2006年11月27日

梅原藤坡展


「梅原藤坡展 柏舟社の画家」(竹喬美術館 )を鑑賞しました。

「水辺首夏」や「木立」など木陰の中を進んでゆく小道を描いた奥行きが、とても清らかで心静まる作品群でした。対照的な作品として、アンリ・ルソー の描くジャングルを比較として想起してしまいます。ルソーのジャングルは生気に溢れていて、子を孕み、生み落とす大地母神的な豊饒な生命力を感じます。それは、精神を物質に宿らせて、この世界に生み出してゆく、子宮や女陰のような闇のような魔力すら感じます。それに対して、梅原藤坡の絵はむしろ還ってゆく場所のような清々しさを感じるのです。喩えると、肉体を持った人間が死んで、魂となって帰ってゆく場所、そして、元々はそこからやってきた本来居た場所に帰ってゆく、そんなイメージを想像してしまいます。そのため、奥に行くほど、希薄に霞んで融け消えゆくような感じがします。木々などの自然に対して感じる超自然なモノへの感覚というのでしょうか。神社に対して感じる感覚と同様のものではないかと思ったりします。

ところが、それに対して、女性の描き方は自然に対する美的な感覚とは違います。作品「三味線ひく少女」のように、女性に対して、どこかネガティブな感覚を感じます。美ではなく、生々しさなのかもしれません。女性のエロスには、植物的な自然の美しさとは違い、生々しい肉感的でエロティックな息づく女性の肢体のようなものを想像します。そんな力が潜在化されて、このような絵になって表現されたのかもしれません。これは、いわゆる甲斐庄楠音らの「穢い絵」や荒木経惟 の写真に繋がる力なのかもしれません。二次元的な浮世絵ではなく、三次元の西洋の裸体画を日本人が見たとき、女性の持つ生々しいエロスが立ち現れてきたのかもしれません。確かに浮世絵もエロティックですが、それは性行為を描いたり、性器を極端に大きく描いたりと、どちらかというと、女性の肉感的エロスとは別のエロスだったように思います。もしかすると、近代以前と以後では日本人のエロスに対する視覚的感覚が変化したのかもしれません・・・。そして、近代以降の日本人の女性観の変化や葛藤が見られるかもしれません。文学の場合、例えば、夏目漱石 の女性の描き方にそういった片鱗が窺える気がしたりします。(谷崎潤一郎では決定的となります。)

野々宮さんは目録へ記号(しるし)をつけるために、
隠袋(かくし)へ手を入れて鉛筆を捜した。
鉛筆がなくって、一枚の活版刷りのはがきが出てきた。
見ると、美禰子の結婚披露(ひろう)の招待状であった。
披露はとうに済んだ。野々宮さんは広田先生といっしょにフロックコートで出席した。
三四郎は帰京の当日この招待状を下宿の机の上に見た。時期はすでに過ぎていた。
野々宮さんは、招待状を引き千切って床の上に捨てた。
やがて先生とともにほかの絵の評に取りかかる。
与次郎だけが三四郎のそばへ来た。
「どうだ森の女は」
「森の女という題が悪い」
「じゃ、なんとすればよいんだ」
三四郎はなんとも答えなかった。
ただ口の中で迷羊(ストレイ・シープ)、迷羊(ストレイ・シープ)と繰り返した。

(夏目漱石「三四郎 」より抜粋)

それにしても、日本人にとって美とは何なのでしょうか。フロイト的な解釈では収まらないものかもしれません。そして、西洋人の美に対する感覚とは異なる特徴を持っているような気もします。そんな日本的な美意識の原点に触れられるかもしれない、梅原藤坡展なのでした。

2006年11月26日

前田寛治展


「前田寛治展」(新見美術館 )を鑑賞しました。

1920年代頃に活躍し、33歳という若さで夭折した鳥取県出身の洋画家・前田寛治の展覧会でした。
洋画らしい洋画でした。「J.C嬢の像」では、大柄な女性の存在が背景から浮き出るようにして表現されており、2次元の絵でありながら、物体としてのありありとした存在感が感じられました。マネのような技法かもしれません。また、「C嬢」では女性の白い肌の輝くような美しさが、背景の黒色とコントラストになって見事に表現されていました。日本人でありながら、洋画の良さをそのままに素直に表現されているように感じられました。裸婦のモデルが淡谷のり子 だったのには驚きました。顔がタコっぽく描かれていて微笑ましかったです。裸婦の重厚な肉感、巨躯から伝わる自然力の強さが感じられました。「C嬢」のような女性美を描くことよりも、「J.C嬢の像」や「ブルターニュの女」や裸婦のような立体的なまでの存在感を描くことの方に重きを置いていたのかもしれないと考えたりしました。平面的な日本画から奥行きのある洋画を知り、その可能性を追求していたからかもしれないと考えたりもしました。その他、点描など印象派の手法も試みているようで、とても器用で進取の気勢のある画家かなと思ったりもしました。

