2006年10月31日

ユキオさん


ユキオさんは詩人・俳人です。

彼女は、その可愛らしい微笑みとは対照的な、クールで鋭い感性とハスキーボイスを持った詩人です。

彼女の初期の代表作には、「連続」や「うんこころころ」があります。

彼女の詩は、少女のようないたずら者と絶対零度なまでの透徹さと近代的性愛趣味から形成されているように思います。世間知らずなお子様や生半可な親父では心臓発作を起こしてしまいかねないような、心臓に突き刺さる言語表現で日常空間を切り裂きます。

思想的には、切れ味鋭いフェミニズムと独自のセクシャリティ論を持っておられます。

ユキオさんは、「第1回詩のボクシング岡山大会」のチャンピオンです。
Happy?Hippie!(現mimucus)や大朗読などの朗読会で時々朗読されています。

また、詩人仲間からは、ピーマン詩人の愛称を贈られています。

アルゼンチンタンゴ教室「CHE TANGO」 に通うタンゴダンサーでもあります。

また、最近は地元の俳句会に参加されたりしています。
都留市ふれあい全国俳句大会の第4回俳句ユニバーシアード部門 では、
正木ゆう子正賞・長谷川櫂准賞など5賞を一挙に受賞されました。

また、乙女による乙女のための期間限定喫茶「大正浪漫喫茶サッフォ」 をお友達と開催されたりしました。
そこではサッフォ作品集「花冠」を上梓されました。
'06年9月には、サッフォメンバーによる同人誌「BoB Vol.1」(ボブ)を発行しました。

このブログでは、「あなた虫」 、「揮発」 を掲載しています。

詳しくは、下記のホームサイトをご覧下さい。

2006年10月30日

薄田泣菫展


「薄田泣菫展」(吉備路文学館 )を鑑賞しました。


薄田泣菫 は岡山出身で明治・大正時代に詩人や随筆家として活躍した人物とのことでした。展覧会では、彼の作品や文人との交流を示す手紙などが展示されていました。

泣菫はとても交流の多い人で、文人たちと交わした多くの手紙などから当時の雰囲気を垣間見ることができました。

泣菫に限らず、当時の手紙などを見ると文語体のためか、礼節を重んじる儒教 的雰囲気を感じてしまいます。近代化して西洋文化を取り入れたといっても、どこかしら儒教的思考の働きを感じてしまいました。案外、自分自身、無意識に染み付いてしまっているのかもと思ったりしました。

さて、また、2Fでは「おかやま 平成の詩人展Ⅲ」が催されていました。

秋山基夫 先生をはじめ、岡山で活躍されている50人の詩人たちがその詩集と共に紹介されていました。また、それぞれ渡部伸氏の清々しい挿絵付きパネルで詩作品が展示されていました。

それにしても、泣菫って、どういった意味なのでしょうね。泣くスミレかしらん?

2006年10月29日

青地大輔写真展


「青地大輔写真展 "A place with water"」(テトラヘドロン )を鑑賞しました。

雨に濡れたアスファルト、弾む水飛沫、静止した運動。一見、ごくありふれた日常の風景の断片を切り取ったように見えます。しかし、写真展を先へと進んでゆくと、日常世界の先の先に、日常とは異なる世界が次第々々に見えてきます。そこは、水たちがまるで無重力のように躍る世界、水銀がふるふると表面を震わせて踊るマーキュリック・ダンスのような世界。そこには私たちとは異なる知性の働きが存在するかのように感じられます。

例えば、言語的知性は世界の中から記号Aを生成した瞬間、同時にA以外のその他を非Aとして排除・殺害してしまいます。言語的知性はどうしてもこの二元論的殺害からは逃れられないように思います。でも、この写真から感じられる知性はそういった二元論的殺害を伴わない、非暴力的な、静かな水のせせらぎのような、リキッドな知性を感じます。それは、とても純粋度の高い、清水のような、そんな水が交流し合う異次元な知性、深い充足と悠久の平和の時間を与える知性、まるでスタニスワフ・レム のソラリス の海のような人知をはるかに超えた知性を感じます。

そんな空想に想いを馳せるとき、次のような李白の詩が想起されたりします。

清渓 我が心を清くす
水色 諸水に異なれり
借問す 新安江
底を見る 何ぞ此の如くならん
人は行く明鏡の中
鳥は渡る屏風の裏
晩に向かって猩猩啼き
空しく遠遊の子を悲しましむ

李白 「清渓の行」より)

ほんの少しだけ、詩的言語によってのみソラリスのような超越的な知性に触れられる、そんな気がしたりします。 

2006年10月23日

mimucus 2006.10


「mimucus 2006.10」を鑑賞しました。

へい太さんは著作権や裸足会や詩ボク全国大会についてお話されました。詩と朗読とお笑いについて考えさせられました。著作権のお話にはドキドキしました。ユキオさんは俳句を詠まれました。俳句の解説がとても勉強になりました。郡さんは鳥の詩を朗読されました。「廃酒報国」が気になっているようでした。倉臼さんは牛の詩と教育の詩を朗読されました。とても気になる社会問題です。空太郎君はオコゼの相撲の詩を朗読されました。吉田戦車の世界のように感じました。岩本さんはイラク戦争の詩を朗読されました。この戦争の大義名分はどこにあったというのだろうか。みご先生は苺の詩を朗読されました。なるほど、母と苺。

