンスレットの英語の発音に出身の訛りがなく、きれいな発音だったそうなのですが、先生はそれをウィンスレットが出身を偽っており、そんな嘘をつくような不誠実な者には役は与えないと言ったそうです。これは当時のウィンスレットにはショックだったようです。ところで、英国の階級と英語の発音の関係など、どうも私にはよく分かりません。また、英国の教育制度も勉強不足で、いまひとつ分かりません。ウィンスレットは16歳で演劇学校を卒業しているようですが、日本の教育制度と比べると、物足りない気がします。あ、それから、ウィンスレットの英語の発音はかなり良いんじゃないでしょうか?英語のことなので私には正しく評価できませんが、聞いていてスカッとする気持ち良さがあると思います。また、私には違いが分かりませんが、また役者なら当たり前なのかもしれませんが、役によって、英語の訛りも簡単に変えるそうです。個人的な推測ですが、英国人はみなそれなりに言葉に対して思い入れはあるとは思いますが、ウィンスレットはそういうのとはまた少し違う意味で言葉に対する思い入れがあるような気がします。
■演劇学校時代のあだ名
また、生徒時代は”Blubber”(=脂肪)とあだ名されてイジメられて、よく泣いていたそうです。ただし、学校側はイジメは無かったとコメントしています。ウィンスレット自身も当時はとても太っていたと述懐しています。「顔はともかく体型がねぇ」とよく言われたそうです。ただ、ウィンスレット自身は自分の顔を美人だと思ったことは一度もないそうです。ドラマ「ダーク・シーズン」を見ると、確かに横に安定感のある将棋の駒のような体型です。今と比べると着ぐるみを着ているんじゃないかというくらい身体が大きいです。縦と横の長さの比が今と全然違います。まさにウィンスレットにとってこの頃は”ダーク・シーズン”だったのでしょう。とはいえ、今現在が痩せすぎで、本来はこの頃くらいの体型が彼女にとっての健康的な体型じゃないかと思います。ただ、体型については、この後も長い間に渡ってウィンスレットに付きまとう問題になってゆきます。ウィンスレットのあだ名は普通は”イングリッシュ・ローズ”ですが、別のあだ名があって、それは、”コンバット・ケイト”というあだ名です。それというのも、ウィンスレットは体型のことでマスコミなど周囲と闘ってきたからです。ウィンスレットと体型については改めて別記します。
参考動画: ”Dark Season ep1-3 ”
■ドラマ「ダークシーズン」の頃
ところで、TVドラマ「ダーク・シーズン」ですが、ウィンスレットはまだまだ10代の子供といった感じです。体型も大きなお尻で、ちょっとしたお相撲さんといった感じです。ウィンスレットが演じている少女レートはヨーヨーを愛好していて、ドラマの中でも度々ヨーヨーで遊んでいるのですが、けっこう失敗しています。「そんなに失敗ばかりしていたら、NGじゃないの?」と思うくらいに。もしかしたら、ヨーヨーが下手というキャラ設定なのでしょうか?ケイトはヨーヨーはあまり上手ではなさそうです。ともかく、この頃のウィンスレットはどこにでもいる普通の子供と特に変わった様子はないと思います。ちなみに、サングラスのお兄さんがトレンドレだと思います。
■恋人トレンドレのこと
ウィンスレットはドラマ「ダーク・シーズン」で共演した俳優で脚本家のステファン・トレンドレと恋人関係になります。ステファン・トレンドレは1963年生れでウィンスレットより12歳年上で1990年から1995年頃まで付き合っていたそうです。ネットによるとウィンスレットは15歳くらいから彼と同棲していたようです。しかし、その後二人は破局しますが、ちょうどその頃、彼は癌を発病します。ウィンスレットは破局後も彼の看病をしていましたが、「タイタニック」の出演が決まり、彼が看病よりも「タイタニック」の出演を優先しろということで、ウィンスレットは「タイタニック」の撮影に行きます。しかし、トレンドレの病気は悪化して1997年12月に34歳という若さで他界してしまいます。そのとき、ウィンスレットには「タイタニック」のL.Aプレミアがあったのですが、そちらは欠席してトレンドレの葬儀に参列しています。後にウィンスレットも当時はあまりのショックで頭の中が混乱していたと述懐しています。そして、あのとき、トレンドレが「タイタニックに行くな」と言ってくれれば、十分に付き添って、彼を満足に送ってあげられたのにと悔やむ気持ちがあり、今でもそのことを想うと胸が痛むそうです。