洋画の技法を素直に見事に修得していることに感心しました。作者が前田寛治と言われなければ、西洋人画家が描いたものだと思うくらい洋画らしい洋画でした。(ただし、彼は鳥取の風景も数多く描いているので日本を描くことにも意欲を示していると思います。)

近代日本が懸命に西洋文化を取り入れた生真面目な努力を思い出します。極端に言うと、戦前は西洋文化を取り入れ、戦後はアメリカ文化を取り入れ、最近はグローバリズムを取り入れたように考えたりもします。そんな変遷を想像するとき、経済学者の野口悠紀雄 氏の次のような言葉を思い出します。

つまり、これは、製造業を中心とする産業大国の凋落なのである。
ドイツと日本は、本当に似ている。最近の経済情勢だけではない。
もっと深いところでも似ている。
・・・・・・
しかし、・・・・・・と私は思う。
ドイツと日本は、どこかが違う。
どこが違うのだろう?暫く考えて、その答えに思い至った。
・・・・・・
道路の両側に続く森は、少しも変わっていない。
その森は、ゲーテの頃と、いやファウストの物語の頃と変わらない森なのだ。
そして、これが日本との決定的な違いだ。
ドイツは、今後、世界経済の中で主導的な役割を果たすことはないだろう。
その点では、日本も同じだ。
しかし、ドイツには豊かな森が残っている。
日本は、経済成長の中で自然景観を破壊し尽くした。
それは、もはや復元できない。
21世紀の社会で、これは本質的な違いだろう。

(野口悠紀雄「「超」整理日記 」より)

野口悠紀雄氏の言葉は数学のように厳密かつ的確で、常に原則的な合理的思考で貫かれています。そんな野口氏のこの言葉はとても決定的なものを突きつけられたように感じられます・・・。

考えてみれば、世界は、法律は過去の判例に基づくローマ法 、経済は取引を貸方・借方の2つで仕訳する複式簿記 といったもので標準化されているように思います。極論ですが、いずれ法律家や会計士の資格も完全標準化されて、世界中どこでも通用するようになるかもしれません。そして、社会システムやライフスタイルは世界中どこに行っても同じ規格になろうとしているように感じられます。民俗学者がフィールド調査するような未開社会はとっくの昔にどこにも残されていませんし、愛国心と言っても自国と外国を区別する差異はほとんど無くなるかもしれません。(極端な話、言語しか違いがなくなるかもしれません。)個性やオリジナリティと言ったところで、ライフスタイルも同一で大きな差異はなく、外部というものが宇宙人くらいしか残されていないように多くの人に感じられているのかもしれません。

民話や昔話などの物語では、弱者や異端者やヒッピーなど社会の中で生きられなくなった者が、絶望の中で死を求めたり、逃げるようにして迷い込んでゆく場所として、森や山がよく描かれたりしています。(物語の中では、その後、森の中で魔法のアイテムなどを入手して戻って活躍したりしますが・・・。)本来、私たちの精神は自由な運動をするものです。社会にフィットせずに、はみ出してしまうのが、実は本来の姿なのかもしれません。社会に閉塞を感じる、そんなとき、自然への回路を残しておくことは、最後の外部への扉、自由への通路なのかもしれません。

2006年11月20日

華鴒大塚美術館


華鴒大塚美術館 」を鑑賞しました。
橋本関雪の「看月図」は東洋の哲理を思い出させてくれるようで気持ち良かったです。水墨画の白黒ではない、爽やかな色彩が東洋哲学の現代性を象徴しているかのようで良かったです。東洋文化の再発見がもっとあっていいのになあと考えたりしました。

また、入江波光の「葡萄と栗鼠」では、植物の蔓(ツル)のほつれ具合が何とも絶妙でした。植物への観察眼に感服します。何というか、写真ではない写実があり得るように思いました。人間の鋭い観察眼が写真では捉えられない対象物の真実や本質を、デフォルメすることなく、写実の中に描き出すように感じられました。そのとき、画家はただ眼や絵筆となって存在していて、対象物と同化して、一切の自分が入り込む余地がない、そんな風に思ったりしました。

また、菊や柿や柘榴など注目される対象を浮き立たせるように描いているような作品が多いような気がしました。そんなマテリアルへの飽くなき探究心が独自の日本哲学を生み出すのだろうなあと感じさせられました。そんな対象物への探究心から本居宣長 を想起したりします。