朗読会後の歓談で倉臼さんと少しお話ができました。倉臼さんの創作方法のお話や詩誌への投稿のお話が聞けました。詩誌「詩人会議」に掲載されていた詩「ミルカー」を拝読させていただきました。詩評にも書かれていましたが、現場を知っている人ならではの搾乳のリアルな世界が描かれていて新鮮でした。倉臼さんとお話ししていると、倉臼さんの純朴な暖かい人柄が伝播して、いつの間にか自分も朗らかな暖かい気持ちになっていました。

何だかこのような暖かさが懐かしく、宮沢賢治の下記のようなお話の冒頭を思い出したりしてしまいました。

おかしなはがきが、ある土曜日の夕がた、一郎のうちにきました。

かねた一郎さま 九月十九日
あなたは、ごきげんよろしいほで、けっこです。
あした、めんどなさいばんしますから、おいで
んなさい。とびどぐもたないでくなさい。
山ねこ 拝

こんなのです。字はまるでへたで、墨(すみ)もがさがさして指につくくらいでした。
けれども一郎はうれしくてうれしくてたまりませんでした。
はがきをそっと学校のかばんにしまって、うちじゅうとんだりはねたりしました。
ね床(どこ)にもぐってからも、山猫のにゃあとした顔や、
そのめんどうだという裁判のけしきなどを考えて、
おそくまでねむりませんでした。

(宮沢賢治「どんぐりと山猫」 より抜粋)

また、ゆっくりとお話ししたいです。

2006年10月22日

荻野美術館


「荻野美術館」を鑑賞しました。

道に迷った路地裏で、顔を背けるようにひっそりと佇んでいた、土蔵のような美術館に迷い込んでしまいました。江戸時代に北前船で財を成した下津井港の豪商荻野家の書画や器物などの美術コレクションとのことでした。

木の香りのする館内には、円山応挙、松尾芭蕉、伊藤若冲、森寛斎、浦上春琴らの書画があるとのことですが、何故か見付けられずに、いつの間にか裏の庭園に迷い込んでいました。

庭園には、奇岩巨石が配され、座敷の奥には幽玄不可思議な掛軸がかけられ、小さな池には金魚が泳ぐでもなく止まっているように佇んでいました。また、膨らんだ黄色い腹に黒い縞模様の大きな蜘蛛が、池の上に伸びた木に爪弾けば音が響きそうな太い蜘蛛の糸を張っていました。入ってきた門を振り向くと稲荷の祠の横で黒斑の猫が丸い目でこちらをじっと見つめていました・・・。

鵬の旋風でしょうか、天籟の風が音もなく吹いていました。

帝子北渚に降る。目眇眇として予を愁へしむ。
嫋嫋たる秋風、洞庭波だって木葉下る。
白薠に登りて望を騁せ、佳期を與にせんとして夕に張る。
鳥何ぞ蘋の中に萃まれる。罾何ぞ木の上に為せる。
・・・・・・

屈原 「楚辞  九歌 湘夫人 」より抜粋)

何か不思議な時間が流れていました。

・・・・・・
四荒を經営し、六漠を周流し、
上って列缺に至り、降って大壑を望む。
下は崢嶸として地無く、上は寥廓として天無し。
視は儵忽として見る無く、聴は惝怳として聞く無し。
無為を超えて以って至清に、泰初と與にして隣と為る。

(「楚辞 遠遊 第九段」より抜粋)

いつの間にか荘周胡蝶の夢のように蝶となって迷い出てしまったのでしょうか・・・。意識は渾沌として何の区別も付かず、物みな斉しく見えるような何も見えないような心持がしました。どこにいるのかも分らず、何も無いモノが有るような無何有の郷に遊んでいる、そんな真空妙有なありもしない時間が流れていました・・・。

夢と現実の彼岸に抜け落ちてしまいそうな中、次のような荘子 が思い出されました。

丘や汝と皆夢なり。予の汝を夢むと謂ふも亦夢なり。
是れ其の言や、其の名を弔詭と為す。
萬世の後にして一たび大聖に遇ひ、其の解を知る者は、是れ旦暮に之に遇ふなり。

(「荘子 斉物論第二」より抜粋)

あるいは  

故曰、至人無己、神人無功、聖人無名。

(「荘子 逍遥遊第一」より抜粋)

もう訳がわかりません・・・。気がつけば、携帯電話が鳴っていました・・・。
どうやら癲狂にして愚かな僕は昼間から目覚めぬ夢を見ていたようです・・・。