■恋愛遍歴
ウィンスレットは「ハムレット」で共演したルーファス・シーウェルとも1995年から1996年の間、付き合っていたようです。彼とは「ホリデイ」(2006年)で再び共演しますが、そのときの彼の役どころは、二股をかけてウィンスレットを振り回す上司役でした。映画の中で最後に彼はウィンスレットに思いっきり振られてしまいます。元恋人同士で恋人役を共演するのって、どんな気持ちなんでしょうね(笑)。ところで、生徒時代のウィンスレットは、「ゴースト/ニューヨークの幻」で有名なパトリック・スウェイジの大ファンだったそうです。また、「タイタニック」の次の出演作品「グッバイ・モロッコ」(原題「Hideous Kinky」1998年公開)で出会った助監督ジム・スレアプレトンと意気投合して結婚します。その後、スレアプレトンとは2001年に破局しますが、2003年にサム・メンデス監督と再婚します。こうやって見てみると、15歳からほぼ途切れることなく、ウィンスレットは誰かしらと何らかの恋愛関係にあったと思います。ただ、彼女は恋多き女性という感じではなく、パートナーがいるということが生活の一部だったんじゃないだろうかと個人的には思います。
■タイタニックの実感
ウィンスレットによると、「「タイタニック」が世界中の人々に見られたんだな」と自分で実感したのは、ヒマラヤ付近を旅行中に地元の老人から「あんた、タイタニックに出てた人じゃろ」と言われたときだそうです。ちなみに、ヒマラヤ旅行って「ホーリー・スモーク」のインド・ロケのときかもしれませんね。ともかく、「タイタニック」によって生活は一変したそうで、パパラッチされるようになったそうです。
■離婚について
スレプレトンとの離婚については、夫と妻の経済的な不釣合いが原因ではないかと言われていますが、本当のところは分かりません。ウィンスレット自身は「タイタニック」の大ヒットにも関わらず、特に姿勢は変わらなかったのではないかと思います。彼女のその後の出演作や映画に取り組む姿勢から「タイタニック」で彼女は変わらなかったと私は思います。むしろ、スレプレトンが変わったのかもしれません。当時のウィンスレットが述べた離婚理由は、確か「理に合わぬことをされたから」だったと思いますが、ちょっとこの記憶は確かではありません。今でもスレプレトンは娘さんと会うので、ウィンスレットとも互いに交流はあるようですし、サム・メンデスとも仲良くやっているようです。ちなみに、トレンドレと別れたときは「お互い、いろいろな面で若過ぎた」と言っていたように思います。
■夫サム・メンデス監督のひと言
サム・メンデス監督は元々は舞台演出家ですが、「アメリカン・ビューティ」でアカデミー賞監督賞を受賞した映画監督でもあります。彼は知的で良識のあるタイプの映画監督というイメージが私にはあります。良識があることが映画監督にとって適切かどうかは微妙だと思いますが、映画人としては優れた発言が多いと思います。ところで、彼は以前は女優のレイチェル・ワイズとも付き合っていたそうです。ウィンスレットと結婚後、あるとき、テレビに出ているレイチェル・ワイズを見て、「彼女は痩せて綺麗になったね」と言ったんだそうです。それを聞いたウィンスレットが「あまり深い意味はないとは思うんだけど…」と前置きしたうえで、「夫が昔の恋人のことを誉めるのは気になる」んだそうで、それがきっかけで痩せることを決意したそうです。ただし、痩せようと思った理由はそれだけではなくて、太いのが理由で役が自分に来ないことも、痩せようと思った理由のひとつではあるそうです。
■母親と妻
ちなみに、ウィンスレットは子煩悩な母親で、子供の送り迎えや家事などの育児と女優業を両立させる優等生ママだったそうですが、さすがにいつ終わるともしれない撮影と家事の両立は無理らしく、近年は家政婦を雇うことにしたそうです。ただ、以前から言っていましたが、子供たちが家庭の味を母親の料理ではなく家政婦の料理になってしまうのはなんとか避けたいそうです。また、映画「リトル・チルドレン」のインタビューの中で、ウィンスレット扮する主人公サラが児童への性犯罪歴を持つ男性に対して最後には優しく接したのですが、記者から「自分の子供が被害に会うようなことがあっても?」と聞かれたとき、ウィンスレットは「喜んで殺してあげるわ」と答えたそうです。ウィンスレットの場合は迷わず本当に実行すると思います。そのくらい、ウィンスレットの子供に対する愛情は強いと思います。