物の哀れを知るより外に物語なく、歌道なし。
ゆえにこの物語の外に歌道はなきなり。
学者よくよく思ひはかりて、物の哀れを知ることを要せよ。
これすなわちこの物語を知るなり。
これすなわち歌道を悟るなり。

(本居宣長「紫文要領 下巻」より抜粋)

宣長は儒仏の教えから物語や詩歌を解釈してはならないと懇々と戒めます。そして、「物の哀れを知る」ことこそが、その物語や詩歌を本当に理解することができるのだといいます。ある種の日本のマテリアリズム(唯物論)かもしれません。

さて、全体的に、日本画の伝統芸の美しさや精巧さを改めて感じさせられました。

また、庭園がとても絵のような景色で美しかったです。景色を見ていると、知らず知らずのうちに清々しい気持ちになりました。

日常の中では、伝統芸に触れることがなくて、日本の伝統芸術など忘れてしまいがちです。そんな普段の生活の中では、切れてしまいそうな日本の伝統の糸を思い出させてくれる、貴重な美術館でした。

2006年11月19日

mimucus 2006.11


「mimucus 2006.11」 を鑑賞しました。
 
へい太さんは、ある分科会で聞いてきた詩と文章の違いについてのお話をされました。詩か文章か、聞き手によって反応が違ったりするのでおもしろかったです。岩本さんはここ近年の実際にあった猟奇的な悲惨な事件を集めた詩を朗読されました。聞いていて、とても苦しく、悲しくなってくる内容でした。ホムラさんは子猫の詩と毒を込めた過酷な労働詩?を読まれました。ギャップが素晴らしかったです。空太郎君は詩ボク九州?のクラチさん?という方の朗読詩を読まれました。いつの間にか空太郎君が床に正座をしていて、良い意味で、正座がよく似合う好青年で感心しました。 
 
また、きびんさん差し入れの茶屋町駅前のぱん屋さんのボール形の小さいドーナツが弾力があってモチモチで美味しかったでした。また、ホットなレモンジュースも頂きました。ビタミンCが五臓六腑に沁みて美味しかったです。
 
朗読会終了後に皆さんと一緒に食事にいきました。
ネットの話やYouTubeの話や70年代のクリエイター環境の話、谷川俊太郎の話などで盛り上がりました。ところが、会も終わりの頃、衝撃的な話題となってしまいました。どうも、mimucusがもうすぐ終わってしまうかもしれないようなのです!理由の一つは参加者が少ないからのようです。とても残念な話です。
 
それから、今後のmimucusについて、みんなで話し合われました。いろいろな意見が出て考えさせられました。また、「詩とは何か?」といった話にもなったりしました。聞き違いかもしれませんが、空太郎君が、詩は定義できないとしつつも、詩はワザであると言っていたような気がします。「詩=ワザ」とは、一体どういった意味が隠されているのでしょうか?とても興味深く、もっと続きを聞きたかったのですが、残念ながら、時間切れとなってしまいました。
 
そんなこんなで、今後のmimucusはどうなるのか、結果はよくわかりませんが、来月の客入りをみて、考えるのだろうと想像しました。たくさんのお客さまが来ることを願っています。
 
そんなわけで、その日は、mimucusも終わってしまうのかと考えたりして、ザワザワして眠れない夜なのでした。 

佐藤朝山展


「佐藤朝山展」(田中美術館 )を鑑賞しました。
大正・昭和時代に活躍した木彫家・佐藤朝山の展覧会でした。フランスに留学してルーブル美術館で学び、ブルーデルに師事したそうです。

博物学の細密画のようなトカゲやウサギや鳥でしたが、どこか丸みのある彫刻でした。人物にもそれは表われていて、運慶 ・快慶 のような西洋を知る前の彫刻が直線的・劇画的であったのに対して、佐藤朝山の彫刻は曲線的・ギリシア的でした。西洋を知る以前の日本では、美の概念が東洋的な力強さ・激しさであったのが、西洋を知った後は女体的な柔らかさ・優美さを取り入れたように感じられました。ただし、西洋の美をそのまま取り入れるのではなくて、さらに、その西洋的な見方を応用して新たな美を生み出そうと模索していたように感じられました。

明治以降、日本の絵画は日本画として大きく変わったように感じられます。それは、西洋を知ることで、西洋のみならず東洋までも相対化してしまったような気がします。そして、東洋(中国)でもなく、ましてや西洋でもない、自分自身の日本の美とは何か、日本のアイデンティティの探求、日本探求が始まったのではないでしょうか。西洋を知る以前、画はある意味、書に近いものだったのかもしれません。ところが、女性的な西洋的美や奥行き(空間)に触れて、日本画は日本独特の美を表現しはじめたのではないでしょうか。そこに描こうとしたものは何でしょうか。