そんな子煩悩のウィンスレットですが、「子供達との食事も楽しいのだけれど…」と前置きした上で夫のサム・メンデスとウィンスレットの二人きりでの食事にたまには行くそうです。で、実際に出掛けても、おしゃべりに夢中で、結局、どこにも立ち寄らずにドライブだけして帰ってきたこともあったそうです。どちらも同じ映画業界で働いているので話しやすいのかもしれませんね。
また、現在は英国と米国に家を持って、行ったり来たりしてるそうですが、いずれは年老いた両親の面倒を見るために英国に帰る予定だそうです。ちなみに、ウィンスレットが以前に住んでいた家はグイネス・パルトロウが買い取ったそうで、最近は隣の家も買い足して豪邸にリフォームしているそうです。また、スレプレトンと結婚していたときはテムズ川の中にある島に家があったそうで、何年か前の大雨のとき島に閉じ込められたこともあったそうです。
ともかく、彼女は開けっぴろげな性格というわけではないのですが、他の俳優たちと比べて家族の話が多く、彼女の関心事の中で家族が占める割合がとても高いように思います。もちろん、映画に対する情熱も人一倍強く、まるで男のように映画に対する情熱を語ったりします。ウィンスレットにとって大事なものは、家族と映画なんだろうと思います。ウィンスレットは、子供たち、夫、両親、姉妹などの家族愛と映画への情熱の両方がとても強い女性だと思います。
■映画が好きな理由のひとつ
ウィンスレットによると、映画の仕事が好きな理由のひとつに撮影現場の雰囲気が好きなことが挙げられています。映画の撮影現場というのは戦争状態の軍隊に似ていると思います。そこでは集団がひとつの目的に向かって、それぞれの役割を精一杯に果たそうと努めます。映画の場合は良い作品を作るという目的のためです。そして、自己犠牲を厭わずに、皆がその場での最善を尽くします。そういった雰囲気が好きなのではないでしょうか。あの非常事態での一体感は緊張感と胸躍る楽しさがあるのでしょう。ウィンスレット自身、「愛を読むひと」の撮影現場について、次のように語っています。
面白いことに、映画作りって、毎日軍隊の訓練キャンプにいるようなものなの。
大変になることはわかっている。でもそれをすり抜けなくてはならないの。
ライフルを置いて座り込み、あきらめることはできない。前進しなくてはならない。
だからある意味、超人的になる必要があるわ。撮影はそういうものなの。前進あるのみ。
もちろん、疲れるわよ。わたしだけじゃなくて、みんな疲れている。
でも全員に一体感があるから、みんなが世話し合い、相手を気遣う。
この映画にはそれがあった。
だからこそわたしにとって特別な映画なの。全員が常に互いを気遣い合っていたから。
女神モリガンは戦争の女神といわれていますが、戦争にはこのような高揚感があるからではないでしょうか。ただ、好戦的なのかどうかは分かりません。ともかく、戦いに臨んで意気高揚する感覚が好きなんだろうと思います。もっとも、ウィンスレットもいざ戦いと判断したならば、炎のように燃え上がって獅子の咆哮の如き雄叫びを上げるようにも思います(笑)。他に実在の女性で女神モリガンのような闘いの女性としては、私は英国の古代ケルト人のイケニ族の女王ブーディカを連想してしまいます。
■体型の悩み
さて、ウィンスレットの一番の悩みは体型だったと思います。今では彼女の自宅には”ファッション雑誌は置いてはならぬもの”だそうです。なぜかというと、ファッション雑誌で賞賛されている細い体型は不自然極まりない体型であって自分はそのことで随分余計な無駄な悩みを抱えてしまったので、娘にはそういった無駄な悩みはしてほしくないとのことで、家には一切ファッション雑誌は置いていないそうです。