たとえば、一つは、無の空間としての正四面体や立方体や球体の空間をイメージしてしまいます。その空間は寂光を放っていて、空間そのものは、明るさのない光、透光のようであり、エーテルすらも無い、静寂な絶対真空の無-空間のように想像されます。プラトンのいう全てを受容するコーラかもしれません。次のような詩歌が思い出されたりします。

何事の おわしまするか 知らねども かたじけなさに涙こぼるる

(西行法師)

西行法師 の言う「何事のおわしまする」かのように感じる、静謐な無-空間なのです。そして、喩えて言うなら、その絶対空間のある位置は、雲を突き抜けた最も高い山の頂であり、それは至高の高み、最も極北の位置する所、星々の極北・北極星のように想像したりします。

しかし、一方で、無-空間の真空から強力な磁場を発生して、動を招来するようにもイメージしてしまいます。万物は流転すると考えたヘラクレイトス のいうような、龍脈漂う渦巻きや閃光煌めく稲妻の走るカオスのような動です。それが人知に転換されると、舞楽 の舞が透けて見えるようにイメージしてしまいます。たとえば、その無-空間の内外で、小さな安摩の二の舞が舞われている、そんな幻影を想像してしまいます。次のような囀詩を想起します。

日は晩景になりにたり 我行く先は遙かなり

(「安摩 二の舞 囀詩」より抜粋)  

そして、何となく、世界はこのような動と静が同居する絶対矛盾的自己同一体 なのかもしれないと想像したりもします。同様に東山魁夷 や横山大観 にそんな静と動を凝縮した瞬間を感じます。
日本文化のほとんどは外来文化で成り立っていると思います。確かに日本人は自分たちの文化を独自には、形あるものとして描けなかったのかもしれません。ですが、むしろ、積極的に描かなかったのかもしれません。描いた瞬間にそれは本物とは差異を生じてしまうように感ぜられたのではないでしょうか。ライプニッツ のモナド のように絶え間なく差異を生じてしまうと考えたのではないでしょうか。なので、誤解を招くような描くことはせずに、ダイレクトに掴み取れるように場所(環境・箱空間)だけを整えたのではないでしょうか。山川草木悉皆成仏を言った空海の次のような詩が思い出されます。

閑林に獨り坐す 草堂の暁 
三寶の聲 一鳥に聞ゆ
一鳥聲有り人心有り 
聲心雲水倶に了了たり

(空海「性霊集 第十巻」から 「後夜に佛法僧の鳥を聞く」より抜粋)

いずれにしても、日本には、日本語と山川草木の自然があります。現代文明においても、それある限り、精霊が宿る可能性は残されている、そんな気がします。(どんどん失われつつありますが・・・)

2006年11月13日

瀧浦光樹展


「瀧浦光樹展 -動脈と静脈のウタ-」(ホワイトキャンバス )を鑑賞しました。

告知のポストカードからは女の子向けの絵本やイラストの展覧会かなと思っていましたが、そうではなくて、様々な技法に挑戦している作品群でした。全体的に、どこか妖精や神話やフォークロアを思い起こさせるような絵でした。

イラストなどキャラクター化すると、記号的になって明るさや可愛さなど一意的・一面的になってしまいがちですが、彼の作品にはどれも内面的な奥行きを感じました。それは、特に人物の背後にある空間の描き方に表われているように思います。モネ のような手法で描かれた薄ら暗い闇の空間、そして、その奥行きは無限の奥行きへと繋がっている、そんな感じがしました。そんな無限の薄暗い奥行きが精神的内面の奥行きとあいまって、作品全体に深みを出していると感じました。ただし、人物たちは、無限の闇を抱え持っているけれども、その闇に囚われずに、自然にポジティブな姿勢でいるんだろうなというイメージを感じました。

ポストカードの少女の衣装で思い浮かんだのは、宮崎駿監督の「太陽の王子ホルス 」に出てくる少女ヒルダでした。ヒルダは可愛らしい美しい女の子なのですが、どこか寂しげな・暗い・哀しさを秘めた女の子でした。絵に見られる無限の奥行きにも共通する暗さ・闇のような気がします。

また、そんな衣装から、ロシアの田舎の民族を想像してしまい、ロシア5人組 の一人、ボロディン の歌劇「イーゴリ公 韃靼人の踊りと合唱 」を想起したりします。この楽曲のクライマックスでの合唱が溶け合う感じは、うまく言い表せませんが、何というかグルグルと旋回して融け合うようなミルクな感じがします。民族衣装を着た女性がオーケストラで合唱している、そんなイメージが浮かび上がってきます。そこでは、国家とか民族とか科学とかが、希望を持って悦ばしい幸せな結び付き(結婚)を果たすような感じがします。それも女性的・母性的で非暴力的で、滑らかな混合を感じます。多くの交響曲は男性的なイメージが強かったのですが、この交響詩からは女性的もしくは、男性性・女性性が混合した中性的な感じもしました。この楽曲は、元々、西洋と東洋の融合を描いていますが、その融合される様からは、エクスタシーや狂気や歓喜などを感じます。(たとえば、バレエ「ドンキホーテ」などの多数回に渡る旋回にもどこか通じているような気がします。)

(また、ロシア5人組は音楽だけの専門家ではなく、本業は化学者であったり、職業軍人であったりしたそうです。何だか音楽(芸術)と科学の楽しい幸せな結合(結婚)も想像してしまいます。また、楽しいアマチュアリズムやアートのある豊かな市民生活なんていうのも、羨ましく楽しく想像したりしてしまいます。)

そんな幸福な結婚のイメージから次のような小説の一節を思い出したりします。

そこで、妹をまず抱きしめると、まるで身体じゅう喜びにあふれたような表情で、
生まれて、今日ほど幸福な日はないと言った。
「もうなんて言っていいかわからないわ!
幸福すぎるわ!こんな、私のような女が!
どうして世の中に、不幸な人なんているのでしょう?!」


幸せな結婚はこちらまで喜ばしい気持ちになってきますね。

さてさて、この展覧会は、総じて、とても色彩豊かで、大人になった少年少女のような感性で描かれたような作品に感じました。

2006年11月12日

森下美術館


BIZEN中南米美術館 」(旧森下美術館 )を鑑賞しました。
森下美術館は故森下精一氏が中南米10ヵ国で収集した土器・土偶・石彫・織物などの中南米古代文化のコレクションです。収集範囲はメソアメリカ文化圏・中央アンデス文化圏・カリブ海地域など広範囲に渡っています。また、美術館外壁はまるで風合いのある赤レンガのような備前焼の陶板で覆われています。

このコレクションの品々を見ていると、なにか非人間的なものや力を感じます。それは悪や闇といわれるものかもしれません。もちろん、善悪の悪ではなく、制御できない力としての悪です。たとえば、極端に言うと、笑っている土偶などは、中国文明やインド文明ではエロス的笑いですが、古代アメリカ文明の笑いはタナトス的笑いのように感じます。死と恐怖が古代人の精神基底を形成していたかのようにすら感じられます。高度な魔術文明を築いていたであろう古代の神官たちが見ていた世界が遺物を通して少しだけ窺い知ることができるような気がします。

そんな恐ろしいものの象徴に感じられたのが、心臓を喰らうジャガーのレリーフです。ジャガーが今まさに取り出されたばかりの心臓を掌に載せてかぶりつこうとしています。しかも、ジャガーは嬉々として笑いながら喰らおうとしているようにも見えます。いったい、ジャガーのこの魔的な力はどこからくるのでしょうか。同じ展示室にジャングルの中に現れたジャガーの写真があります。そこには鬱蒼と生い茂る鮮やかな緑の中で、背中の筋肉や骨が隆起したジャガーの姿があります。それは黒い斑点を持つ、不思議で鮮やかな光沢を持った黄色で、波打つように蠢く流体のようです。

そんな不思議な黄色い流体から、草間彌生 の黄色の水玉カボチャを思い出したりします。この不思議な水玉に見入っていると、遠近感を見失い、眩暈を起こしてしまいます。そして、水玉から一挙に空間が展開して私たちを異空間へ誘います。

ジャガーの場合、その黄色い流体は人に襲いかかり、死や苦痛をもたらします。ジャガーは死と恐怖で、私たちを死や恐怖の異世界へ連れ去ってしまうのかもしれません・・・。

また、展示されていたサンブラス諸島のクナ族の手芸モラ にも類似の眩暈を感じたりします。こちらが開く異空間は、夜の世界のような異世界に感じられます。

そんな眩暈から、ティモシー・リアリーやジョン・C・リリィのサイケデリック革命 を思い出したりします。次のようなハックスレー の言葉を想起したりします。

「気分はいいか?」誰かが訊いた。
「よくも悪くもない」私は答えた。
「それがありのままの気分だ」
イスティヒカイト、存在そのもの。
エクハルトが好んで使ったのは、この言葉ではなかったか?
イズネス、存在そのもの。プラトン哲学の実在。
ただし、プラトンは、実在と生成を区別し、
その実在を数学的抽象観念イデアと同一視するという、
途方もなく大きな、そして奇怪な誤りを犯したように思われる。
だから可哀そうな男プラトンには、花々がそれ自身の内部から放つ自らの光で輝き、
その身に背負った意味深さの重みにほとんど震えるばかりになっている
この花束のような存在は、
絶対に眼にすることができなかったに相違ない。
・・・・・・
彼らが彼らであるもの、花々の存在そのものとは、
はかなさ、だがそれがまた永遠の生命であり、
間断なき衰凋、だがそれは同時に純粋実在の姿であり、
小さな個々の特殊の束、だがその中にこそある表現を超えた、
しかし自明のパラドックスとして全ての存在の聖なる源泉が見られる
・・・・・・というものであった。