ところで、ウィンスレットは太い女優というイメージあるそうですが、私個人は太っているわけではなくて、体型が構造的に太くみえる体型じゃないだろうかと思います。確かに「ダーク・シーズン」の頃は自分でも認めているように太っていたと思います。しかし、それ以降痩せた後でも彼女が太いと言われてしまうのは、彼女の場合は構造的に太ってみえる体型だからだと思います。映画で彼女の体型を見ると、胴部がとても短いです。おそらく、胴が短い分、内臓が収まるスペースが狭いので、脂肪の有無に関係なく、ウェストが他の女性のようにくびれないのだと思います。確かに服を着ていると、一見、ウェストが少しはくびれているように見えますが、実はお尻から腰にかけて肉付きが良いため、腰と比較すると、腰の下からお尻にかけて太くなって、見た目、ウェストがくびれているように見えるのだと思います。実際にウィンスレットは他の女性ほどにウェストがくびれていないのではないかと思います。映画「ホーリー・スモーク」で全裸シーンがありますので、それを見るとそうじゃないかと思います。
ともかく、若い頃、ウィンスレットは体型でずいぶん悩んだそうです。やはり、女優としてやってゆくのにも体型は気になる問題だったのだと思います。そういったウィークポイントを挽回する意味で演技派女優として演技に磨きをかけたのかもしれません。初期の頃、おそらく、日本未公開ですが、映画2作目の「A Kid in King Arthur's Court」だと思いますが、彼女はかなり過激なダイエットをしたという話を聞いたことがあります。写真を見ると、首とかかなり細っそりしています。「ダーク・シーズン」と比べると、やはり激痩せしたと思います。ですが、その後の出演作からは比較的健康的な体型に戻っていったと思います。推測ですが、あまりに危険なダイエットは無理だと考えたのではないでしょうか?彼女は、その後、チャレンジングな役柄に続けて挑戦してゆきます。そして、モデルやハリウッド女優のような細い体型が標準的な美しい体型ともてはやされることは間違っているという結論に達したのだと思います。ハリウッドでもてはやされる体型に公然と否と言ったわけです。そこからウィンスレットの闘いが始まります。
ウィンスレットは自分の体型について、ゴシップ誌から不当な中傷をされると訴訟を起こしています。ちなみに起こした訴訟はすべて勝っており、慰謝料などは寄付に使われています。そのため、”コンバット・ケイト”というあだ名となったようです。ウィンスレットによると、30歳を越えたくらいから、体型に限らず何事にも、周囲の意見に惑わされなくなったそうです。たかが体型のことかもしれませんが、駆け出しの頃のウィンスレットはかなり深刻に悩んだのだと思います。そして、いつしか自分が正しいと思う普遍的な揺るぎない判断基準を自分の中に見つけたのだと思います。
体型のことに限らずに、ウィンスレットは「タイタニック」で得た名声に縛られたり惑わされたりすることなく、一個人の信念のようなもので自分が正しいと信じた道を歩んでいると思います。アカデミー賞を受賞した後の「愛を読むひと」の日本向けインタビューの中で「アカデミー賞は嬉しいことだけど、自分の中の個人の目標はまた別で、それは人から認めてもらう類のものではない。そういった個人的に達成したいことがまだまだある」と言っています。一見、人によっては格好をつけていると思われるかもしれませんが、虚栄心のないウィンスレットの性格からすると、おそらく、正直な気持ちなのだと思います。彼女の中には、お金や名誉ではない、何らかの手ごたえのある、生きた価値基準があるのだと思います。
■ウィンスレットのモチベーション
さて、ウィンスレットの演じることや映画に対するモチベーションの高さ、映画への情熱はどこから来るのでしょうか?正直なところ、彼女のモチベーションの源泉が何なのかは分かりません。彼女は比較的若い頃から俳優の仕事をしており、とにかく目の前の仕事をこなしてきただけなのかもしれません。そういった現場の中で自然と培われたのかもしれません。また、両親も祖父母も姉妹も俳優という俳優一家で育っているので、家庭環境から自然と俳優であることに対するモチベーションが高くなったのかもしれません。あるいは、経済的な理由かもしれません。彼女はインタビューの中でも自分の家庭が裕福ではなかったことや自分のことを労働者階級だと言ったりしています。あるいは、ウィンスレットは「自分には舞台や映画などで演じるときの恐怖感・緊張感が必要だ」とも言っています。舞台俳優によく見られる現象で、舞台の緊張感に生の充実を実感できることをいっているのだと思います。そういった役者の本能的な感覚もウィンスレットが映画に打ち込むモチベーションのひとつかもしません。とはいえ、何が彼女にとって演じることの最大のモチベーションなのかは分かりません。