(オルダス・ハックスレー「知覚の扉」より抜粋)

また、一方で次のようなサルトル の言葉を想起したりもします。

私は公園にいたのである。
マロニエの根は、ちょうど私の腰掛けていたベンチの真下の大地に、
深く突き刺さっていた。
それが根であることを、もう思いだせなかった。
言葉は消え失せ、言葉とともに事物の意味もその使用法も、
また事物の表面に人間が記した弱い符号もみな消え去った。
いくらか背を丸め、頭を低く垂れ、たったひとりで私は、
その黒い筋くれだった、生地そのままの塊とじっと向いあっていた。
その塊は私に恐怖を与えた。
・・・・・・
根も、公園の柵も、ベンチも、芝生の貧弱な芝草も、すべてが消え失せた。
事物の多様性、その個性は単なる仮象、単なる漆にすぎなかった。
その漆が溶けて怪物染みた、軟らかくて無秩序の塊が、
怖ろしい淫猥な裸形の塊だけが残った。

(サルトル「嘔吐 」より抜粋)

何という眩暈でしょうか。バロウズ でしたら、「うんざりするほど正気」というかもしれませんが、ロカンタンのように「吐き気」を感じてしまいます・・・。何というか、現実よりも現実的なようです・・・。

さて、アメリカ大陸といえば、経済・科学・軍事の超大国アメリカを考えてしまいますが、遙か昔に恐ろしく高度な魔術を持った古代文明が存在したことを、もう一つのアメリカをこのBIZEN中南米美術館ではかいま見ることができます。そして、もしかすると、ジャガーに喰われることで、まだ未知の精神大陸を発見することができるかもしれません。

2006年11月8日

エコール・ド・パリと日本の画家たち


「エコール・ド・パリと日本の画家たち」(成羽町美術館 )を鑑賞しました。

1920年代のパリ。都市やエロスの猥雑な雰囲気が漂っている中、写実ではない新しいウィジョンが模索されているように感じられました。あれほどの写実的な西洋美術の美の伝統を持ちながら、なぜ当時の芸術家は美とは程遠いであろう新しいヴィジョンを追求したのでしょうか。そんな疑問にちょっぴり答えてくれるかもしれない、そんな展覧会でした。

ユトリロ の作品は、不自然なまでの建物の直線が空間に違和感を与えているように感じられました。そこに普段とは違う空間の存在を感じます。また、キスリング は女性の裸体が浮かび上がる曲線に空間の違和感があるように感じられます。そして、意外にもシャガール の2つの花束を描いた作品も、一方の花束の後ろでは窪んだ異空間が開かれているように見えました。いずれも、どこか遠近法からの脱却を模索しているように感じられました。そんな違和感を想像するとき、次のような詩が想起されたりします。

知っているだろうか、
宙吊りにされた感受性とはどんなものか。
ぞっとするほど恐ろしく 
そして 二つに分断されているこの種の生命力を。
欠くべからざる結合のこの地点、
生きている者がその高さまでは届かないこの結合地点、
おびやかしつづけるこの場所、人を圧倒し打ちのめすこの場所を。

アントナン・アルトー 「知っているだろうか・・・」より抜粋)

そんな彼らに対して、日本人画家の絵には遠近法を打ち破るような強烈な空間への破壊は特別には見られないような気がしました。むしろ、柔らかくその異空間を日常性へ落ち着かせようとしているかのようにも感じられました。そこには、美へのこだわりがあったのかもしれません・・・。また、少女漫画への萌芽が散見されたように思います。

それにしても、今度はもう少し時間に余裕を持って訪れようと思います。閉館30分前での小走りな鑑賞はさすがに辛いでした。

2006年11月7日

成羽町美術館


「成羽町美術館」 を鑑賞しました。

成羽町美術館は、安藤忠雄 氏設計の建物です。ロビーから流水の庭を大画面で臨める「開かれ」を感じる場所です。すべてがこの「開かれ」の前では顕かになるかのような、アリストテレス的な空間でした。このアリストテレス的空間の中では、どのような闇もその光に照らされて、理の知性によってその秘密を解き明かされる、そんな開顕を感じます。そんな知性を想像するとき、次のような言葉を想起したりします。