■ウィンスレットのウソ
ウィンスレットはあまりウソをつかない女性です。反語的な事例ですが、ゴシップ誌で「ウィンスレットもついにハリウッドのウソにまみれた世界の住人になってしまったか?!」という記事が出たことがあります。これは逆に言うと、ウィンスレットはそれまではウソをつかない女優だっということの証明でもあると思います。もっともウィンスレットがまったくウソをつかない女性かというと、そうではなくて、「いつか晴れた日に」を監督したアン・リー監督は当時ウィンスレットはマリアンヌ役を取るために本当は19歳なのに21歳と偽っていたと証言しています。姉のエレノア役がエマ・トンプソンだったので、あまり年齢が離れすぎると良くないと思ったのでしょう。まあ、若い俳優がなんとしても役を取るために罪の無いウソをつく面白い事例だと思います。それよりもウィンスレットがウソをつかいないというのは自分の虚栄心を満足させるためにウソをつくといった意味でのウソで、そういうウソをウィンスレットはつきません。体型に関する事柄もそのひとつです。ウィンスレットは自分が正しいと思ったことは、たとえ誰がなんと言おうと、たとえ自分ひとりであっても、自分が正しいと確信しているのであれば自分を曲げてしまうことはない女性なのだと思います。
■まとめ
ウィンスレットの人となりについて、簡単にまとめてみます。
まず、ウィンスレットは家族愛が強い女性です。子供たち、夫、両親、姉妹をとても大切にしています。次に、映画への情熱も強いです。顔が綺麗なだけの飾りとしての女優ではなく、自分の考えを持ってしっかりと俳優業に取り組んでいると思います。(そのため、母親と俳優業の両立が大変そうです。まあ、世の働く母親は、皆、同様なのだと思います。ウィンスレットはどちらも手抜きしたくないのでしょうけど、とはいえ、現実はなかなか難しいのではないでしょうか。)
それから、恋愛遍歴も豊富です。15歳くらいから、ほとんど途切れることなく、何らかの恋愛状態にあったのではないでしょうか。ウィンスレットは一度に多数の恋人がいるというような恋多き女性というわけではありませんが、ともかく、若い頃は常に誰かひとりは恋人が不可欠だったのかもしれません。また、スレプレトンと離婚を経験していますが、それについても、ウィンスレットはインタビューで「人生でいろいろな経験をしてきた。結婚も経験したし、離婚も経験した」と臆することなく語っています。ウィンスレットは離婚を他人からは触れられたくない人生の傷と考えて、離婚の話題に触れられるのを恐れたり、離婚を隠したりするといったようなことはしていません。はじめからそうだったかどうかは分かりませんが、今現在は、彼女は結婚の失敗や離婚の苦痛を克服しているのだろうと思います。
人生の中でウィンスレットを最も悩ませた問題は体型問題だと思います。これについては、学校でいじめられたり、自分でもコンプレックスだったようで、若い頃は過激なダイエットもしたようです。しかし、いつからかは分かりませんが、細い体型を女性の体型の理想像とする考えに否定の立場をウィンスレットは取り始めます。実際にゴシップ誌と訴訟を起こしているので、ウィンスレットは自分が正しいというかなり強い確信を持っているのだと思います。とはいえ、女優の仕事を取るため、ダイエットするということもやっていますので、自身の理想と世間の現実の間で微妙な妥協をしています。ともかく、一見、体型の悩みなんてどうということはないように感じますが、ウィンスレットにとっては人生の中でも極めて大きな悩みだったのではないかと思います。そして、ウィンスレットはその悩みに対して自分の結論を出して、世間が何と言おうと、自身の信念に従って行動していると思います。(←微妙な妥協はありますが。)体型問題のことを言っているのかどうか分かりませんが、ウィンスレットは30歳を過ぎたくらいから、世間や他人の言うことに惑わされなくなったと言っています。何が言いたいかといいますと、ウィンスレットは自分の考えを持つ女性で、自分が納得したことでなければ、世間がどう言おうと流されないのだと思います。その一方で、仕事のためにダイエットするなど、ある程度、リアリストの面もあると思います。ともかく、ウィンスレットにとって体型問題が最大の悩みであり、それに対して自分の考えを見出して克服したのだと思います。