形相がその物の滅んだ後にも存続しうるか否かについては考察されねばならない。
或るものには、その形相は存続するとしてもいっこうに差し支えない。
しかし、たとえば、魂はどうだろうか。
魂の場合は、魂全体ではなく、知性(ヌース)が存続するであろう。
おそらく、魂が全体として存続することは不可能だろうから。
だから、それだけでイデアの存在を主張する必要は決してない。
なぜなら、人間が人間を生むのであり、個々の人間が個々のある人間を生むのだから。

(アリストテレス「形而上学」より抜粋)

アリストテレス は「思惟の思惟」の中で連続する不滅の知性(ヌース)を見たのかもしれません・・・。しかし、一方でアリストテレスの師プラトン を想起したりもします。純粋イデアを観照したプラトンは現実界に対してイデア界を導入することによって、闇を光の中に包み取ってしまったように思います。ディオニソス 的な闇の力をイデアに転換することで、闇を内包・原動力とした光の言葉・イデアに変えてしまったように思います。ただ、プラトン自身は洞窟の譬喩や「饗宴 」の女性知者ディオティマのようなディオニソス的・魔女的知に触れていたような気がします。どこか白川静 博士がいう巫女の子・孔子 にも通じるような気がします。

また、アリストテレス と言えば、一方で彼が家庭教師をしていたアレキサンダー大王 を想起したりします。真・善・美の理想世界を実現しようとして、世界を統一した青年王・アレキサンダー大王。異民族の娘と結婚したり、世界図書館を作ったり、アレクサンドリア という開かれた都市をいくつも建設したりしました。彼は青年らしい理想主義をもって世界を駆け巡りました。どこか法華経 を理想とした石原莞爾 の次のような言葉を思い出したりもします。

満州国はそれぞれに、歴史や伝統や風習を異にする日・漢・満・蒙・露其他の民族が集まつて、しかも、お互に力を協せ助けあつて、そして強く、正しく、楽しい国家を築き上げようとしてゐるのである。ひとりよがりな差別心、くだらぬ反感、つまらぬ嫉妬心などがお互の間にあつてはならない。

(関東軍副参謀長石原莞爾大佐 児童書「少年満州実話集」序文より抜粋)

また、あるいは、コンクリートの壁の仕切りは、衝立で仕切られた日本的空間にも感じられます。仕切りの角を曲がる度に、違った世界が目の前に開かれてきます。

また、日本最古の植物化石などの化石展示室があります。展示には、大型のトクサ、シダ、イチョウ、ヤブレガサウラボシ科の仲間など100余種があります。

また、成羽町美術館までの高梁川沿いの国道180号線は深山幽谷と大河のとても雄大な風景を楽しめます。日本列島はまるで龍であり、山々はうねる龍の背骨のように感じられます。きっと、この大地の下では、まだ、マグマがグツグツと煮えたぎっている、そんな風に感じられます。

そんな、とても遠い所にあるように感じられるのですが、龍脈漂う深山幽谷の道を辿ってゆくと、その先には真善美の殿堂たるアリストテレス的な空間・成羽町美術館が私たちを待っているのです。

2006年11月6日

奈義町現代美術館


「奈義町現代美術館」 を鑑賞しました。

「うつろひ」(宮脇愛子)(展示室「大地」)
銀色の曲線が空間を宇宙空間に変貌させています。鏡のような水面に映った曲線がシンメトリックな歪んだ円形となって、空間で生き生きと躍っているように感じられます。あるいはまた、大きく伸びた銀色の金属が新種の植物でもあるかのように大地から生えて、力一杯生命力豊かに伸びているようにも感じられます。日常空間の中に、とても見事に宇宙的な空間を現出させています。

「HISASHI -補遺するもの」(岡崎和郎)(展示室「月」)
三日月形の滑らかな曲線空間、木の幹から蜜が流れるかのようなオブジェ。まるで、三日月形に切り取られた空間から、空間の蜜や金属質・鉱物質のエッセンスたる蜜が流れるかのようです。そして何より、音が何層にもコダマします。まるで空間に何層ものグラデーションが存在するように感じられます。そんなコダマを聞くとき、小さな魂が少し顔を覗かせるように感じられます。空間がグラデーションを持つように、ここには多次元に空間が交錯していて、曲線的に切り取るとき蜜が溢れるようにして、小さな魂がちょっぴり流れ出す、そんな感じがします。