実はウィンスレットのこの姿勢は仕事に対する姿勢でも同じだと思います。彼女は自分の演じる役の意味を自分で理解して納得した上で演じているのだと思います。いや、まあ、俳優は、皆、そうだと言えばそうなんだと思いますが、特にウィンスレットは自分の中のリアリティと突き合せて、演じる役の心情を深く理解しようと努めているのではないかと思います。そして、自分で納得できないキャラクターの心情は演技しないんじゃないかと思います。まあ、俳優を使う監督の側からすれば、ウィンスレットは少々面倒くさい役者、扱いづらい役者かもしれません。でも、結果的には、ウィンスレットの出演作を見れば、ウィンスレットの演技は十二分に印象深い優れた演技になっていると思います。
さて、最後にウィンスレットの性格の特徴についてまとめます。ウィンスレットの性格の特徴ですが、ひと言で言えば、シンプルだと思います。言い換えれば、心に複雑なところや糸が絡まったような複合体(=コンプレックス)のようなものが少ないと思います。心を部屋で喩えると、ウィンスレットの心の部屋は、ゴチャゴチャと物を置いてあるような部屋ではなくて、物があまり置かれていないスッキリとした部屋だと思います。また、コンプレックスだけでなく、自分をよく見せようとするナルシズムや虚栄心などの飾りっ気もない部屋だと思います。彼女の心の部屋を覗いても、物が転がっていたり、物が散乱しているという感じではないと思います。当然、たまった汚れ物を整理せずに積み上げてあるといったこともないと思います。下手をすると、物が少ないのに小奇麗に整理されてあるので、殺風景なくらいかもしれません。また、その部屋で働く力、すなわち、彼女の望みもシンプルだと思います。極端に言えば、家族愛と映画愛という2つの力が働いているだけだと思います。(もちろん、望みではなく欲としては、食欲や性欲はあるとは思います。物欲は比較的少ないんじゃないだろうかと思います。)仮に心理学的に彼女の心を分析してみても、シンプル過ぎて、あまり引っ掛からないんじゃないかと思います。ある意味、癖のない性格といえるかもしれません。でも、シンプルなだけに反応も早いと思います。例えば、彼女を侮辱すれば、人一倍、素早く激しい怒りとなって返ってくるのではないかと思います。また、彼女はあけ透けな性格ではありませんが、他人に見られても困るようなものが彼女の心の部屋には少ないと思います。なので、ウソをつく必要性が少ないので、ウソも自然とつかず、正直だろうと思います。ごくたまに、あけ透けな人の中には自分の醜さや弱さに居直って、普通なら見られて困るものも平気で人目にさらす場合がありますが、ウィンスレットの場合はそれとは違うと思います。見られて困るものが少ないだけで、まったく無いわけではないと思います。何が言いたいかというと、デリカシーはあるだろうということです。デリカシーなどの感覚が無いのではなく、人一倍感覚は強く敏感だろうに、心の部屋が整理されているので、心をオープンにできるのだと思います。感覚が強いので正しさに対する信念や美意識のようなものが彼女にはあるのですが、心をオープンにできるので、それらを外にさらすことで、それらをさらに強く自然に鍛え上げているのだと思います。ですので、私はこの心のシンプルさがウィンスレットの人間としての強さの基底になっており、女優としての優秀さに繋がっていると思っています。
■追記
実は「序論」を書きあぐねています。いえ、半ば放棄しつつあります。「序論」は以前に誤操作で一時的に公開状態にしてしまったのでご覧になった方もいらっしゃるかもしれませんが、ややまとまりに欠けてしまっています。本編で書き漏らしていることを「序論」で補おうとしているためもあります。例えば、女神モリガンの話も「序論」で補足するつもりでいます。ですので、「序論」は最後に書き加えることにします。本当は「序論」なので本編の見通しができていれば最初に書けなければいけないんですけど…。