「遍在の場・奈義の龍安寺・建築的身体」(荒川修作+マドリン・ギンズ )(展示室「太陽」)
外からの外観は、巨大な太鼓です。パーカッションは鼓やモノを打つことで、そこの日常空間を打ち破り、異次元を現出させるように感じられます。そんな巨大な太鼓の中は、まるで上下のない無重力空間です。龍安寺の石庭が曲面に配置されています。異次元空間に迷い込んだようです。空間が異次元なだけではありません。ぐるりと意識を反転させるように過去の記憶を想起させます。そこには鉄棒やシーソーなど幼年期の記憶を呼び覚まします。ここは空間や時間を超えた不思議な異次元空間です。死の瞬間、走馬灯がよぎるように過去を想起するといいます。この空間はそういった生から死へと横断するときの中間で体験される異次元を表現しているように感じられます。

そんな中有に想いを馳せるとき、次のような詩が想起されます。

思い出すことのないボードレールの一行がある、
ぼくの歩行が禁じられている近くの通りがある、
最後にぼくをみつめた鏡がある。
この世の果てまでぼくを閉めだした一つの扉がある。
ぼくの図書館の本の間に(今、眺めているところだが)
決して開くことのない何かがある。
この夏 ぼくは五十歳になる、
死はぼくを摩滅する、絶えまなく。

(「ラテンアメリカ詩集」から ホルヘ・ルイス・ボルヘス 「制限」より抜粋)

人生に残された時間はとても少ない・・・。

それから、奈義町立図書館も素敵な知的立方体です。四方位を本棚で囲まれて、小さな小窓から芝生や山々が臨めます。この立方体は、小奇麗に整理されたとても知的な空間です。大き過ぎて知の迷路に迷い込んでしまうのでなく、とても小気味良く知を整理した知的空間に感じられます。自分の書斎にしたいくらいです(笑)。

2006年11月5日

島村敏明展


「島村敏明展 - Nightswimming -」(奈義町現代美術館 )を鑑賞しました。

彼もまたジェームズ・タレル と同じように光の探求者なのではないでしょうか。彼の描く絵画からは、肉眼を超えた心の中で生起する限りなく純粋で、溢れんばかりの生命力に満たされた光を感じます。

彼の描く絵画の光を見ていると、インド哲学者シャンカラがいう不二一元論のブラフマン(梵) を想起します。全存在の本質、世界の魂、、宇宙の創造的エネルギー、そんな全てであるようなブラフマン。シャンカラは、ブラフマン(梵)とアートマン(個我)が本来は一つであるといい、マーヤー(夢幻)を超えて梵我一如 に至れるといいます。そして、それは覚醒位・夢眠位・熟睡位とは別の第四位において体験されるそうです。そのとき、シャンカラは「ウパデーシャ・サーハスリー」の中で「非ず、非ず」と表現しています。次のようなウパニシャッド の一節が想起されます。

それは動く。しかし、それは動かない。
それは遠くにある。しかし、手元にある。
それはこの全世界の内にある。
しかし、この全世界の外にある。

(「イーシャー・ウパニシャッド第五詩節」より抜粋)

また、岡野玲子 さんの「陰陽師」 を思い出します。この作品の「白虎」(第11巻)の中で、安倍清明 は闇の底の底で、結晶のように冷たくソリッドに力強く光り輝きます。そこでは、物質の王・大物主 が清明を闇の王として静かに見つめています。この光は恐ろしい闇の底でこそ、生命力を漲らせて輝きます。この絵画の光も類似の次元で光り輝くように感じられます。

また、「code」や「towairaito」や「warm water」など彼の作品は2つの絵が並べて置かれてあったりします。この構成に両界曼荼羅 のような性質を感じます。胎蔵だけでなく金剛も描いているように感じられます。小さく喩えるなら、生だけでなく、生と死を描いているように感じられます。生命を讃歌する歓喜の光、そんな一元論的太陽だけを受け入れるのではなく、闇に刈り取られる死をも描いているように感じられます。ここに、この作家のリアルに対する透徹な精神を感じます。

彼の創作はよく夜に行なわれるそうです。身一つになって夜の闇にたたずむとき、光の無い闇の中でこそ、宇宙の中でのたった一つの光、自分自身の魂の輝きを感じ取れるようです。そんな彼の作品を目を閉じて心に思い浮かべるとき、彼の描いた光がありありと揺らめき、煌々と輝いて生命力の光輝を放っているのが強烈に感じられます。

2006年11月1日

揮発


揮発


この身の傷つき易さよりも、傷モノと見なされるのが面倒だ。

青蜜柑伊達巻固く引絞る



車窓から見る田園の何処にもいない侏儒たち。

藁塚の中にときどきある世界



雨が降るから月が見えないのではなく、
月の不在を誤魔化すために雲を敷きつめているのです。

廃ビルの窓に吸盤雨月かな



死んでまで美女になどなりたくない。

木星と金木犀の揮発性   


換気扇の壊れた台所、割り箸で掻き混ぜるジンバック。